2018.12.31 心筋梗塞CCU第一夜
入院決定
CCUという部屋のベッドに移されて、病状を説明され、家族とも顔を合わせた。
両方の腕に点滴の管が入っており、左手の点滴のラインには、4種類くらいの薬液がデジタルの滴下装置経由でつながっていた。その他、心電図か何かのモニターのためのセンサーとコードが、かなりの本数胸あたりにつながっており、鼻には酸素吸入の管がついていた。
はっきりと意識があって会話できるのに、こんな大げさな状態であることがおかしくて笑った声が、虚しく響いた。
そのまま入院と聞かされて、がっかりだった。
何となく、救急搬送されて治療されたから、良くなってそのまま帰れるような気がしていた。
後で状況を理解すれば、すぐに帰れるはずもないのだった。
すでに夜になっていて、洋服や靴を含む一切の私物はすべて家族が持ち帰り、私はCCUで状態を監視されながら、ベッドの上で、初めて一人になった。
何が起きたのだろう?
何でこんなことになったのだろう?
自分はどのくらい危険な状態なのだろう?
いつまでここにいるのだろう?
これから何が起きるのだろう?
何もわからないまま、私は様々な機器につながれて、そこに横たわっていた。
涙が出てきた。たぶん、救急の患者にあるだろう死の恐怖や自責の気持ち等とは少し違っていた。ホッとした感じがしていた。痛み始めてから、いまここで自分を確かめるまでの間ずっと、怖かったのかもしれない。今、何があってもすぐに対応してもらえる、一番安心できる場所にいる。大丈夫と思えると、気持ちが緩んで涙が出る、そんな感じだった。
それと、子どものことを思い浮かべると、それだけで何度も涙が出てきた。
胸が痛くなる直前まで、子どもと遊んでいた。前の日に、千葉の実家に行った時、彼は祖母に簡単な木工のキットをもらった。初めてノコギリで板を切り釘を打って組み立てるために、自転車で百円ショップに、金づちを買いに行く約束をしていた。彼は、それをとても楽しみにしていて、そんな小さな希望さえ叶えられないことに、悲しくなった。
それから、私のこの状態では、彼の将来を見届けられない可能性があることを感じていた。これから先、一人ぼっちの彼はどうするのだろう、守ってあげられない、そう思うと、涙が出てきた。そう、前回の入院との一番の違いは、彼がいることだった。
死ぬかもしれない。
でもそんなはずはない。
私は生きている必要があるから、帰れるに決まっているはず。
今の自分にはどう努力していいのかさえまったくわからないけれど、
何としても生きのびなければならないとだけ強く漠然と思った。
前の入院の時、私は、あまりにも優等生の患者だった。看護師にも、見舞いの人にも、辛そうな様子を見せず、心配をかけないように、笑顔で接していた。医師や看護師の指示を守り、リハビリでは努力して回復に努めていた。入院後、早い時期から前向きに気持ちを切り替えた。何よりも、泣かなかった。落ち切らずに、ずいぶん早くに自分で策を見つけて、立て直してしまったといえる。それ自体は悪いことではないのだろうけれど、底を見ていないことが、何かうそがあるみたいに、引っかかっていた。怖いから、暗い淵から目をそらしてしまったのではないか、何となくそんな気がしていた。
今回は、落ちるなら落ちよう。
立ち直っていくには、落ちるところまで落ちる必要がある。
我慢するのをやめよう。
怖かったら泣こう。
嫌だったら、小まめに愚痴を言おう。
誰かに気を遣って、過剰適応みたいにふるまうのではなくて、
自分のままでいることを許そう。
すべてが仕方ない、仕方ないんだよ。
零時少し前から時計を見ていて、目をつぶった。
入院一日目、何もできない私が、ただ一つ自分の意思でできた行動は、導尿の管の中に、少しだけ排尿したこと。
泣きたいときには泣こう。
前の入院の時、私は、あまりにも優等生の患者だった。看護師にも、見舞いの人にも、辛そうな様子を見せず、心配をかけないように、笑顔で接していた。医師や看護師の指示を守り、リハビリでは努力して回復に努めていた。入院後、早い時期から前向きに気持ちを切り替えた。何よりも、泣かなかった。落ち切らずに、ずいぶん早くに自分で策を見つけて、立て直してしまったといえる。それ自体は悪いことではないのだろうけれど、底を見ていないことが、何かうそがあるみたいに、引っかかっていた。怖いから、暗い淵から目をそらしてしまったのではないか、何となくそんな気がしていた。
今回は、落ちるなら落ちよう。
立ち直っていくには、落ちるところまで落ちる必要がある。
我慢するのをやめよう。
怖かったら泣こう。
嫌だったら、小まめに愚痴を言おう。
誰かに気を遣って、過剰適応みたいにふるまうのではなくて、
自分のままでいることを許そう。
そういう自分を見つめていこう。
いつもの年は、大みそかの夜、紅白歌合戦が始まった頃、一人で机の前に座り、電気スタンドの光の下で、しみじみと一年を振り返っていた。頑張った今年の自分を、ほめてあげるような気持ちだった。あたたかくて、大切な時間だった。
それから、窓を開けて、遠くに響く除夜の鐘に耳をすます。ゆく年くる年に映し出された、雪の降る静かな地方のお寺の風景が、午前零時に切り替わる。NHKアナウンサーのかしこまった「新年、明けましておめでとうございます」の声。新しい年を迎えた少し凛とした気持ち。
今年は、何もかもない。運び込まれたCCUのベッドの上に寝かされ、かろうじて生きているだけ。なし崩し的に、雑な時間が過ぎているような気がしたが、それを残念がるような気持ちの余裕もない。
すべてが仕方ない、仕方ないんだよ。
零時少しすぎた。ラウンドして来たナースに、「零時を過ぎたね。あけましておめでとうだね」と弱々しい声で言って新年を迎えた。
入院一日目、何もできない私が、ただ一つ自分の意思でできた行動は、導尿の管の中に、少しだけ排尿したこと。
太腿に、透明な細いビニール管を通る尿の温かい温度が感じられた。