自分の足で走りたい
看護師 伊藤さん、金子さん
2008年5月7日(水) AM2:30
一時帰宅してわかった体のこと
家に帰った。そしてまた戻って来た。
戻る時間がちょっと遅くなり、すみませんでした。ちょっと気がのらなかったもので…。外の世界は刺激的でした。危険もいっぱいあるけど、自由もいっぱいあるね。
病室に戻り、真新しいシーツのこの場所はひっそりとしていて、とても静かです。
隣のじいちゃんのところから聞こえる水音は酸素かな。具合あまり良くないのかなってちょっと心配です。この間熱出してから、気力がとても下がっているのをカーテン越しに感じる。がんばれ。
向かいのじいちゃんはテレビがほんとうに好きみたい。テレビをつけては寝る。あと食べるのも好きみたいで、夜中ににも色々食べてるなぁ…。
そんな私もカーテン部屋の住人で、今日帰って来たのでした。
そして眠くない。あたりまえか…家で寝すぎです。
さっそくNs.伊藤に2時のラウンドで、「不眠」とチェックされたかな?
家に帰ってみると、まず食事のペースと量、内容が、病院食の私と全然合わず。かなりカロリーに気をつけているので少食なのが、周囲にはとても心配なようす。説明しつつ、おつき合いもあり、モリモリ食べて見せる。結局、外食以外は自分の食べやすいものを、毎食全部自分で作って食べた。
それから、生活のリズム、特にリハビリの時間が合わない。毎朝体を伸ばし、日中もそこそこ体を動かしていないと、体が固くなるのがわかる。今は、リハビリに休日はないな…と思うんだけど、周りは、せっかく帰って来たのに…と思う。で、ちょっとサボって、今日歩いたら、左足が軽い肉離れ。
今回家、のまわりを歩いていて、これはずい分孤独な作業だなぁ、と思う。まして退院したら、日中は家に一人でいる訳で、誰とも口聞かないことになる。病院にはナースもドクターもPTもいて、ベンチに行けば知り合いもたくさんいる。退院後、どうしよう。気が滅入りそうだな…。前途多難な在宅リハビリ…。
家に帰って外を歩いてみて、大丈夫なこと、苦手なことがよくわかった。
特に苦手なのは、
・下り階段…左ひざ下の筋肉の固さと、左ヒザの保持力、ステップの位置が不随意
・ゆるい長い上り坂…視覚補正不足と、足の運動との不一致
・疲れてきた時の左足の運び…歩行フォームが崩れている。左不随意運動的
これらを入院中に修正する。
それと、体の状態の正確な評価が欲しい。どの感覚が障害されているのかがよくわからない部位がある。自分の体と今後を描く地図みたいなもの。カルテ。
で、今後目指したいのは、走れるようになること。小型バイクに乗れること、自転車に乗れること、海岸の岩場を歩けること。
「体がこうだからできない」はやめる。やりたいことならば、できるようになればいい。完全にできないならば、補助具を使えばいい。
今日はちょっと前向き。
またパルス始まるのかな。憂うつだ。
腹へった。夕食キープが効かない時間に戻ったからな…自主食止め状態。
2008年5月7日(水) カーテン部屋の住人に戻った
病院に戻って来た。カーテンの向こうに、新しく交換されたシーツの広がる空間が広がってて、ここが君の居場所だよって言われてるみたいだった。この狭い空間がね、今の私の場所なんだ。ちっぽけな世界だよ。
向かいのベッドのおじいさんはちょっと人見知りする人で、私が戻ってきたら、カーテンの間から、少しの間のぞいてた。
となりのベッドのおじいさんはどうやらあまり調子が良くないらしく、酸素吸入用のボンベの水の音が聞こえる。この間熱を出してから、多分娘さんだろう人との会話の中でも気力が落ちているのがわかる。
夜、消灯後にカーテン越しにそういう人の気配を感じる、そんな場所だよ。病気や死がいつも身近に、隣り合わせにある場所なんだ。それぞれが、生と死を見つめているような空間。
外から、自力で歩いて帰って来た私は、この空間には動的すぎて、ちょっとなじまない。もしかして、ここはもう私の居場所ではないのかもしれないね。
今日、病院に戻るのにちょっと気が進まなくて、というよりは、外の世界が刺激的で魅力があったから、外出終了予定時刻を電話で2時間のばし、更にその時刻から40分遅れて戻った。それで、ちょっとナースステーションがスクランブル状態になり、家にも電話が行っていたらしい。そう、私は患者であり、病人というくくりの人なのだ。だから、左腕にはバーコードが巻かれているね。
夜中に起きて手紙を書いていれば、ラウンドの看護婦にチェックされ、不眠&睡眠薬処方になる訳。夜中に手紙書いててとがめられる生活はノーマルじゃないよねぇ。外には危険もたくさんあるけど、自由もたくさんあるね。
明日から治療がまた始まる。点滴は、イチかバチかのダメ押し。
3日間、血管に挿入されたラインに拘束されるので不快。その間、ステロイド効果を出すために、意識して安静にしているのも嫌。体なまって、一刻も早くリハビリを開始したいし、リハの課題もはっきりしてきているので、残りの期間で取り組みたい。そういう焦りもあるので、今回の点滴はあまり乗り気でない。唯、右足の感覚が少し戻りつつある(気がする)ので、あとわずか、良くなってほしい。ちょうどアクセルを踏めるかの境目のところなので。
今回、自分の住んでいる地域で歩いてみて、わかったのは、外を歩いてみると、思ったより歩みが遅いこと。それと、歩くフォームが崩れていること。
一方で、時間をかければ歩いて移動できることもわかった。「歩けるようになる」、はもう目標ではないのだ、と思った。目ざすのは、走れることと、岩場を歩けること。この足の条件ではできない、と可能性を自分で狭めるのではなくて、もう一度風を感じたいのなら、ステッキをついてでもいい、自分の足で走れるようになる。
それと、自転車に乗れるようになり、エンジンつき自転車モペット(ほら、ラウンドのナースが来た、今、AM2:12)に乗れるようになる。そのために、自分の思った位置に足を出せるように、正しいフォームで歩けるように明日から矯正する。
そして、長い目で見たら、点滴はがまんの時。それから、病院にいる間に、自分の体のカルテを作る。いったいどこがどうなってしまっているのか。それはこれからを描く地図のようなもの。
それから、明日やるのは亡くなった職員の労災申請の資料作り。これを全力で早々にやる。今回はひと工夫する。
明日の夕方、弟が来る。会うのは久しぶり。会ったのが何年前だったかも思い出せないくらい。楽しみ。気心が知れた友達というか、分身みたいな存在なので面白い。
本かCDを持ってくというので、リリーフランキーの東京タワーを、と言ったら、それはやめて、リリーのラジオ番組を録音したのを持って来るらしい。CDは、ボーカルありで激しくないもの、それとお勧めを適当にと伝えた。多分彼なりに色々と考えてMP3のCD-Rにギッチリと曲をつめ込んで来るに違いない。彼は自分で気に入ったものしか身の回りにおかず、そのし好と選ぶ目は確かなので面白いのだ。
彼が私や病気をどう感じるのかも興味がある。
世間はゴールデンウィークが終わり、明日からは平常のペースに戻るらしい。外出や遠出の選択肢を持たない私には、Uターンラッシュも完全に人ごとだった。何でまた人々がこぞって遠くを目ざしていたり、貝を拾いに海に押し寄せたりしているのか、ちょっと不思議でさえある。
私は、明日の大仕事が終わったら、注文していたマイステッキが届くので、革でストラップを作る。そのための金具を買っていて、今日は帰院時刻違反だったのだ。
病院に戻るにあたって、荷物をリュックにつめた。つめたものの、重すぎて本などを外さざるをえなかった。それでもかなり重くなってしまって、ヨレヨレのバランスで歩いてきた。それもあってか、左足ふくらはぎが軽い肉ばなれ気味。
明日もあるので寝よう。
AM2:40
看護師 伊藤さん、金子さん
2008年5月8日(木) 朝6:50
前向きになってから、すぐ落ち込んだ
来週の月~水がパルスになりそう。右足に感覚が戻ってきているような気がする。もう少し良くなってくれるといいな。来週末退院か?
自分の体のどこがうまく動いていないのかがいまひとつよくわからないので、今度Dr.Kに話をする時間を作ってもらうことにした。Dr.Kは育った地元が一緒で、歳も余り違わないのを、この間知った。そして、彼の高校と私の高校は、毎年交流活動をしている、とても仲の良い学校なのだった。優しい人柄の良い人だな…と思う。
PT樋口に、「走れるようになりたい」「自転車に乗りたい」と言った。ちょっとあきれて、困ったような顔をしていたけど、30分間くらい私の体について説明してくれ、自転車のマシン等も試してくれた。自転車は…ペダルの位置を足でつかめないのだった。感覚障害だから仕方ないか。
自分の思った通りの所にステップを踏めるよう練習を自分で始めたが、樋口PTからは、「動いていない神経を用いた練習になるから、相当厳しい。できなくてショックも受ける覚悟がいるのですすめない」、と言われた。少なくとも、正しいフォームで歩けるようになりたい。
仕事は、どうも降格と、一般職への配転が決まりそう…。
病気だから仕方ないな。一年かけて、この後の生活のことを考えよう。資格を取って、障害者として別の仕事につくことも考えよう。
弟ともそんな話をした。会うのは3年ぶり位か。7つ下で、とても仲が良い。
久しぶりに金子さんに会った。満面の笑顔、ホッとする。となりのベッドにいた吉田さん、金子さんが大好きだった。よく奥さんに金子さんの話をしてた。吉田さんは、よくひとりごとを言うので、思っていることがよくわかってしまった。3月末で異動になるナースがあいさつに来た後、それが辛くて一人で泣いてた。とってもとっても看護婦さんに感謝している人だった。
昨日、一番親しかった喫煙所仲間のおじさん、ゆあささんが退院した。
ちょっと淋しくなるな。
それと、昨日の地震はすごかった。
15Fの揺れ方は大きい。
もっと揺れたら、窓から離れるのか…
頑丈なので倒れそうな気配はしない建物だけど…。
午前10:30
朝ご飯を食べたら、どういう訳か気持ちが急降下。これが日内変動か?次に何かをしようとするのだが、体を動かせない感じ。多分、うつの人の動けない感じはこんな風なんだろうな。これが体の動きとも連動していて、体が重くなって、足元もふらつくようになる。どうしてこうなるのか?そして、どうやって立て直すか?
気持ちそのものが原因だとすれば、今日気になっているのは、①仕事上の降格、配転、②家族の面会予定。
①についての結論をそろそろ出して意思表示しなければならない。降格やむなしは結論としてほぼ出ているのだが、その判断が正しいのかどうか。
②家族(母)は、私の病状とは関係ない所で焦っていたりするので、話すと疲れる。間接的な落ち込みの要因は、親しかった患者がほとんど退院してしまったこと。それで、朝も夜も話す人がいない。笑わない。これは、今後の在宅リハ期間もとても大きな問題。
落ち込むと…
今まで、歩けない所からスタートしてたから進歩してる気がしてたけど、結局、仕事には耐えられないという結論にまでしかたどりついていない。マイナス100がマイナス20くらいまできただけで、0にも届いていない。病院の中でも日々小さい事を見つけて目先を変えてしのいでいるだけ。根本的な問題はなにひとつ変わっていないし解決していない、などと思い、空しくなる。
とりあえずベッド周りの片づけをして、ヒゲをそってみた。それでも→なので外歩いてシャワー浴びてみよう。
2008年5月8日(木)
ダイエット、リハ用具作り、PTとの話、弟
暑い一日だった。そして夜になってオーバーヒートしてしまったのか、1時間近く身動き取れなくなった。投函してなかった手紙を封筒に入れて、封をする、切手を貼ろうとするができずに約30分。ぼうぜんとしていた。
そう、その前にこの間もらった手紙を読んだんだった。大切に持ち歩いていて、ゆったりとした気持ちの時に読みたいと思って開いていなかった。手紙を書いてくれた人の気持ちだけで満たされてしまい、お守りみたいに持ち歩いていた。それだけであたたかい気持ち。手紙の意味ないのではないか…。
気づいたんだけど、自分が前向いて真っすぐ進むのに精一杯で、ちゃんと人の気持ちを受け止められていないかもしれない。人が見ていてくれるのを感じているから、ひたすら前を見ているけど、何かそれだけじゃだめかもって思った。
病院に戻って来てから、一日で色々なことを同時に進めすぎなのかもしれない。朝起きたら、採血あり、半分寝ている時にDr.来たので帰宅中の様子を話し、残りの入院期間で知りたい自分の体のことなどを話した。
その後ストレッチをして、段ボール置き場に行って、箱をもらってきて分解、今までのよりずっと長い「腹筋用マット」を作った。
それから、段ボールのチップをたくさん作って、それを使って廊下でランダムにチップを踏むステップの練習。
カーペットの模様に添って、杖なしで正確なステップで歩く練習。
その後朝食。減量目標に従い、パンをほぼ全量外す。ここまでが朝8:00までのできごと。
その後、コンビニでサラダを買ったり、今日で退院ゆあささんを見送ったり。
それから、フロアに戻ってファイルを持って1Fロビーに、申請書類作成。手書きで書類を作ってから、たまたまいたスタバのスタッフと話をする。
フロアに戻って書類の入力。
その後、うどんの量を調整し、サラダを加えて調味して食べて、再び入力。
13:50リハ室。PTに休み中の様子を話し、自分がしたいことを伝え、感覚神経の説明を受ける。自転車の試行、クツのこと、神経そのものへのアプローチの可能性。
戻って書類入力。その後弟来る。書類仕上げてメール送る。そう、ここまでの間にNs.伊藤とDr.SとDr.Kが別々にやってきたので、休み中の様子を話し、打・触診を受けたのだった。
弟とは気持ちがOnのまんま、体のこと、病院のこと、家族のこと、仕事のことなどありとあらゆることを話し、喫煙所に行き話し、フロアに戻り、どうせだからと私の病院食を2/3くらいあげて、一緒に食べた。
その後アイスも食べに下におりて、結局3時から9時までいて、帰ったのだった。仕事のことと、今後復帰することを心配していて、対人援助職の職場にうつが多いので、そのサポートをしては?と妙に適確なことを言っていた。というのも、今つき合っている人は臨床心理士らしい。
「自宅療養期間中に車で来るから、一回出かけよう」と言って、帰っていった。CDは、自分がアレンジしたプロ歌手のものなど12枚を、CD-Rに録音して持って来た。タイトルは、くるり、高木正勝、タテタカコ、Polaris、capsule、Arthur、indigo blue、シュガーベイブ、スネークマンンショー、より子、リリーフランキーラジオ、Best。タイトルが白いCDに一枚ずつ、太いマジックで汚い字で乱暴に書いてある。「一応ちょっと考えて持って来た」らしい。Polarisとcapsuleが彼のアレンジなのか?どれも聞いたことないのでさっぱり区別がつかない。
話をしていて、やっぱり昔から知っている友人と話しているみたい。考えることがよく似ているので、自分の分身と話しているみたいだ。会ってない時間を取り戻すみたいに話すし、彼は会話のテンポが速いので、気が抜けず、長い時間息つけず、ちょっと疲れた。
看護師 伊藤さん、金子さん
2008年5月9日(金) PTに救われた
昨日は、午前中は書店の本を色々ながめていて気をとり直し、何冊かを買って満足、その後ベンチで、少し話して笑って元気になりました。
そして、野口PTが、少し体に負荷をかけようと言って、自転車のマシンを使わせてくれました。私はペダルにちゃんと足を乗せられないので、本物の自転車は難しいとは思うけれど、目的は心肺機能の強化とのことでした。
でも、実は本当の目的は別の所にあったようす。終わった後に、「思い切り体動かしたかったんでしょう?」と言われた。そうかもしれない。歩くにしても不安定なので、思い通りに体動かせない。量にも限界がある。だから、絶対に転ばない、倒れないという条件で、無心に心肺の限界まで体を動かせるのは、すごく気持ちの良いこと、発見でした。相手を見てそれを思いつける野口さんはすごいなぁと思います。
その後、苦手な階段を集中的に練習し、だいぶマスターしました。日常生活の動線の中に練習を組み込めば、訓練訓練しなくて気持ちも楽だ、と気づいたりもしたので、1Fにいく時は、エレベーターを2Fで降りればいいのでした。
ちなみに今日はエレベーターを使わずに1F→15Fまで上がってはどうか?と思いやってみましたが、ちょっと疲れました。
歩くのも、目的地があって歩いて行けば、それだけでリハビリになることに気づきました。本屋まで歩いて行けばいい。でも、外来棟の本屋は、病気の本しか置いてないですね。毎日定時の外出届って出せるのだろうか?
昨日は見舞いもなく(断わり)、夕方はゆっくりと過ごせた。見舞いがないとこんなに楽なのか…と思った。
心地よい疲労感もあり、昨日は21時の消灯すぐ後に、CDを聴いていたらいつの間にか眠り、朝6時まで熟睡した。入院以来初めてのことかもしれない。
今日は、午前中は法人に提出する病状報告書を作った。A4で5ページ。どうも職場では、私の扱いについて少しおかしなことになっている様子。この間来た法人の偉い人が、私の足の様子を見て、「何だ、大丈夫だ」と思ったらしく、「6月1日から通常業務に復帰」と発表してしまったらしいのです。
病院内のカーペットの上を10歩歩いたのを見たただけなのに…。実際は家~職場はこの足で2時間かかるのに…。そしてステロイド投与による免疫力低下や副作用について時間かけて説明したのに、全く配慮されていない。再発も合併症も感染症も副作用も自己責任ということか。今度は本当に仕事に殺されてしまうかもしれない…。
本で私の膠原病ととステロイドについて詳細に調べて、職場にレポートを出しました。自分の身を守らねば。
お見舞いにもらった花の中にあったツタのような葉っぱをコップに差しておいたら根っこが出てきました。すごく強いんだな。
病院では「根づく」のを嫌って見舞いには鉢植えを持って行かないんでしょう?
私はしばらくすると枯れてしまう切り花より、しぶとく根を張る草の方が好きだけどね。
23:15
2008年5月10日(土)
どうやら来週の土曜日に退院になるらしいです。今日K先生と話していたら、そんなスケジュールのようです。いよいよか、と思い、覚悟しなきゃな、とそんな気持ちの準備する心持ち。
前に退院を言われた時と比べたら、歩けるようになってきているので、その分の不安は減って来てるとは思う。でも相変わらず左足はフラフラだし、両ヒザはがくがくするし、くるぶしから下の感覚はないし、ステロイド副作用爆弾は抱えてるし、「もう大丈夫」と自信を持ってはとても言えない。
その上、仕事は降格になり、今の職場からも去らざるを得ないようなので、先の見通しがまったく立たない。仕事上は一応配慮され、療養に専念でき体に負担のかからない一人職の事業にあてられるようだけど、何だかそれも、孤独な闘病とリハビリ生活みたいで、耐えられるのかな…と心配です。病院は良かったなぁ、なんて思い出すのかな。
歩けるように、退院して社会生活に戻れるようにと、目標を気持ちの中に持ってここまで来たんだから、喜ばなきゃいけないことなんだろうけど、前向きになろうとは思うものの、どうも気持ちはすっきりしない。
今日、広い場所で少し走ってみた。転ぶといけないので恐る恐る。走るというより小走り。左足が出ないのと、体重を支えきれない。ギクシャクとしたギャロップみたいなステップ。まだ無理だった。
昨日、リハを見に来た2人のDr.が、私の様子を見ながら遠くで、「筋力つけてもダメなんだよ」と話していたけど、本当にそうかな?両ヒザにあった脱力は、パワートレーニングで相当改善したのにね。腹筋と太モモの感覚マヒは、バランス練習と腹筋強化で左右の姿勢を保てるようにした。
Dr.Kに、マヒしている所に刺激は入れた方がいいのか、炎症だから入れない方がいいのかを聞いた。「つながっていない電線をつなげるつもりで、できるだけ刺激した方がいい」と。いつかつながると信じるよ。DrやPTの話の中から、私は自分に都合のいい所だけ拾って聞いているような気もするけどね。でも可能性のある方を信じる。
野口PTに、「プールで泳ぎたい」と言ったら、「効果はわかんないけどやってみれば」と言われた。「感覚マヒでプールリハした人は今までいないけど、空気中では感じられない水の抵抗が水中にはあるから、水の抵抗で自分の足の位置がつかめるようになるかも。やってみる価値あるかも」と。
そう、フロアとリハの関係が良くわからなかったかな。例えば、「階段練習するから」とお願いしたら、フロアの看護師は、マンツーマンで付いてくれたのかな?自力で安全にできる範囲内がフロアでの練習条件?整形だと、もっとフロアでやってるのかな?
今日は眠くなりません。過覚醒みたいな感じです。考えすぎなのかもしれん。
夕方にもう1回、1F→15F階段のぼって体疲れさせておけばよかったかな。
Ns.伊藤はちょっと疲れているかな。数日元気ないように見えるけど、大丈夫かな?
2008年5月11日(日) すべてが、どうでもいい
法人の事務局長が来た。病状の説明をし、降格と配置転換がほぼ決まった。
良かったかどうかは、ずっと先に、結果としてわかること。今は、そうするしかない。
昨日は何だかんだ考えて眠れず、寝たのは3:30。
そのせいか、今日は全身が重くて、体調とても悪い。左足をつくと沈み込むよう。
足元もふらふらしている。日中も眠れなかった。
2:30ごろ、喫煙所に行くと、同じように眠れない患者がいて、
少し話したり、笑ったりしてお互い落ち着く。彼とは多分、年齢が近い。
彼はその後、ベンチに来た人と次々と話して、結局5:00までいたらしい。
その気持ち、とてもよくわかる。
患者同士、そうやってお互いを救い上げ合っている。
今日は体調不良で体を動かさない、疲れない、眠れないの悪循環。
まぁいいや、そんな日もある。
今は何かが辛いのか、というと、それもよくわからない。
何かを悩んでいるのかもわからない。
全部が余りにも漠然としていて、見通しがなくて、
我慢しているのかどうかもわからない。悲しいのかどうかも…。
私の病気は、涙腺が壊れて涙が出なくなる病気なんだってさ。
まぁいいや。すべてがまぁいいやって感じ。