【日刊】びょういんつうしん その11
生きていること
急変を目の当たりにしたのに、その後しばらくショックでグッタリと横になったけど、それでもやっぱり朝食を食べていた。
食べ物が喉を通らない感じ、だけど。ヨーグルトとフルーツを外したものの、ロールパンとスープは食べた。
何だか奇妙だ、といつも思う。どんなに悲しい出来事があっても、それが例え死であっても、人はご飯を食べるのだ。食べざるを得ない。そのコントラストが奇妙で、自分でちょっと笑ってしまいそうになる。
自分は生きているんだもんな、と理由を考えてみたり、食べられている自分がちょっと後ろめたかったり。
それでもやはり、生きている私は相当しぶとく、地を這ってでも移動し、キスしたり抱き合ったり、でっかいピザやサラダを食ってうまいと思ったり、本を買ったり、味噌ラーメンのスープを全部飲んでしまったりする。そんな穏やかな時間に幸せを感じたりするのだ。
そして、これからを歩いて行くために、動かない足を慎重に、必死に、前に踏み出す練習をしたりするのだった。
もうとにかく、生きている今に必死で、それは前向きの矢印でしかあり得ないのだ。
半歩でもいいから、転んでもいいから、前に、進む。
≪その11 おわり≫