よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

【日刊】びょういんつうしん その10

急変

 吉田さんの容体が急変した。

 朝食後、カーテンごしに聞こえる吉田さんの様子がどうもおかしい。昨日あたりから吐いていたが、今日も吐いているのかゴボゴボという音が聞こえる。その音が、余りにも長かった。

 数日前、吉田さんの喘鳴がひどい時は私がナースコールを押した方が良いのかを、ナースに尋ねた。ナースは、吉田さんは自分で呼べるから不要、と答えた。他の患者の容体や治療には介入してはいけない、そんな空気が感じられた。

 また、私のコールが空振りに終わることもあるだろう。忙しそうなナースの様子、廊下ですれ違っても目を合わせず、今話しかけないでほしいという無言の拒否を感じる。

 そんな空気が、一瞬の躊躇を生む。数分間、私は迷った。コールせずに、直接通りがかりのナースに声をかけようと思い、廊下に出た。向こうにドクターが見えたので呼ぶ。「どうも様子がおかしいので、少しのぞいて見てほしい」と伝えた。

 ドクターがカーテンの向こうに消え、すぐに出てきた。ナースを呼ぶ。数人のナースが走って来た。大量の吐血らしい。一瞬騒然となる。カーテンが開け放たれ、ベッドが小走りに移送されて行く。私のベッドの前を横切る時、吸引タンクの中の大量の血を見た。走りながら心臓マッサージが行われていた。あっという間の出来事だった。

 そして、ベッドが運び出された後の空間に揺れるカーテンは、余りにも静かだった。

 

助かってほしいと思った。そして自分の迷いを後悔した。吐血と呼吸困難は数秒を争う。もう少し早く気づいてあげられれば。苦しかったろうに。そう思う一方で、息ができている内に処置できたから、助かったかもしれないという希望を持つ。

気になった、病室の残された三人は、今回の出来事で初めて言葉を交わす。それぞれが悔いていたし、助かることを祈っていた。秋月さんが本当に手を合わせて祈っている様子をカーテンの隙間から見た。カーテン越しだが、皆が吉田さんの人柄を知っていたし、気持ちの中では彼を慕っていたことを知る。

 

看護婦にその後の様子を尋ねるが、他の患者の病状は言ってはいけない決まりになっているらしい。病室内が、カーテン越しに「つながっている」ことを看護婦は知らないだろう。死、であれば、回復途上にあるほかの患者に影響が生じるという配慮もあるのかもしれない。けれど、個人情報は人を悼む気持ちさえも奪ってしまうのか。

 

吉田さんは寝たきりで皆の目に触れず、見舞いに来た家族が他と交わろうとせず、だから急変があり得ることを他の患者が知らず。コール不要とされ、そしてモニターを付けていなかったので、危険度は低いと私達も油断していた。何よりも、バイタルモニターで常時監視下に置かなかった病院に落ち度があるように思う。

一人変化に気付いていた敏感なナースは、前夜の夜勤の時に吉田さんに酸素マスクを施していた。不快がる本人を押し切ってだ。そして今回私が気付いたのは、そのボンベについている水のタンクに呼気が逆流する異音によってだった。あのナースの判断がなければ、吉田さんは隣のベッドで、誰にも気付かれず呼吸停止していただろう。

 

30分後に、足早に別フロアのナースが吉田さんのベッドを示す室番の下の名札を取りに来た。多分、吉田さんはICUにいて、新しい病室の前にその名札は掲げられるのだろう。吉田さんがんばって!遠くで応援している。

 

<その10 おわり>