よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2008年7月]メンタルと疲労のコントロール

2008年7月1日 0:39

[リハ]Run   

1800歩。 



2008年7月1日 1:11

バイクなのか自転車なのか  

 バイクもだいたい車種も決って、そこで止まってしまった。はたしてバイクでいいのだろうか、と思う。バイクには乗れるのはわかった。バイクは時間を短縮して、プールに行くための手段。手段にすぎない。

  朝歩いて職場まで行くことで体調を保っている気もする。車で行った時には体調が優れないことが多い。それは週末のことが多いから、疲れがたまっているからなのかな。バイクに乗ったら楽なので、安易に全部バイクになる気がする。


 自転車は、うまく乗れなかった。足がペダルを踏み外して、前輪に当たる感じがとても不快だった。でも、できないということは、リハビリ上のテーマがある、ということでもあるのかもしれない。できないということは、たいてい機能訓練の余地が残されている。

 ペダル位置をうまく足でつかんで、足を真っ直ぐこぐ練習をすることで、何かが変わるかもしれないと思う。本当に乗れないのか?慣れれば乗れるのかもしれない。そう思うと、思い切って自転車通勤にしてしまうのもいいのかもしれない。

 雨が降ったらバイク、帰りにプール。晴れたら自転車。というのはどうかな?

 やっぱり走るのは、ちょっと無理があるかもしれない。左ひざの内側が、何だか痛いのに気づいた。足に負荷をかけない有酸素運動を考えなきゃな。

 


2008年7月1日 19:31

 眠り浅い  

 珍しく眠りが浅かった。明け方に何度も目が覚め、寝苦しいまま寝てたら寝坊した。一人事業なので、特に業務に影響ある訳でもなく、一応職場に連絡してから昼前に出勤。

 左足はフラフラするが、今はこれが標準か。歩くと、体調はそこそこにいいので、午後は少しまともに仕事した。

 そして帰りに、職場のある駅の近くの区民プールに行ってみた。空いていて過ごしやすいプールだった。なにより、明るい内に泳ぐのは気持ちがいい。何だか短時間労働の一日だった。まるでリハビリ中みたいだ。

 

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2008年7月2日 0:12 

[リハ]Run  

1400歩。



2008年7月2日 1:07

[リハ]特殊靴下導入!  

 何週間か前に登山用品店で買って忘れていた靴下を、今日は履いてみた。全部で3つあって、昼間一日履いていたのは、少し厚手の5本指の靴下だ。履いた感じはしっくりくるのだが、左足の感覚障害があるので、刺激が正しく伝わらない。「触れている」が「痛い」だったり、「擦れている」が「少し熱い」だったりするので、指の間にしっかりとはまった靴下は、ちょっときゅうくつな感じで痛い。足の指の間まで感覚を丁寧に刺激されているようで、何か効果があるかも、と期待する。指どうしが靴下の中で勝手にスライドしてスリップするという感じはないので、足先は踏ん張れる感じがある

 夜の歩く(走る)練習の時に履いたのは、繊維の編み方とサポート力で、足のアーチを保護するというような靴下。といっても、サポータほどの保持力があるわけではないので、触ってみると期待が薄い感じ。各部分の繊維の編み方によって布地の色が変えてあるので、なんだかオシャレな色合いのパッチワークのようになっている。

 履いてしばらくは実感がなかったのだが、走った後にストレッチをして、改めて履いてみると、しっかりと包むように足にフィットしているので、意外といいかもしれない。筋肉を補うというほどの効果はないようだが、適度に締め付けている感じが、均一に足の表面に圧をかけていて、しっくりくる。靴下が動かない、ぶれないというのがいいのかもしれない。

 もう一足は明日にでも試してみよう。

 病気療養に要する経費は、全部確定申告するために領収書を切っている。山用品店で、ただし書きを書いてもらうときに、「何て書きますか?」と聞かれ、「リハビリ用品」では店員さん納得しなさそうだし、領収書にどうみても山用品店の名前は入っているし、「靴下」ではただの洋服になってしまい経費として認められなそう。で、思いついたのが「特殊靴下」という名前だった。少し考えてから、「特殊靴下って書いてください」というと、店員さんもちょっとニヤッと笑って、「わかりました。「特殊靴下」ですね」と言って、丁寧に書いてくれた。二人とも納得する名前。山用品屋さんとしても、なにかすごいものを販売している感じがするのではないかな。

 そんな訳で、明日は「特殊靴下3号」登場なのだ。岩肌を突き破って登場し、空に飛んで行きそうな雰囲気の名前だな。


2008年7月2日 1:12

[メンタル]落ちていない  

 理由はわからないが、昨日、今日と、気持ちが下がることがなかった。日中から夜まで通して、落ちていない。なんでだろう?

①天気のせい
②体を適度に動かしているから(運動効果と気持ちの満足)
③避けていた本事業の計画に取り組み始め、潜在的なストレスが軽減された
④土日ゆっくり休んだから
⑤睡眠時間が多少長い
⑥体が薬に慣れてきた
⑦体の状態に過敏にならなくなってきた(不安定が標準)
⑧本を少しずつ読んでいる(気持ちの自由の確保)

わからないなぁ。 



2008年7月2日 23:15

立体思考法の本  

 香山リカの立体思考法の本を読んだ。立体というのはRReality)、IintelligenceInformation)、FFantasy)の3つの軸を使って考えようということだ。3次元の座標軸(水平面に直角に交わったRI軸と、その交点に垂直に交わるF軸)のバランスを意識しながら物事を考えることで、頭のモヤモヤがクリアになるという考え方で、著者は精神科医でもあるため、心理の概念も背景にはあるらしい。

 RReality(現実)であるが、「現実はそんなものじゃない」というような社会の厳しさみたいなことではなくて、精神医学の領域の「現実検討能力」(現実をあるがままに見聞きでき、合理的な判断をして、適応的な行動をとる能力)にいう「現実」ということである。

 幻覚や鬱によってもこの力は損なわれ、リアルが歪められる。また、リアルが変容する疾患として離人症が紹介されている。

 本の中では他に、最近の傾向として多い、「薄い離人症状態が途切れずに続いている人」が取り上げられている。この人たちは、どれが現実や自分なのか、気にしないという。ま

 た、そういう状態に危機感を感じて、現実を求めようとする「ぷち離人症」の人もいるが、「ふつうの現実」が移ろいゆくものとしか感じられない彼らは、ネットの中のつくりものの現実や、完結した趣味の世界などの過剰な現実が、拠り所に選ばれる傾向が多いという。

 ネット空間(p-リアル)には本当の意味での他者が存在せず、ネットの中で利用者の空想は際限なく広がり、自分がそこを支配する万能の人間になったような錯覚を抱く。このため、自分の一方的な意見や感情が肥大し、感情的な爆発を起こしやすいのだという。ここまでいかないにせよ、ストレスを抱えた状態で現実感がなくなったり、そこから逃避するために、自分がいる現実とは違うp-リアルを自分の現実と信じ、決め付けている人は多くいて、そういう状況に陥らないために、客観的なリアルを見すえ、きちんと検討する力を身につけなければならない、と結論づけられている。 

 具体的なRの存在として、お金、仕事、衣食住、実績・業績、結果、まわりの評価などがここに位置づけられている。これらの単語の分類と「現実検討能力」とはちょっと合っていないと思うのだが、このようになっている。具体的にイメージしようとするとこうなるのだろうか。

 IIntelligence(知識)、Information(情報)に多少のImagination(想像)が加わったものと定義されている。他の章では、技術、予想・察知する力、分析力、冷静さなどの言葉がこの項目に分類されている。

 FFantasy(空想)、Feeling(フィーリング)を指す。空想、妄想、想像、直感、思いやり、他者理解、夢、理想、情熱などのキーワードがここに分類されている。Fにのめりこみすぎると、いつの間にかリアルからはるかに遊離した超Fに足を踏み入れてしまう危険性があり、常に自分のFのポジションからリアルが見えるかを確認しながら、時々他者に自分のポジションが大きくずれていないか確かめるのもよいだろう、とされている。

 自分がどの軸を軸足として考えたり感じたりしがちなのかを認識し、3軸をバランスよく使った立体思考を行うようにする。そして、どの軸やどの平面からも登場する「感情」という第4の要素のコントロールも必要だ、と説明している。

 感情は自然発生するものではなく、何らかの刺激がきっかけとなり生じるが、「出来事や刺激」と「感情」の間には、「どうとらえ、どう考えるか(認知、思考)」があり、その結果感情がアウトプットされるというのが認知療法の考え方だ。

 感情は意識的感情(Feeling)を大脳皮質がつかさどり、身体感覚と関連した無意識的な感情(emotion)は皮質下がつかさどり、自律神経系、内分泌系、骨格筋等の抹消組織も関与している。感情のコントロールが難しいのは、これらいくつもの部分を同時並行的にコントロールするためと考えられている。

 逆に、この複雑さを利用して感情をコントロールする方法が認知行動療法と呼ばれるものであり、感情を抑えるのではなく、瞬間的にものの見方を変えたり、行動を変えることで大脳皮質と皮質下の有効な相互作用を促す方法を取る。簡単に言うと、人はそれぞれ思考パターンのクセがあるので、それを修正することで一時的な感情が発展しないように抑えることができる。

 その方法はただ一つ、徹底的に自分の行動や感情を書き出して、クセを知ることだという。認知療法で問題となるクセは、いくつかのパターンに分類される。特にイヤと思う出来事があったときは、それを構成する具体的な気分を書き出し、パターンと照合する。そうすると、こう感じるのは仕方がないと思っていたはずのイヤな気分にもパターン化されたクセが強く関係していることがわかる。それを客観視できるだけで、相当のイヤな気分は解消されるらしい。

 10のパターンというのは①全か無か思考②一般化しすぎ③心のフィルター④マイナス化思考⑤結論の飛躍⑥拡大解釈(破滅化)と過小評価⑦感情的な決めつけ⑧すべき思考⑨レッテル貼り⑩個人化である。

 また、記憶についても書かれており、成功体験は毎回新しいパターンや独創的なパターンを生む必要はなく、うまくいったらそれを反芻して、自分の記憶に刻み込み、次の時もまったく同じように再現できるようにすること。固定化された記憶や誤った先入観で思考を妨げないためには、事態に直面した時に「前はどうだったか」と問いかけるのと同時に、勢いや緊張感を持つために、「これは自分にとって初めての経験だ」仮定する二重人格方式が有効だという。

 立体思考するというのは、ベストな答えをひとつ導くことではない。いま自分がどこにいて、どういう状況で何をしているか。このまま進めば何が待っているか。それを少し距離を置いた地点から眺めて、自分を平面の座標軸にではなくて、空間の中に位置づける思考。

 う~ん。この場を借りて本を見ながら整理したけれど、やっぱりまだストンと納得していないのだと思う。よく理解していない。結局立体とするのは、3要素をを通して考えるのではなくて、もっと広がりを持って位置をとらえ、発展させるためのイメージの仕方なんだと思う。

 もう一度、自分の考え方にあてはめて考えてみよう。 



2008年7月2日 23:22

少し疲れている  

 今日はとても暑くて、朝から汗をかいた。そして冷房で冷えた。日中は新事業の件で職員と2時間の打ち合わせをした。そして何だか疲れたのでプールはやめた。

 でも、早く帰ると食事準備をするという生活パターンで終わってしまうので、駅前のドトールに寄って、約1時間本を読んだ。これはいい時間の使い方だと思う。家に帰ったら本をなかなか読めない。そして、まとまった時間を作れたらとかいつも思うのだが、そんな時間はそうそうできるものでもないので、こういう細切れ時間を使うことを考えれば、結構豊かに楽しく暮らせるかもしれない。ドトールも、冷房が寒かった。これからは長袖を持ち歩くようにしよう。

 特殊靴下3号はしっかりと締めつける繊維で、朝はサポート力に感心していた。かなりしっかり足が固定されて、ぶれずに前に出る。午後になったら、ちょっときつすぎて(歩いていない時に履くと強く作用しすぎるのかも)ぴりぴり足が痛んできた。元々、刺激をすると痛みや変な圧感が来るのが今の状態なので。当然といえば当然だ。使い方を考えよう。長く歩く時にはいいんだと思う。

 今日もメンタルは落ちていない。が、新しい事業企画と打ち合わせはちょっと疲れた。



2008年7月2日23:46

[リハ]Run  

1000歩。 



2008年7月7日 1:33

自転車買った 

 結局、以前に日記の最後に写真を載せたマウンテンバイクタイプの自転車を、土曜日に買った。前の日の夜に、ややうつ状態のまま夜自転車屋に立ち寄り、店員の若い女性の応対に一方的にムッとして帰りかけたのだが(たいてそういうときは、「また来ればいいや」と心の中でつぶやいている)、また来る手間を考えると、とても能率が悪い気がしたので、思い直して再び自転車屋に戻った。

 足の状況を説明するのが面倒で、相手のいろんな反応にも過敏になったりムッとしたりするので、そういうのが嫌なんだと思う。今は、私は一度割り切ると、結構人当たりの良い人にもなれるという、超日内変動の性質なので、普通に丁寧に説明をして、何台もの自転車を試乗させてもらった。

 一応どれも乗れ、ママチャリも意外に快適で堅牢そうで、かなりグラッときたのだが、最後はやっぱり夢を貫きたいのでマウンテンバイクを買ったのだった。

 サドルの高さと足つきの関係が、少し足の感じに対して違和感があるのだが、バイクの時と違って、これは自分の体をフィットさせられる範囲だと思ったので、そうした。慣れとリハビリ次第かな、と思う。それと、自転車は、その店員さんが生まれる前から乗っている位に長く乗っているので、体が何とかするだろうと思う。私は、完全に細かい部品にまで分解して組み立てることができるくらいに、自転車とは親しい存在なのだから。その日は買わずに、帰って疲れ果てて倒れるように寝て、次の日の午後に買いに行った。

 買って車に積むまでの間、少し大回りして走ってみて、ご機嫌だった。たぶんニンマリとしていただろう。風が顔に当って涼しいのが心地良かった。自分の足で軽々と前に進んでいる気持ちが充実していた。

 夜遅くなってしまったので、その日は自転車を車に積んだまま下ろさずず。前に乗っていた自転車の色々な部品が家にあるので、帰ってから引っ張り出して眺めたりしていた。部品を組み付けたり外したり、しばらく楽しめそう。

 今日は、家から車で20分くらいの所にある大きな自転車専門店に、後ろのキャリア(荷台)を買いに行く。そういう目的があれば、早くに起きて出かけられるのだった。その後、車で大きな公園に行き、駐車場で工具を出してそれを何とか組み付けた。ちょっと傾いているが、実用的には大丈夫かな。とにかく暑かったので、のんびり作業するという雰囲気ではなく、汗と蚊にまみれながら作業をしていたのが残念だった。もう少しゆったりとした気持ちでやると、すごく好きな作業なのだが。少し走ってみて、ブレーキとギアに不具合があったので調整した。

 で、今日は夜が雨になる予報だったので、濡らすのがいやで、また車に積んだままにしておいた。一向に家の周りで走ってみるところまでいかないのだった。お楽しみを先延ばししている感じだ。明日はペダルを古い自転車のと交換して、荷台に、前に使っていたバッグを付け、そしてライトを古い方から移植する予定。 



2008年7月7日 1:36

明日講師  

 久しぶりに、今いる職場の研修で講師をやる。先週後半からそのことが気になって、落ち着かない。休み前に資料は大体作ったものの、少し資料作成を残しているのと、どう進めるかを最後まで詰めていない。それが気になりつつ休日を過ごしたので、気持ちが落ち着かず、ずっと気持ちのどこかが小さく焦っているような感じで過ごした。そういう時は、気持ちに余裕がない。


2008年7月7日 1:43

暑さとイライラ  

 昨日、今日は、暑かった。特に今日は蒸し暑かった。これが体調にどの程度影響するのか。ティシャツがびっしょりになるほどの汗をかいていた。何だかイライラする。それは天気のせいなのかは、わからない。

 そして、イライラしてくると、足の不快さで更にイライラが募る。「正座した後でしびれている足に思いっきり何度も触られる感じ」に更に不自然な強い痛みを加えたような感覚が、常に続いているので、気持ちが落ち着かない時に、足元にある物に引っかかったり、何かを踏みつけたりすると、相当不快で、蹴飛ばしたくなる。床に座れば強烈に痛いし、狭いところを通ったり、高いところや車の中のように遠い所にあるものを取ったり、何かをよけるのができない身体バランス。そういう場面ではものすごくイライラする。自分の体が嫌になる。でも、この体をやめる訳にはいかないので、あきらめる。そんなことを日々繰り返している。

 もう少し良くなればなぁ。 

 良くなるのかなぁ。

 良くならなくても、受け容れなきゃなぁ。 


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2008年7月8日 0:02

[リハ]Run  

1800歩。 



2008年7月8日 
1:46

新しい居場所  

やや突き抜けた感じ。
ノートに日記をつけるのをしないし、ここに日記も書かない。
何だかやることもたくさんあるというのもあるんだけど、
この非日常の状況が、日常になりつつあるのかな。
そして、新しい居場所の職場で研修をやって、少し存在を認められたかも。
みんなが私に対して笑顔だ。
研修の内容について話に来たり、関連の話題では質問したり。

そうやって、新しい居場所ができてくるのかな。
私は、ちょっと自分をさらした感じで、恥ずかしいのだけどね。

すごくゆっくりと時間をかけて、距離が近づいている。


2008年7月9日 1:25

もっと素直に  

 

 古い友人に会った。

 彼と話していて、自分の気持ちが透明になっていく気がした。多分自分が一番素直になれる人。私は言葉をいろいろ継いで、話していた。久しぶりだから、時間を埋めるように、話して伝えようと思ったけど、言葉はいらないんだと思った。「そんなにいろいろなものを身にまとわなくていいよ」と伝えられている気がした。本当の素直な自分とか、大切なこととか、そんなものだけを見てればいいんだよって。本物は何?って。

 彼の前でさえ、「大丈夫」って気負ってしまう自分が嫌ね。大丈夫じゃないし、泣きそうだよ。そんなに偉くも、立派でもない。もっと素直になればいいのに。黙って彼の前に座っているだけで、そう伝えられている気がした。この感覚を大切にしながら、今からを過ごしてみよう。素直に自分を感じ、生きて、表現してみよう。

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2008年7月10日 2:01

[リハ]Run&靴&自転車  

400歩。

 靴を変更してみた。底の厚い軽登山靴。サポートは良い。足首の固定も良い。底のスパイクゴムが効きすぎて、引っかかって転びそうになるのがちょっと危ない。まだ少し固い。

 自転車を車からやっと降ろした。カバンをつけて、ライトをつけて。ペダルは明日にでも試してみてから考える。明日、駅までにするか、職場まで自転車で行ってしまうか。暑いだろうなあ。 



2008年7月10日 2:07

自分の顔写真のアルバム  

 

以前に作った、SNSのプライベートなページの、自分の顔写真のアルバムを見た。
何を思って作ったんだろう?

子供みたいな表情の自分が写っていて、
辛そうだったり、一生懸命だったり。

何だか切ないな。
がんばっていたんだな。
かわいそうだな、当時の私


自分を大切にしてあげなきゃ。

 

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2008年7月11日 0:25

[リハ]Run  

800歩。 




2008年7月13日 1:35

睡眠不足の影響と疲労  

 おととい、昨日と、夜になって起きていられない感じで、倒れるように寝てしまった。たいていそんな時は、やらなければならないことが気になったままなので、眠りは浅く、時間が多少長くても、疲れはまったく取れていない。

 それが多分原因なのだろう、歩行が不安定でフラフラしている。危ないので、昨日、今日は、走るのはやめた。1月頃にこのような睡眠を数週間続けたあと、病気を発症した。睡眠と今回の病気が関連がありそうなことは、想像している。 


 先週は、外出が多すぎた。それと、暑さの影響があるのではないか。月曜に講師と急な呼び出しによる外出、火曜は一日外で、病院と交渉、水曜の午後に外出。ここまでで疲れを貯めているのに、木曜に自転車で往復し、午前中に既に息切れしたような感じで体が重くて眠い。そして、睡眠が上に書いたような感じ。

 今日は、朝に目覚めてから起きられず、昼に起きて、また寝て夕方起きた。そうすると、食事時間の関係もあって、プレドニンの服薬時間がずれる。3時にプレドニンはまずいが、飲まないわけにもいかない。

 夕方から体を動かし、気持ちをアップするために、大きな町の文房具屋と時計屋に行った。文書を書く練習をするために、気に入ったノートを数冊買った。時計屋では、安いプラスチッキーな腕時計のベルトを買った。帰ってから、ベルトがなかった時計に付けた。

 夜、ストレッチと歩行に出たものの、気力がないので、車で休んで帰宅した。来週早々に車の車検なのだが、暗い中、車のダッシュボードを探すが車検証がない。どっと疲れる。車検が切れると車を自走できなくなるので面倒。車検証の再発行は、陸運支局まで行かなければならないのでは…。それも大変そう。明日、多分暑い中、車の中を捜索しなければ。 



2008年7月13日 1:49

本「魂の文章術」  
 

 「魂の文章術」という本を、何週間か前から読んでいる。数冊買った文章の書き方の本の内の一冊。他の技術的なことを書いてある本と違って、エッセイのように、やわらかい文章で、著者にとっての文章を書くことや体験について書いてあったので、選んだ本だった。読みながら、外国人が書いていることと、女性が書いていることに気づいた。アメリカ人(だと思う)だが、長いこと現地で日本人の師匠について座禅を学んでいる人らしく、文章の話の端々に座禅のようなとらえ方が見える。

 まだ半分しか読んでいないが、(その上、寝る前に読むので本の上に伏せて寝てしまうことが多く、内容が記憶に残っていないことも多いのだが)、多分この人は、文章を書くことは、自分の深い部分にたどり着くことであり、そのためには、書くことは修行である、ということを言っているのだと思う。そして、書く際には自分に素直になり、自分の感覚に敏感になり、自分を大切にする方がいい。自分は唯一の大切な存在で、毎日の時はかけがえのない輝きだから、すべてが書くに値する大切なことなんだ。そんなことを言っているんだと思う。

 今まで、私はいろいろな形で書いてきたけれど、人に伝えるためではなく、自分のためにどれだけ書いたか?そして表現するという行為として書くことを突き詰めたか?量は書いているが、書くことへの厳しさはなかったように思う。書く練習もしていない。忘れないためのメモとして残す日記や手帳、誰かに伝える(または目に触れる)ことを前提にした日記、ノートの書き残した日記、これらはどれも表現として突き詰められたものではないと思う。もう一度書くことをちゃんととらえて、やってみたい。そして、自分の生の限界や期限を意識し始めた中で、自分を表現することと残すことを、今やっておきたい。 



2008年7月13日23:07

車検  

 今週末で今乗っている車の車検が切れる。車を売るとか、新しい車を買うとか、そういうおおごとはとてもエネルギーが要るので、仕方なく車検に出した。走行距離が10万キロを超えるので、そろそろ徐々に壊れ始めている。車検には15万円くらいかかるので、車検を通してしまうということは、またしばらく乗り続けることになるのだ。更に今回は、車検前のチェックで、前の2輪のタイヤが磨り減っているので車検が通らないことがわかりタイヤ交換、5万円の出費が加わった。これはあと2年乗るしかない、という状況になってしまった。

 今乗っている車は良く走るし、どんなガタガタ道でもガシガシと進んでいくので気に入ってはいる。少し後ろの席が狭いかな、と思う程度。トラックを中心に作っているメーカーの車なので、元々エンジンは丈夫で、エンジンが壊れる前にボディが壊れると言われている車だ。今までに大きなエンジントラブルはほとんどない。小さい故障は長く走っている車なので少しずつある。

 一番目立つのは、カーステレオの故障。ラジオのアンテナが引っ込まなくなってしまい、手で戻したら折れた。その結果、ラジオをつけるとアンテナが自動で飛び出してくるのはいいが、折れているものだから、ワイヤーにアンテナの先がぶら下がった状態でブラブラとなり危険。この間思い切ってアンテナのワイヤーごと切った。そうしたら、アンテナが引っ込む際にストップするきっかけができないものだから、アンテナモーターが回り続ける。エンジンを切ってもモーターが回っている。ということは、停車中にバッテリーがなくなるということだ。やむを得ず、運転席下のヒューズボックスを探し、20個以上あるヒューズを1本ずつ引き抜いて、アンテナモーターの電源を切ってしまおうと思った。黒ヒゲゲームみたいに一つずつ抜いては戻しを繰り返したが、結局モーターが切れるヒューズはなかった。仕方なく、停車するごとにボンネットを開けて、バッテリーのコードをスパナで外すことになった。この症状はしばらく走っていたら自然に治った。
 それから、カーステレオでは、最初にCDが聞けなくなった。入れたCDを読めないばかりか、CDを吐き出さなくなった。仕方なくCDをMDに録音して聞いていたが、しばらくするとMDも聞けなくなった。CDMDステレオは、ただのラジオになった。まぁ音が出るだけいいか、と思って運転中はラジオを聞いていた。するとディスプレーに何も表示されなくなり、そして何の操作もできなくなった。電源を切ることもできないため、エンジンをかけるとNHK-FMが強制的に流れる。そしてそれしか聞けない。音量も変えられないので、ニュースや天気予報をよく聞きたくても音を大きくできない。静かに必ずラジオが流れる車なのだった。聞きたくない「邦楽の時間」とか「古典落語」とかそういうのも強制的に聞かされるという、かなり強引なシステムの車になってしまった。
 他に壊れているところは、ボディの後ろ。どういう訳かカビのようなものが生えている。何度落としても、カビが生える。

 それと塗装の裏から錆が浮いてきているので、塗装が浮き上がっている。

 前のワイパーがあまり働いていない。

 窓をきれいにするウィンドーウォッシャー液が出ない。

 ヘッドライトをきれいにするウォッシャー機能がついているが、こちらは液漏れ状態で、バンパーに洗剤の跡がいつもついている。

 それから、車内の床のゴムマットとか、シートを動かすレバーについているゴムのコーティングとか、あらゆるゴム素材が経年変化で自然分解し始めている。何で車内に黒い塊がよく落ちているのかなと思っていたが、それは床のゴムが分解してバラバラに砕けているものだった。 

 この間はヘッドライトが片方切れた。交換したら3000円かかった。

 そして、とても燃費が悪い。最近テレビコマーシャルでは、ガソリン1リットルで24キロ走るとかいう車の宣伝をしているが、私の車は良くて5キロ、普通に乗ると4キロくらいしか走らない。職場を往復すると、ガソリン代だけで400円。前の職場を往復すると、ガソリン代だけで1000円はかかるのだった。少なくとも10キロくらいは走ってくれよー、と思うのだが、車が古い上に重いので走らない。環境に悪い車である。

 しょうがないなぁと思いながら、あと2年はつき合うのかな。その間に思う存分走り、思い残すことがないようにして、最後の役割をまっとうさせてあげよう。壊れない程度にね。と思ったが、こうなったら直しながらもう走れないというところまで乗り続けようかな。毎日通勤に車を使うわけではないので、ガソリン代の高騰といってもたかが知れている。一応ちゃんと走り、車としての役割は果たしている訳だからいいんじゃないか、そんな気もし始めたぞ。 



2008年7月15日 0:53

文章修行  

 本「魂の文章術」を読んで、文章修行を始めた。具体的には、今日は帰り道の途中のマクドナルドで1時間、ノートに文章を書いた。今までと違うのは、人に見せることを前提にしていないこと。そして、本にあるように、思考のコントロールを働かせないこと。自由に、自分だけのために書いてみた。
 書く文章は、ここに書いていることとさほど変わらないのではないかと思っていたが、好き勝手に気持ちのおもむくままに書くので、人前では書かないだろうと思われる素直な言葉を少し書いていた。テーマを自由に決めて書いたり、あらかじめ書きたいテーマをメモしておいて書いたりするのがそのやり方だ。ただ、ルールとして、書き始める前に何を書くかを決めないやり方をする。結論も筋道も自由。
 やってみると、話がどんどん展開してしまい、自分の想像していなかった所に行き着いた。それと、感覚的な表現で、五感を使った自分の気に入った表現がいくつかあったように思う。それを膨らませていけばいいんだろうなと思う。推敲も書き直しも、誤字脱字の修正もダメ。とにかくひたすら書くというのがこの修行なので、ひたすら書いてみよう。

 ちなみに、今回の展開は「今一番気になっていること」という題名で、

 「ここ数日の左足のしびれ→自転車がいかにすばらしいか→自分の体の不完全さ→眠り→病気の元凶は?→年明けのストレス→対人関係→そのルーツは→考える際の癖をもしかしたら変えた方がいい?」というような展開だった。

 何だか自分の深淵を探るような感じになっていくのが意外だった。自分が好きなものについての表現はみずみずしい感じで書けることがわかった。