[2008年12月]忘れることができない一年
2008年12月1日6:19
冬の朝
この凛とした空気は懐かしい。あの場所に異動した季節だから。
2008年12月9日2:32
何だか心身のバランスが…
夜中に、ベランダでタバコを吸ったら、よろけて倒れそうになった。
いろいろと変化が多すぎて、どうも心身のバランスを崩しているような気がする。
床に座ったまま半分寝ていたりと、疲れているはずなのに、今は眠らずにいる。体力は限界に近いはずなのに。
仕事は激変の渦中にいて、手続上も、実施計画上も、崖っぷちのところにいるはず。
嗜好も変わってしまったのか、以前興味があったことに、あまり関心がないような気がする。
忙しい、といえばそうなんだけど、何かが、自分の中で噛み合っていない。それが何なのかが、よくわからない。確かなものがない感じ。気持ちが危うい。
2008年12月10日17:33
なんだかフラフラ
昨日から、左足が少し不安定。廊下ですれ違いざまに、看護師がすぐに気づいて、「少し姿勢が傾いてますよ」と。さすが専門職。
そのせいで、今日の第2回目のインフルエンザ予防接種は中止。「忙しいと流れてしまうので受けたい」と言うと、ドクターにも説得されてしまった。薬で免疫力を下げている上に、疲労があるから、注射したら熱が出るそうなのだ。
職場で風邪が流行っているので、仕方なく、今日から室内でもマスクとネックウォーマーをしている。更に足が硬い感じがするので、レッグウォーマーもした。帰りに帽子をかぶったら、完全武装のようになる。私よりも健康な人の方が、風邪をひいて咳込んでいるんだけどなぁ…。
今日は、怒涛のような研修事業の中休みで、新人も非常勤も外の勤務。久しぶりに、一人で、室内でデスクワークをしてた。じっとしていると、確かに、足もメンタルも不調みたいだ。たくさんの人に接するのに精一杯で、自分の様子に気がつかないでいただけ。疲れがたまっている。そして、私は病人なんだよなぁ。
2008年12月15日2:53
自分の日記
久しぶりに、自分の日記を時間をかけて読んでみた。去年の秋、同じ職場の職員が亡くなってから、年明けの具合が悪くなる前くらいまでの日記。
最近、環境の変化が大きくて、目の前に大きな課題があって、それはもしかして、抜き差しならないほどの切羽詰った状況で(見ないようにしているので、実際はどうなのかわからないのだが…)、そんな中で、好きなことをしたり、ゆっくり文章を書いたりというような、自分を確かめることを何もしていない時間が、長いこと続いている。
日記を読んでみて、ずいぶん丁寧に書いてあるなと思い、書いてあることが、結構面白かった。人の日記を読んでいるみたい。
そして、確かに一生懸命毎日を暮らしているので、ちょっとホッとした。最近、自分の足元が見えなくて何だか不安な感じだったけど、自分のアイデンティティは自分にあるんだっていうことを、再確認したような印象だった。
そんな意味をこの日記が持つとは、想像していなかった。
膨大な量なので、全部を読むことはできないけれど、確かに、私は生きていたんだんだなあと、今も生きているんだなあと、何となく思った。
ただし、昔の日記にあるような丁寧さで毎日を暮らしていると、時間は足りないだろうし、息切れしてしまうかもしれないな。まして、それを書き留める作業というのは、ものすごくたくさんの時間が必要だな。
今、病気をしてから、ちょっとそういう細かさというのは、淘汰されているのかもしれない。一番大切なことだけに、ダイレクトにぶつかっていき、書くことよりも、その時々を感じ、過ごすことに、時間を割いているかもしれない。そして、自分の限界も感じているので、ある程度のところで、区切りをつけているのかもしれない。
今年も暮れていく。
恒例の、手帳についての検討も、今年はやっていない。今の手帳が、来年末までのものだからでもあるし、生活リズムの見通しが立たないと、フォーマットは定まらない。
今の手帳は、自由な書式の外国製の手帳。これも、今の私の時間軸がかなり緩いのに、合っているのかもしれないな。
カッチリとしてない、今までにない私。
そして年末の時間。
2008年12月18日2:43
体調が↑
昨日は、連日の寝不足もあり、朝から体調不良だった。朝起きたら、両膝がガクッと抜けて、力が入らなかった。去年、発病した時がそんな感じだったので、あの頃のいやな感じを思い出した。そう、まだ私は、病人なのだった。
一方、日中はやや熱っぽく調子が上がらなかったものの、夕方のプールは大変調子が良く、軽く楽に泳げた。これも理由がわからない。その前に、プールでパワースイムみたいな泳ぎ方をしたからかな。
そして、昨日は、夜に少し車の中で休み、遅い入眠ながらも深い温かい眠り。
今朝、起きて、久しぶりに体が軽かった。不快感がない。一日、比較的好調。
そして気づいたのは、足が少しよくなっていること。神経が、またミクロのレベルで、つながった気がする。軽く走ることができるし、階段をゆっくりだけれど、駆け下りることができるみたいだった。眠ったからなのか。野菜ジュースを飲んだから?
今日は、夜になって体が重くなり、遅くまで仕事をせざるを得ない状況だったので、車の中で少し眠ることにした。職場で寝ているとまわりに気を遣うので、暗い所に止めた自分の車のバックシートで、厚い長いダウンジャケットにくるまって寝た。20分くらいのつもりが、1時間寝た。物理的には、仕事時間が短くなるのでどうかなと思ったが、かなり体と意識がすっきりした。これは効果がある様子。クリアになった頭で仕事を見ると、課題はそんなに複雑ではなかった。なんだ、という感じ。これからも、時々試してみよう。
職場で、次々と職員が風邪を引いて休む中、私は、今年まだ風邪を引いていないのだった。タートルネック、ネックウォーマー、体温調節のために服を着たり脱いだり、マスク。時々抗生剤。うがい薬。そしてプール。どこまで行けるか?
ラジオで、免疫力を上げるには、朝起きて1杯の水を飲むのと、1日に2リットルの水を飲むこと、と言っていた。何で水なんだろう?でも、それが癌を避けるための有効な方法なんだそうだ。
いろいろなやり方があるものだな…。
それよりか、もう寝よう。
それが一番大切なことなのだった。
2008年12月18日22:44
先入観
今の事業に応募してきた、同じ建物内にある事業の職員。何だか人をバカにしてるみたいにニヤニヤ笑うし、いい加減そうだし、嫌な奴だな、と思っていた。けれども私は募集主体なので、感情をセーブして、丁寧に接していた。
仕事が進まず、グッタリとベンチに座っていたら、帰り際の彼が来た。
つながらない下手な世間話をして、立ち上がった彼が、何だか遠回しな言い方で、「僕も身障手帳持ってるんです」と。
あの抜けた感じは、頭の打撲が原因の、高次能機能障害だった。視野の半分が曖昧で、人の名前等が記憶できずに、ボイスレコーダーを持ち歩いているそうだ。安全帯をしないで電柱に昇って電気工事をしていて、感電して、5メートルの高さから落ちた。
多分生死の境をさ迷い、その後のリハビリも生活も、悪夢のような苦しみだったろう。自分の先入観と浅さを、恥ずかしく思う。今までいい加減に接しなかったことが、かろうじて自分への慰めだ。
お互い苦労するな…
生きてさえいれば…
短い言葉で知った事実で、私の中の全部が変わった瞬間だった。
2008年12月22日3:11
2週間
新規事業の、最初の山場の2週間が終わった。記憶の中では、空白のようになっている。怖くて緊張して、日々をこなすのにせいいっぱいで、自分を取り戻せていなかったから、記憶にちゃんと残っていない。こういう体験は珍しい。
怖いのは、事業そのものではなくて、新たに出会った20人の知らない人。いろいろな要求をしてくるし、いろいろな利害がある。私は、親しさの表現を振りまくようにしていたと思うけれど、気持ちのどこかでは馴染めない。彼らは、要求してくる人たちだろうから。
最後に徹夜することになってしまったのもあってか、時間感覚も狂っている。最終日の夜中、相当焦っていた。間に合わないかもしれない、というのは久しぶりだった。明け方になるにつれて、あきらめた。これはもう眠る時間はないな、と思ったし、朝までかけて形になる、ギリギリのラインだろうなと。
終わって、気持ちのどこかが少しピンと張ったまま、いろいろな場所で、いろいろな形で小刻みに眠ったり、ぐったりと長時間眠ったり。疲れているから休んでいるというよりは、これまでの体験を、気持ちの奥底に沈めて忘れてしまうためのような眠りだった。
今、やっと少し自分を取り戻しつつある。ああいう体験を経ると、私はどう変わるのだろう。もう、あまりしたくない体験だな。途中途中でも自分を保ちつつ、ちゃんと判断し続け考え続けて来たのだけれど、どうしてか、自分がそこにはいなかったような気がする。何でなんだろう。
2008年12月23日14:51
深くて長いプール
国立のプールに、リハビリで行ってみた。そこは深さ2・2メートルの50メートルプール。コース数も10以上ある。
広大な水が、いつも行くプールとは違う波立ち方をしている。水深によって、水の揺れ方が違うのだろう。水は重く、青色も濃い気がする。
その長い長いコースを、フィットネスクラブに来るのとは、ちょっと動機が違う水泳選手のようなストロークの人達が、泳いで行く。岸を離れて泳ぎ出す背中を見ていると、トライアスロンで海に泳ぎ出す、覚悟と孤独感を連想する。
足が着かなくて、向こう側のプールサイドは、壁の様に高く上がることはできない。コースには鉄柵があり、逃げ場はない。泳ぎに自信がなければ、危険なコースだ。
一往復だけ、泳いでみた。向こうまで行けるのか、自力で戻ってこれるのか。少し緊張する。泳ぎ始めて10メートル付近で、水底に急な傾斜があり、そこから先は、ずっと最深の2・2メートルになる。深い。海で見る海底に似ている。それが嬉しくて、ワクワクする。本物だぁ、と思う。片道行って、手を高く上げてかろうじてプールサイドにつかまる。少し休んで、引き返す。
泳ぎ切って帰ってきただけで、充実感がある。いつもの距離なのに、何か冒険をしてきたような気分。
2008年12月31日23:07
2008年 おわりの気持ち
去年、何を書いただろう?すごく何かを望んだわけでもなく、少しだけ、新しい一年に期待しただけだったような気がする。とにかく平穏に日常が過ぎて欲しい、と思ったはず。すごく疲れていた記憶がある。
今年も、新しい年には何も望まないよ。この年末も、去年みたいに体調を崩していたけれど、去年と違うのは、今、気持ちが満たされていること。すべてが満たされているから、新しい年に何かを望もうとは思わないんだ。
そして、もし、今ある何かが崩れたり失われたりすることがあっても、私の心の自由は、決して奪われることはない。そう思える。
今年、大切な人にたくさん出会った。たくさんの人と、一緒にすごすことができた。だから、今年を乗り越えることができたんだ。
最後の最後に、熱を出して、吐いたりしてもうろうとした数日を送ったけど、それは、あまりにも激しかった一年に耐えてきて、最後にオーバーヒートしたみたいだった。
眠り続ける中で、いろんなものが淘汰されて、再び私の体だけが残っていた。そのことを忘れずにいればいいと思う。無意識の中でさえ生き続けようとする、私の中の力を信じたい。そして、自分を大切にしたいと思う。同じだけ、人を大切にしたいと思う。
忘れることができない2008年
自らの意思で刻む2009年