よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

【日刊】びょういんつうしん その8

退院

 退院は、入院患者の誰もが待ち望んでいること。それは、入院期間の長さに関わらず焦がれるものであろう。

 短期間入院しポリープを切除し、そのポリープが良性だった者は、九死に一生を得たと感じ、病院を出る時、多分振り帰らない。二度と戻るつもりはない、そう思うだろう。

 一方、難病の長期入院患者にとっては、退院は一時帰宅であり、入退院を繰り返すことが多い。入院のたびに、今度はどれ位の長さになるのか、退院のたびにどれだけ家に居られるのかのかと、半ばあきらめつつ生活の場を移してゆく。

 短期入院患者は、そして特に男性患者は、周りの者と交わらないことも多い。元々仕事以外の場面でのコミュニケーションを取るのが苦手なのに加え、長居するつもりはないから、そして他の重症患者と同じにはなりたくないから、ここで知人を作る必要はない、多分そう思うのだろう。暗い、そして元気がない。

 一方、女性患者は違っている。就寝時間後に女性の六人部屋の前を通ると、大きな笑い声や、ひそひそ話す声が聞こえる。男だから、女だからという固定観念を外してみても、余りにも対照的で不思議だ。女性は、とりあえずその場を楽しんでいる。

 長期患者にとっては、誰かが退院して行くことは少し淋しいことだろう。皆の中にいた彼が、彼女が、光に向かってドアから出て行くから。

 でも多分、うらやましいと思ったり、悔しいと思ったりはしない。病気は誰かとの比較ではないから。具合が悪いのは私の体であり、それは誰の体とも取りかえがきかないことを知っているから。痛いのも、苦しいのも、少し楽になるのも私の体。私の体で生きていきたいし、私の体で退院したいのだ。だから、退院してゆく者をうらやましいとは思わない。取りかえようのない時間の中で、過ぎてゆく人たちを見つめ、自分の順番をじっと待つのだ。

 そして、退院する人を自分の事のように祝福する。二度とここには戻って来ないようにと祈る。さあ行けと、光に向かって一歩を踏み出す背中を見送る。

 やまださん、2008年3月29日退院。

 よそ行きの装いの奥さんと娘さん二人が迎えに来た。大切にされている温かいお父さんであることがうかがえる。黒のシャツにグレーの厚手の生地のジャケットをはおり、ウールのシルクハットをかぶって、しっかりとした足取りで廊下を歩いて行った。

 高田さん、2008年3月30日退院。元プロゴルファーで、多分病院で一番の有名人。

 退院日、手続きは朝済んだが、「見舞い客が来たら申し訳ないから、夕方までいる」と言って、ベンチに座っていた。

 夜六時になってもベンチで話していた。

 消灯の九時にも、ベンチにまだいた。色々な人をつかまえては話し込んでいる内に、遅い時間になってしまったようだ。これが最後の別れ。彼は皆と握手をして、患者は彼を残してそれぞれの部屋へ戻った。

 あまりにもにぎやかな人だった。少し淋しくなるけど、静かになるんだろうな、と、それぞれが思っていた。彼がつなぎ役になって喫煙所の人間関係ができてきたとも言える。憎めない人だった。

 

 

 翌日、朝日がオレンジ色に昇って間もない時間、冷たい空気の中で誰もいないベンチ。

 

 見ると…
 彼はまだいた。

 ロビーのソファに座って夜を過ごしたとのこと。二、三時間しか眠れなかったらしい。元々病気でフラフラの彼は、立ったまま揺れながら話していた。

 彼と同じフロアだった患者が驚き、担当の看護主任を呼び、彼は荷物と共に連れて行かれた。

 

 朝十時過ぎ、ベンチに行くと、彼はコンビニで買ったカツ丼をかき込んでいた。彼を見たのはそれが最後だった。

 

 夜、喫煙場所に集まったみんなで色々と考えてみたが、誰も、彼が朝までいた理由はわからなかった。わかるのは、彼が一人暮らしの広い部屋のマンションに帰るらしいことと、彼は黙っている事ができない人だということだった。

    2008年3月31日、高田さん出発。

≪その8 おわり≫