よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

この時間の意味って? そして、退院。

2008年5月12日 AM3:35 この時間の意味って?

 
 みんなが、来る人来る人が、そんなにがんばるなって言うんだよな。でもさ、この状況で、全部を投げ出して、ゆっくり黙って待つって、無理だと思うよ。気持ちをゆるめてしまったら、足元から崩れてしまう気がする。二度と立ち上がれないよ。明日の、3日後の自分のイメージだけを頼りにして、かろうじて、前にじりじりと進んでいる。
 カーテンを閉めて、じっとベッドに横になっていたら、良くなるのかな。歩けるようになるのかな。そうやって、明日は、明日こそって信じて眠り続ける間に、私の顔はプレドニンの副作用でパンパンになって、足は固くなって、体を起こせなくなってしまうんじゃないの。そして、「家でもお薬飲み続けて下さいね、いつか効くかもしれないから」と言われて、退院するわけね。
 無理でしょう。そんな生活できないし。
 
 だいたい、小さい頃から「がんばれ」って教えられてきて、ちゃんと守ってきたのにさ。
 
 仕事だって、頑張れってみんなで背中おしてさ。今更「がんばりすぎたからこうなった」「がんばるな」って言うなよ…。「がまんするな」もおんなじ。
 
 夜中ベンチに座ってて、オレ何でこんな所にいるんだとう、と思う。何してるんだ?海で泳いでて、岸に向かってるつもりが流されてて、気がついたら岸は遠かった、みたいな気分。
 
 
 小さい頃、夜は暗かった。
 10代、夜を抜けて、自分の足で、まっ白な紙に地図を描いていた。
 道の先に、まだ地平が広がっていることを知った。
 
 暗い時代を経て、大学の頃は、夜学校に通うために、生活するために、世の中の最底辺の仕事までしながら、はいずり回って生きてきた。絶対ここから抜け出すと思っていた。その頃もやっぱり、地平線の向こうが見たくて、リュックを背負って、日本を、外国を自分の足で歩いていた。雪は冷たくて白かったし、夕なぎの海は淡い桃色。
 
 人と一緒にいることのあたたかさを知って、たいせつな人と一緒に暮らした2年間。そんな生活を自分で壊してしまった。
 人に寄り添って一緒に歩む仕事がしたくて、がむしゃらに毎日をすごして、休日は毎週海へ。ポンコツジムニーを買って、トロトロ走って、朝の海へ。波、光ってた。
 
 その後どんどん仕事のスピードは上がっていって、誰かの夢をかなえるために、企業と社会に切り込んできた9年間。200人以上の夢をかなえて、法律もできた。
 
 その間に、ずい分複雑な恋愛をいくつもしたり、人の心を壊してしまったり。それでも、いつも誰かといたくて、誰かに支えられて。時間のどこを見ても自分なりにがむしゃらで、どこで「おしまい」と言われても後悔はないくらい充実してたのかもしれない。あまりにも一杯つめこんだ人生、ちょっと疲れてしまったのかもしれない。でも、他にしようがなかったし、体、動かなくなるって、想像してなかった。
 
 神様は、いったい何を思って、こういう難しい宿題を出すんだ?新しい条件で考えろ、ってことか?私はここから、何かを得ればいいのかな。ただのいじわるか?今までの数々の悪事を反省したら、歩けるようにしてくれるのかな。
 
 夜中、フラフラした足とフニャフニャの体で廊下を歩いてて、ガラスに映った自分の姿を見て、考え込むよ。「どういう意味があるんだ?」って。
 意味なんかないのかもしれないけどね。
 
 小さい頃住んでたアパートの屋上から、遠くに、地平線に見えてた東京タワーの足元に、今いるのはとても不思議で、病気と向き合わざるをえない時間をすごしていることの意味を、やっぱり考えてしまう。
 
今、底にいる。
立ち上がっても、気をとりなおして歩き出しても、
きっとまた倒れる。
何回も転ぶ。
つき落とされる。今よりもっと激しく。
 
でもその時は、
こないだよりも、
今よりも、
もっと強くなってると思うから。
 
しぶとく立ちあがる。
立ちあがれると信じる。
AM3:35
 
 
看護師 伊藤さん、金子さん
5月13日(火) 21:15
ハイになった、そして背中にカビ生えた(笑)

 ありがとう!時々読んでくれてると思うだけですごく気持ち支えてもらってるのに、言葉ももらえて、すごく嬉しいです。

 何かこのノート、いつも一方的に自分の辛いことばっかり書いてしまって、申し訳ないとも思っているのです。もっと楽しいこととか明るい話題が盛りだくさんなら楽しいのにね…って、私は病人で、そんなに元気ならここに居ないか…。私のグチにつき合ってくれてありがとうね…。
 とても急がしそうだし、気持ちの上でも大変そうな仕事と思うのよ看護師って。すごいなって思う。
 
 私、最近眠れずに、夜中もフロアをうろうろ歩いてたけど、結構ナースコールって鳴り続けて、夜中も忙しく動いているので驚きました。あと、大変だなって思うのは、患者がどんどん変わっていき、次々と初対面の人に、結構近い距離でケアしなければならないでしょう。見てると気難しそうな人とかいるし、何せ病人は普通の精神状態ではないからね。イライラしてたり、思い通りにならなかったりで不機嫌だったり、すごくショックの状態だったりするから。それを受け止める看護師ってすごく大変だと思う。

 それと、患者の側も、「看護師は仕事だし、甘えても、どんなこと言ってもいい、聖人だ」、みたいな意識を、どこかに持っている人が多いように思う。看護師だって一人の人間、普通の人であり、一人の女性なのにね。
 そして仕事柄、目の前に人の生死があるでしょう。それは、回復への喜びに寄り添える仕事でもあり、病気や死を見つめる仕事でもあり。クールに受け止めすぎてもいけないし、自分の中に全く感情のダメージを入れない訳にもいかず。深く受け止めすぎたら、相当辛くなるのでは。私の仕事に似ているところもあり、見てて、体と心、壊さないようにしてほしいと思うよ。どこかでストレスを逃がさないとね…どこ?居酒屋か?

 とか言いつつ、私はこうやってグチをぶつけてしまったりするわけで…申し訳ない。自分のことはタナアゲ…。

 患者としての私から見てて、看護師の仕事は、技術の知識と、仕事をやりこなす力が大切。でも多分それは半分で、もう半分に、人を感じたり、共感したりできる感性、人の生と死に寄り添った経験、人との距離のバランス感覚、コミュニケーション、自分の気持ちを上手に処理する力、みたいな大切なものがあるのかなって思った。二人を見てて、そう思った。やることやりながら、さりげなく気づき、さりげなく依存させないバランスで、でも確実に手をさしのべていて、声をかけていて、患者を元気にしていっている。かっこいい。うん、かっこいいなって思うよ。初めて入院して、そう思った。

☆昨日、今日のこと
(日)おととい 4時近くに寝て8時に起きた。すいみん 4時間
   ↓
(月)パルス。最近パルス中と、次の日は気持ち→。
 今日は寝不足もあって、調子悪いと思っていたら逆。調子良すぎる。ハイな状態で元気すぎ、朝から楽しくってしょうがない。そしてよくしゃべり、よく笑う。これはステロイドの副作用っぽいな。
 新しくまた医学生さんが来て、一日くっついて来たり、面会が来たりするので、一日しゃべりまくり。パルス期間中は、おとなしく運動も控え目を心がけているものの、何だかんだいって結構歩いている。ヒフ科行って戻って、5分後に筋電図に行くみたいな感じで(これは私のせいではなく、連絡の問題だけどね)。
 そのままハイペースで夜9時までとばし続けたら、消灯で力尽きる感じで起きられなくなり、倒れるように寝た。

◆そしてちょっと困ってしまい、笑ってしまったりもしたこと
 背中がかゆくて、プツプツができていたのでヒフ科に行ったら、最初すぐに「こりゃカビだねきっと」と言われた。
 カビって何?と思ったら、「ステロイドやったら、抵抗力下がるから、カビとか普通に生えるんだよ」と。トホホ…な感じ。
 結局はカビではなくて、モウノウ炎で、バイ菌が入ったのらしいのだけれど、バイ菌自体も普通は感染しないものだけど、弱ってるから感染するとのこと。常在菌に感染する程、抵抗力・免疫力下げるのか。これはちょっと心配かもしれない。カゼとかインフルエンザはもちろん、あらゆる菌の可能性あり。
 「カビか…」と頭の中をグルグル回り、「青パンカビとかに感染する私」とか、もしかしてキノコも生える?と思ったり。本当に社会生活送れるのか…と思うとともに、「カビにも弱い」という弱さ加減は、ちょっと笑ってしまった。

◆パルスの針が無事に入りました。
 今まで針関係(?)では色々ありましたが、今回は目玉の先生も何とか上手にやってくれました。ただ…どういう訳か腕の外側(ヒジの方)にラインを入れたい様子。それはテーブルに腕をつけないし、色々な所にぶつけたり、引っかかったりするからやめてほしいとお願いしました。「じゃあ仕方ありませんね」と、内側に変えてもらったんだけど、何だったんだろう?まぁ今回は血を噴いたりもなく、ホラーにもならかったので、とりあえず良しとしよう。

◆で、今日は…
 再びハイテンションで、昨日はとばしすぎたので、セーブして一日をすごしました。すると、今度は疲れず、パワーが余っているのか、夜になっても全く眠くなる気配がありません。
 さぁ、どうしましょう?
 
 
ステロイドの使用感と膠原病のこと、他の患者さんからのアドバイス
 
 入退院を何度もしている、全身性エリトマトーデスの女性が、今日は外来で来てた。
 前回話したのは、彼女が入院中の時。私が同じステロイドを使ってるのもあって、色々とアドバイスをもらったりもしている。病気も全然違ってて、彼女の方がずっと重い病気だけど。
 ただ、ステロイドという常用薬の効果と危険性、特に自己判断で量を調整することの危なさや、副作用の自覚のポイントは、すごく参考になる。離脱症状や、副作用のうつの兆候、飲みながら体調をコントロールする方法(同じ量を体内に入れつつ、活動によって作用を調整するコツ…つき合い方)は、使っていた人だから、わかるものなのだろうな。

 それと、退院後の生活の組み立てとか、社会や周囲の人との関わり方。社会の中でこれからあるだろう色々な嫌なことを、どうやってクリアしていくか、とか、気持ちの持ち方とか…身障手帳や制度や車の改造のこととか…体調崩れた時の対応や、救急時搬送の方法や準備。在宅リハの方法。ちょっとクセがあるけど、散々な病状を長く経てきて、突き抜けてしまった感じで、超プラス指向。
 今日は、「この前見て、あんたが人生思い悩んでやしないかと思って、お土産持って来た」と、小さい布のタバコ入れポーチをくれた。


◆その人の言葉

 「何で自分はこんな病気になったんだ?とか考え込むでしょう?神様は、耐えられる人にしか試練は与えないんだよ。神様いるかは知らんけど。耐えられる自分だからこそ、病気もやって来た。神様から選ばれた何十万人に一人なんだよ。
 
 朝起きた時、目が覚めたら「ラッキー!」、足が昨日より動いたら、すごい嬉しいでしょう。足動いただけで普通感動できないよ。飯食ってうまかったら生きてるーって実感できるし、立って両手でパンツはけたら、人に見せたくなるよ。病気抱えて生きてるからこそ、命に限りがあるからこそ、日々を大切に感じて生きられるんだよ。

 社会に戻ったら、嫌なヤツいっぱいいるよ。今よりも辛いこともあるよ。何度も叩き落とされる。そん時は、そいつの後ろ姿に、心の中でバズーカ砲撃ち込むのさ。1発でだめなら2発目もね。コッパミジンさ。そして平気な顔して大笑いして暮らせばいい。
 病人が病人の顔して暗―くしてたら、周りの人どうしていいか困るよ。まわりの人は、病人と代わってあげられないから、もしかしたら本人よりももっと辛いかもよ。大切な人がいるのなら、多少辛くても、笑って暮らす方がいい。病人が暗いなんてあたり前で平凡すぎるし、笑いで病気は治るんだよ。ダメなら、笑ったふりでも、まねでもいい。絶対体調変わるから。そして、笑ったマネしてると、何だか本当に面白くなってくるんだよ。

 できないことは人に頼むクセをつけ、断ることは、はっきりと条件を伝えて断る。自分の体調を自分でちゃんと知り、体力を温存し、やりたいことをやって、人生楽しむ。

 もし思考がヘンテコリンになり始めたら、それは薬のせいだから。ステロイドでうつになった人相当見てきたし、死んだ人も何人も見てきた。自分が服薬でいつでもそういう可能性を持ってることを知っておいて、おかしいなと思ったら迷わずこの病院に電話。SOSを発信しなきゃダメ。抱え込んで自分で何とかしようとしちゃダメだよ。心の問題じゃなくて、薬のせいなんだから。
 でも絶対に、ドクターの許可なしには薬は減らしたり、抜いたりしてはいけない。それは命に関わることと思ってた方がいい。
 病気とも、薬とも、病院とも、そうやって上手につき合っていくんだよ。そして、絶対に死んじゃだめだよ。病気だろうが何だろうが、まわりの人はあなたが生きててくれるのが一番うれしい。それだけで充分なんだよ。
 終わりの時はさ、向こうからやってくるよいつか。次々と合併症来たら、もう死ぬかもう死ぬか、って思って来たけど、死なないんだな。まだ生きてろってことでしょう。であればさ、生きるよ。チャンスもらえた訳だろ。ラッキーじゃん。もう少し楽しめるし、きっと生きてろってことは、何か意味があるんじゃない?

 焦っちゃだめだよ。ゆっくり、のんびりでいい。急いだって、速く歩けないだろ。それが自分の体で、自分らしさなんだから、それでいいじゃん。急いでる人は「お先にどうぞ」って先に行ってもらえばいい。
 つき飛ばしていく人がいても、放っておく。心の中でバズーカ砲だよ。そしてそんなやつはたいてい、運転してて電柱に自分からゲキトツして自爆、頚損か脊損で寝たきりだワハハ…。後悔して悩むぞー。うちらの病気は外から勝手にやってきたものだけど、自分の責任で体動かなくなると、自分責めたり後悔したり、苦しむんだよなぁ。
 まぁ人のことはどうでもいいけど、世の中はそうやってバランスが取れてる訳だからさ。君も思い悩まずにさ、って言っても思い悩むだろうけどさ、面白おかしく毎日を暮らしていこうよ。明日生きてたら、今日よりももっと面白いことがあるよ。私はそうやって毎日生きてんだ。
 

 入院して以来、いろんな人が次々と目の前にあらわれて、それぞれのものすごく強い個性と、これまでの生き方、生き様や、病気や、その中での思いを伝えてくれた。色々教えてもらったり、救われたり。偶然というにはあまりにもたくさんの人が、ぴったりのタイミングで次々とやってきた。

 そして、この人も。話していると、生きていることで、人に命を与えているなと感じる。きっと私の生きていることも、命も、おんなじように、自分のためだけにあるんじゃなくて、誰かのためにあるんだろうな。そうしてかなきゃいけないんだろうな。自分だけが逃げちゃいけないんだろうな。
 自分を壊すほどの努力をするとか、そういうことじゃない。自分が、自分らしく、自分のペースで、できるだけ長く、健康で生きていること、そのことに意味があるんだきっと。そのために大切なことは何なのかって、考えればいい。今まで生きてきた中でたくさんたくさんもらった分、今度は私も人に分けてかなきゃ。うん。そうなんだと思う。
                                                     AM1:25
 
看護師 伊藤さん、金子さん
2008年5月15日(木)
パルス終わった。そのあと父が来てくれた。

 やっと青空になりました。やっぱりお天気は気持ちいいですね。

 体調も良くなる気がします。

 うつうつとしたパルスの3日間も終わり、ちょっとすっきりです。


 パルス期間中は、気分が高い状態が続きました。何となくわかったのは、たかぶっている時に、「楽しいきっかけ」があれば面白くってしょうがないのですが、一方「嫌なきっかけ」があると、極端に気分が落ち込むようです。
 そして、ハイな気分だからといって、一日調子に乗ってとばしまくると、夜にバタッと燃料切れみたいになる。でも使い切らないと、たかぶって眠れないのでした。強い薬を入れているのもあるのでしょうが、今後プレドニンを使う中でも、同じような浮き沈みがあるのかもしれません。


 3日目のパルスの日は「↓」(気分ダウン)のきっかけの一日で、金子さんにもPTにも、「調子悪そう」と言われました。マスクしててもわかるくらい、表情すぐれないのか。自分では元気なふりしてるんだけどなぁ。

 この日は、職場の上司と部下が来て、自分の病状と今後を少し話すのが、気持ちの負担でした。彼らは、6月から私が元の職場に戻るつもりでいる。でも実際は、法人では配転が進んでいて、決定してから彼らに伝わるのは、余りにも申し訳ない。だから、先に少し話しておこうと思って、ステロイド感染症や副作用のことを伝えました。彼らもショックを隠せないようです。やっと、難病であることの意味がわかったようです。見た目は足の支障だけのように見えるから、「歩けるようになっていればOK」と、普通思いますよね。復帰できるように、これまでも、これからも最大限努力するとは伝えたけど、やっぱり復帰は難しいのは事実だろうから、それが心苦しい。
 

 その後、千葉から父がやってきた。江戸っ子気質の厳しい父で、設計をやる職人。もう現役を退いてるけど。歳とったのもあるけど、怖かった父が、とてもおだやかで優しかった。多分、病気で具合が悪い私の姿を、今まで辛くて、見に来られなかったんだろう。K先生に何度も何度も頭を下げて、父、小さく見えたけど、私のこと、ほんとに大事に思ってくれているんだなぁと思ったら、すごくあったかい気持ちになった。やっぱり私、体を大切にして、元気になって長生きしなきゃなぁ。そう思いました。


 Dr.目玉があわててやってきて、「ステロイドで気分が高揚しているとナースから聞きましたけど、どうして正直におっしゃってくれないんですか?!」みたいなことを言っていました。「そのための薬がありますから、ちゃんと言ってくださいね!」と、ちょっと怒り気味。
 Dr.が知らずに看護師が知っている、っていうのがまずかったのかな?でもね、あなたには相談したくなかったよ。欲しかったのは薬じゃなくて、ちょっとだけ話を聞いてくれる人だったから。普段から聞く気持ちがない上に、採血しくじっても謝らず、車イス押してあちこちガンガンぶつかっても気づかない人に、話したくないでしょう。
 でも、命預けている立場だから、文句言えないしね。「パルス中だけだし、問題ないレベルだから」とは答えておいたけど。日々のやりとりの中でも、もう少し患者のメンタリティに理解あればなあと感じる。
 
夜11:40 に会うととても疲れる。荷物整理を始めた。

 やっぱり体調、普通じゃないみたいで、とても疲れる。特に人と会うと疲れるな。

 退院予定を知らせたら(お見舞いに来てしまうと申し訳ないと思ったからなんだけど)、再び次々と見舞いが来てしまい、1日5人と話し、それに加えて学生の問診練習(空き時間に1時間×2回位)は、疲れる。
 多分、このお見舞いの人のペースとかスピードが、世の中のペースなんだろうな。復帰したら相当疲れるんだろうな。体力とか免疫力がどれくらい落ちているのかがわからない。そして、余り元気なつもりで激しい生活を送ると、体壊すと思う。弱ってると自覚してないとまずいな…。


それと、やはり気分の浮き沈みが激しいかもしれない。今日は朝から落ち着いていて、意識してフラットに保っていたけれど、人に会うと元気そうにふるまったり、仕事の話を聞いてイライラしたり、疲れたり。
 一人でいる時の自分が本当なのか、人といる時の自分が本当なのか。両方自分なんだけど、余りにも違っていて自分でもよくわからなくなる。人に対して過剰適応しようとして、疲れるんだろう。


少しずつ荷物の整理を始めたけれど、退院、気が重い…

荷物の整理より、気持ちの整理の方が大変かも…。
 
 
看護師 伊藤さん・金子さん
2008年5月16日(金)夜
最後の夜。これからのことを考えた。

 明日退院で、今日は調子いいかというと、どちらかといえば調子が悪い。カゼをひいているし、足元はフラフラするし。喉少し痛くて鼻水出ているので、カゼ薬をもらった。最近、夜も外に出ないようにして、大人しくしてたんだけどね。どうやら簡単にカゼをひいたりする体質らしい。これからも注意しろ、ということだな。免疫力低下というのがどの程度のものなのかがまだよくわからないので、明日K先生と話す時間を取ってもらった。

 ステロイドのことは、今日薬剤師にも聞いたけど、どうもあいまいでよくわからない。自分で本で勉強しないとダメだろうな。
 その他色々、退院後、計画的にやらないと体調維持できなそうなので、「在宅リハ計画」を途中まで作った。自分で作って、自分で実施、何だか頼りない感じ。これからもPTも外来の時に相談にのってくれるって言ってくれてるのは安心だけど、とりあえずリハも社会復帰も一人で進めていかなければならないのは、できるかな?と不安。

 一番心配なのは、メンタル面。約2週間は、日中、在宅でいる。誰とも話さなかったら、気持ちふさぐだろうなと思う。病院の中では毎日色々な人と話して、たくさん笑ってたから、それがなくなるのが一番のネックのように思う。
 そして、バランスを崩してるのが自分自身のことだと、自分で客観的に見るのが難しく、コントロールが効かなくなるかもしれない。チェック表を作って、毎日の様子を記録して見ていくようにするしかないかな。

 私の降格はほぼ決った。この体じゃユーザーも職員も守れないんだから、仕方ないな。たくさんの大切な彼ら達から離れるのが淋しい。でも、感染症にかかりやすい私が、いろんな病気のキャリアーになって戻っていく訳にはいかないから、仕方ないな。

 一般職になって、当面新事業企画担当。短期で結果を出せるかどうかに、今後の生き残りがかかってくる。体調とのバランスをどうやって取るか。

 10月まで猶予期間がある。これが、プレドニンの初期減量期=感染高リスク期。
 もしこの仕事を続けられなくなるならば、この4ヶ月間に、次の方向性を見つけなければならない。他の事をやるとすれば…産業カウンセラー等、対人援助職のメンタルヘルスを何とかしたい。たくさんの人がつぶれていくのを見てられない。
 または、自らが障害者手帳を取り、企業内で障害者をサポートする。他、一つ専門性の高い国家資格を取る。とにかく次も考えねば。

本当なら、退院バンザーイとなるところ、完治する病気ではないので、
「どうしよう」ばかりになるな。

※1:歩行、感覚に障害を残すこと
※2:体質として病気を持ち続けること・・・再発、悪化、別の神経への発症
※3:ステロイドを続けること・・・感染症・・・副作用

この3つが、今後の課題、なんだ。
1つずつ、よーく考えてクリアしていこう。
そして、悩まず、ストレス抱えず。
毎日を、楽しく大切に暮らそう。
ちゃんと、チャンスはまだ残されていて、
こうやって自分の足で歩いて退院できるんだからね。


伊藤さん、金子さん ありがとう。
大切な53日間を、一生忘れないよ。
 
 
 
2008年5月17日(土) 明日へとずっと続く未来
 
 病院で最後に書くのが、この自作の、東京タワーマークの便せんになった。
 使っていた黒のペンとブルーのペンのインクも、ほとんど同時になくなった。
 
 結局入院は53日間だったようす(Dr.が診断書書くのに数えてた)。
 当初の「2週間」の予定からすると、ずいぶんと長くなってしまった。ずっとここにいるので、来た頃の記憶があいまいになりつつあるくらい。
 
 この日々が長く退屈だったかというとそんなことはなくて、全部が初めての体験だったし、どうにも逃げ場のない状況でまっただ中にいるので、常に真剣にならざるをえない刺激的な日々だった。
 それと、たくさんの人と出会い触れあい、教わったこと、二度とはできない経験で、自分の中の深い所で何かの糧になっているのだと思う。
 
 
 結果として感覚と歩行に障害を残したけど、そして、ステロイドや、持ち続ける疾患のリスクを抱えて社会に戻っていくけど、それは自分にとって再び新しい課題で、何とか越えて行けというメッセージなのでしょう。試練の手はゆるまないねぇ。
 誰が何の目的で宿題を出し続けているのかよくわからないけど、ひとつひとつゆっくりじっくり解いていきたいと思う。
 
 今は午前2:30で、「眠れない患者」ではなく、「眠らない患者」。
 
 
 今日は、ナースやPTや、つながりの深かった人ひとりひとりに思いを伝えながら、気持ちの上での終りの整理をつける作業をしてた。
 それと荷物の整理。買い込んだ本が多い。段ボール3つ。
 病院内の持ち物をどこまで捨てて帰るのか。身ひとつの中に何を残せて、それを信じられるのか。
 
 カーテン部屋の住人、またはテント生活者の私は、となりの島田さんのいびきと、向かいの石川さんの、つけっぱなしのテレビの大音量のイヤホンからもれる音を、心地よい部屋の空気として感じながら。明日へとずっと続く未来を、何となく見つめている。
                            AM2:47
 
 
伊藤さん、金子さん

 金子さん、帰りにゆっくりと話できなくてごめんなさい。
 でもね話してると泣けてきそうでダメだったかもヨ。

 いよいよ退院します。今まで、本当にありがとう。二人に気持ちを支えられていた、そう思います。退院は、本当は喜ぶことなんだろうけど、淋しいな、というのが実感です。
 私にとっては初めての病気、初めての入院だったので、緊張したり、わからないことがたくさんだったけど、振り返ってみるとすごく充実していたし、安心して過ごすことができました。
 そういう中で、二人の存在は大きかったな、と思います。それはね、患者である私の声にならない声を受け止めてくれたからなのかなと。
 

 入院して2週間位した頃だったか、隣の吉田さんのベッドが空いた日があって、私は最初廊下側のベッドだったから、仕切りのカーテンを少し開けて、細いすき間から空を見てたのです。それも10分位のことなんだけどね。
 そうしたら、金子さんがいつの間にかそれを見ていて、「窓際に移っちゃおうか?」って言ってくれました。そういう希望は聞けないと、入院の案内に書いてあったし、他の患者からも無理と聞いていたので、あきらめていたので、それがとても嬉しかった。
 元々私は、テントを背負ってずっと旅行してたような人なので、空が見えない、風が吹かない、というのは、とても息がつまる感じがする上に、病気で体が動かなくて、その理由もわからない状態で、気持ちがふさいでいたところでしたから。あの時の声かけがなかったら、私はうつになっていたかもしれないし、前向きな気持ちにはなれなかったかもしれない。そんな私の小さい気持ちの動きに気づいてくれたということで、私の看護師さんへの印象が大きく変わりました。

 それまでは、ナースは淡々と仕事をこなしている、何だか忙しそうな感じの人達で、「何かあったら話して下さい」って言ってくれるけど、とっても聴く時間もなさそうだし…、「何かしんどいです」なんて言ったら薬処方されておしまいかな…と思っていたので。
 そう、二人はテキパキ仕事しながらも、気持ちの、血の通った言葉を交わしている感じがするのね。時々ルールからはみ出している(多分、経験の浅い看護師より許容範囲が広いということだと思うけど)。そのはみ出し具合がすごくホッとし、自分を患者としてでなく、人として信用したり認めてくれたんだな、って思うんだよ。
 安全のためはよくわかるんだけど、私は1ヶ月目くらいまで、トイレに入るのに見守りされてたけど、不要だったと思うよ。何度も「いらない」って言ったら、ちょっと変な空気になったので、あきらめたけどね。自分でできることはしたいし、おしっこもれそうなのにコールして待つのも、やっぱりプライドもあるので嫌よね。「危ない」「決まりだから」と言われてしまうと黙ってしまう。
 逆の立場で、彼女らトイレごとに私をコールできるのかな?と思う。決まりは、いいんだ。嫌だよね、っていうところをわかってほしいと思うだけ。まぁ、トレイの話はどうでもいいんだけど、そういう中で、二人の心配りはすごいなぁと思って見てました。
 伊藤さんは、気づいていても、気づかない、触れないこともできる。本当に頭が下がります。スーパーナース!
 

 今回、入院して良かったなって思うのは、たくさんの人に出会えたことです。スタッフだけでなく、カーテン越しに色々な人や家族の生き様を感じたし、下のベンチでは、本当にたくさんの人と話した。ヤクザの会長だったり、難病の人だったり、末期ガン患者だったり…。普段絶対に出会わない人。肩書きを抜きにして、皆同じ患者として人間どうしの会話をしていたし、皆優しかった、お互いに。
 
 どうしてこんな病気になっちゃったのかなぁとか、これから先どうしたらいいんだろうとか、考えればきりがないんだけど、病気をきっかけにして、人のあたたかさを知ったし、毎日を大切に生きること、体を大切にすることを感じました。


 すごくいい仕事、二人にはずっと続けてほしいから、「お願いだから、体や心を壊さないで下さい。」←これは、病気に実際になった私が伝えられる精一杯のメッセージです!


 あたたかい53日間をありがとう。
 次に会う時には、もっともっと元気になって来ます!
                             2008年5月17日 
 

f:id:yoru-kuma:20201014151104j:plain