[びょういんつうしん番外編]私の足、輝いている
入院中に、建物の外の吹きさらしの喫煙場所にふきだまりみたいにたまってウダウダしていると、時々目に止まる若い女の子がいた。十代後半から二十歳くらい。
華やかな服装は、入院患者ではない空気。長そでの明るい色のTシャツに、キュロットパンツをはいて、膝上まである鮮やかな色の横ストライプのぴっちりとした薄手の二―ハイソックスをはいている。街中を歩いていても目立つだろうなと思う原色の服。決してケバケバしい印象ではなく、明るく活発な印象の色だった。
そしてその子は、足に何かの障害があるらしく、膝が内側に曲がっていて、歩行が不安定なのだった。
どうしてだろう、ずっと気持ちのどこかにその子のことが引っかかって気になっていた。見かけた時にはそんなに深く考えた訳ではなかったのに。
何となく感じていたのは、障害があるんだからそんなに目立たなくても…という印象。そして、そのキッパリとした自己主張が潔いな、とも感じていたんだと思う。
新しい話題に飢えているふきだまりの入院患者たちも、誰もその子についてはコメントしなかった。患者にとっては、まぶしすぎる存在のようにも感じられたのだと思う。
私は、退院してから体重が入院前よりも15キロも減ってしまったので、今まで着ていた服のサイズが、全部合わなくなってしまった。特にズボンがダボダボで、ウエストには、げんこつ二つ分くらいのすき間ができてしまった。ベルトで締めて、余った布をポケットの所に寄せてタックのようにしても、やっぱり、どう見てもオーバーサイズだ。
それで、仕方なく服を買いに行った。結構気に入っていたコットンのジャンバーがあったりしたので、今までの服が着られなくなるのは、ちょっと残念な気持ちだった。
店に行ってズボンを色々試してみた。
すると、今まで太ももが筋肉で太すぎてウエストのサイズと合わず、そしてちょっとお腹も出ていて似合わなかったジーンズが、普通にはけることを発見した。減量と、足がちゃんと機能していないことで、私の太ももは普通の人と同じサイズになっていたようだった。まさに太ももとウエストのサイズが合い、ジーンズの布がぴったりと体型にフィットする。これはちょっと嬉しかった。
ずっとデニムの生地が好きで、特にブルーのジーンズ生地が一番好きだった。色々試してみたけど、似合わずあきらめていたから。嬉しくなって色々はいてみて、エディバウアーとユニクロで、少しずつ生地と色合いの違うジーンズを何本か買った。ユニクロは、山口県の藍染の老舗「カイバラ」の生地を使うようになって、今までの既製品の印象とは違う生地の風合いを出している。
憧れのブルーのジーンズをはいて、病気になったんだから、このくらいちょっといいこともないとな…、ととっても満足だった。自分の、変わったしなやかでスリムな体型も結構気に入っていて、ジーンズで足がスリムにきれいに見えるのが、また嬉しかった。
この足を、入院以来ずっと大切にしてきた。ゆっくりと、じっくりとメンテナンスをしながら、動け動けって願いながら、いとおしんできた。
その足が少しずつ動くようになってきて、完全には自由ではないけれど、大切な、誇りさえ持っているこの足。ジーンズで輝いて見える。足がきれいに見えるから、私はジーンズをはきたいのだ。
ジーンズを買って、家に帰ってからも、全身が映る鏡の前で何度も順にはいて眺めてみた。そして、仕事にも、休みの日にも、ジーンズをはいて出かけた。ショーウィンドウや自動ドアのガラスに映る自分の足を、何度も眺めてみた。
そんな日々を過ごしていて、あの女の子のことを思い出した。多分、彼女も同じ気持ち。長い闘病生活を送って、やっと社会に戻って、自由を満喫できる。辛いこともあると思う。女性にとっては、体の形の不揃いを見る他人の視線は、耐え難いものがあるに違いない。そんな中で、彼女は自分の足で歩けること、お気に入りの服を着て自分を表現できることの喜びを感じているに違いない。そして、彼女の足は輝いているのだ。
そう、私の足は今、輝いている。走っている人をうらやむこともなく、病気を悔いたり落ち込むこともなく、私は私のこの足が好きで、この足をずっと大切にして、この足と一緒に生きていきたいと思っている。