よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

【日刊】びょういんつうしん その12

余暇と心の自由

 病院には余暇が少ない。病院は通過機関だから、当然と言えば当然か。アミューズメントパークまではいかないにしても、何か工夫はできないものか?定期的に映画を上映するとか、図書館を作るとか、レンタルビデオ店を作るとか。

 院内で生活することを前提にしてはいけない、院内で完結してはいけない、社会に復帰することを目的とした施設である病院。

 それにしても、長期入院患者が多い。病院は、精神的にこんなに貧しくていいのだろうか。病院内の余暇と楽しみ、そして心の自由について考えてみよう。

 多分、病院内にある最大の余暇はテレビだろう。ある程度の制限を設ける為か、有料だ。旅館ほどの料金は取らないが、1分間10円がかかる。

 他、病院の中での楽しみといえば食事か?想像していたよりはまずくなかった。量が少ないのではないかと心配していたが、動かないせいか意外にお腹が空かず、空腹に苦しむようなことはなかった。食べ物が手に入らない状況での空腹は、精神的な飢餓感をあおるのですごく嫌いな感覚だ。ものすごくおいしい訳ではないけれどまずくもない食事は、起床消灯時間とともに一日の中のリズムではある。

 それから自由の余地のあるのは、院内のコンビニと売店での買い物。品揃えは少ないが、一通りの物は揃っている。生活が長くなるにつれ、何だかんだと言っては買い、物がどんどん増えていく。

 コンビニの存在意義として最も大切なのは、本、雑誌の類を売っていることだ。それらは、外とつながり、外に向かって開かれている情報だから。本や雑誌を読むことで、精神的な自由を保てる気がする。外とつながっている風穴みたいなものだ。

 精神的な自由を保つという意味では、タバコと喫煙所の会話がとても大切。すごく望んで会話しているというよりは、行くと誰か居る→話す、のような受動的な感じではあるが。毎日何度も顔を合わせていれば、そうそう話題もない。それでもみんな、小さな話題を見つけては笑っている。

 余暇ではないが、リハビリ。努力することにより成果が得られるという満足度の高い行為。病院内での数少ない能動的行為。
 面会。たまにはいいかもしれない。気持ちの支えになるかも。楽しみな見舞いばかりではないが、見舞い客の対応は病人の責務、ぐらいのつもりでいる。
 外出、外泊。これは生活の中のアクセントだろう。これで闘病生活を支えている人もいるはずだ。
 読書。本屋にさえ行ければ本が選べて読める。消灯後、ベッドの中でもできる数少ない余暇。ベッドでできることは他にヘッドフォンで音楽を聴くというのがあるか。慌てて入院したので、そういう準備はできなかった。
 許可があればロビーでPC。病院内は本当は禁止だけど、メールと携帯電話。携帯電話によってずいぶんと外との壁を取り除き、閉塞感から逃れられているのだと思う。
 院内のレストラン、床屋などの設備。

 入浴。余暇ではない生活の一要素のはずが、制限があることで楽しみのひとつになってしまう。

  看護師、医師と会話、コミュニケーション、観察。

 へたするとトイレ介助とか入浴介助を余暇と考えてしまうくらいに乏しい院内の人間関係。

 

 病院は、患者の気持ちの深い所まで病気にしてしまうかもしれない。

 そんな中で女性の患者が女性を保っているもの。銀のペンダント、マニキュア、白いかわいいソックス、入浴後のブロー、髪を止めるゴム。例え着ているものが寝巻でもスウェットでも。

 そんなささやかなひとつひとつがいとおしい。

<その12 おわり>

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