よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年9月]手帳を武器にして闘う

2009年8月31日

手帳 
 

 手帳をどうしようかとずっと考えて、前に進まない。何せ、今のほぼ日手帳(「ほぼ日手帳カズン スプリング」が正式な名前)が重いのだ。その原因は、月間、週間、デイリーの3種類が1冊になっていることで、これはこの手帳の利点でもあるが、とても重い。もともとこの手帳を使い始めたのはA5というサイズが私がメモを取ったり発想したりするのに必要な最小のサイズだったから。これ以上小さくなると描いた図や構想が横に展開できないのだった。


 それで考えたのが、「自分で製本する」という方法だった。常に持ち歩く必要があるのは、月間カレンダーなのだった。休みの日であっても、外出先であっても、急ぎの仕事の連絡は携帯に入ってくる。土曜日のふとした瞬間に、来週の月曜日の予定が気になって、落ち着かなくなったりする。だから、月間スケジュールは最低限、常に持ち歩く必要がある。

 A5のシステム手帳の月間スケジュールリフィルを買い、ホッチキスで止めて一冊にすることも考えたが、今一つ美しくない。それで考えたのが自己製本。

 まず検討したのが製本機。ミシン製本機は、だいたい150万円~400万円くらいだった。一冊の手帳を作るには、まったく現実的でない金額だった。革用のミシンで縫えるかとも考えたが、まったく別の構造をしているようだった。

 それで次に考えたのが、手かがり製本。これは比較的容易な様子。それ用のキットも売られているようだが、背を丸くするというような「本」の形にするための物で、私はそこまでは求めていない。要は、紙に穴を開けて糸でかがればいいので、仕組みは簡単だ。千枚通しで穴を開けて縫ってしまう程度でも、月間カレンダー一年分は綴じられてしまうかもしれない。

 もっと手軽な方法、それは製本用ホッチキス。ホッチキスの「腕」が長くなっていて、二つ折りした紙の真ん中を留められるようになっている。以前に文具のカタログで見たことがある。文房具屋で探すと、3000円。すぐに購入した。これで月間カレンダーは何とかなる。自分で作ったカレンダーをホッチキスで留めれば、手軽に分冊は完成する(予定…)。 


 次の問題は、メモをどうするか。ツバメノートの方眼A5版を買った。さあ、この方眼ノートを使うと、どのような問題が起きるか。これまでの利便性は、一年分が「ここ」にあること。薄手の分冊にすると、約一ヶ月分しか閲覧できない。必要に応じて過去の物を持ち歩くと、重くなる上に、どの過去のノートが必要になるのかがわからない、という問題がある。大抵は予期していなかった時に、メモを参照することになるのだ。ただこれは「いざっていうとき」レベルの問題であって、機会としては少ない。しかし、そのいざっていう時がとても緊張度の高い、せっぱ詰まったシビアな状況、交渉の場とか、講演の場だったりするから困るのだ。急ぎ、以前のメモを参照して何とかする、という逃げ道として必要だったりする。

 ただし、まったく無関係なメモを必要とする場合は少なく、別の会社や、別の講義資料の場合が多い。メモが同じジャンルでファイリングされていれば、それを持ち出せさえすればいい。で、結局行き着くのが、ファイリングの問題なのだ。ジャンルに分かれていること、メモを必要に応じてすぐに探し出せること。分けるためには、切り離されている必要がある。これは、紛失問題と表裏なのだった。

 それと、一冊に綴じられていると、何だか本みたいで、乱雑な文章も有り難い感じがする、という思いこみ。バラバラな紙は場合によっては紙屑のようにもなってしまうので有り難みがない。

 とりあえず、気に入った色と材質の手帳カバーを買った。それと、書くことを大事にしようと、ずっと使っていなかったペンにインクを入れた。

 もう一つ、手帳に閉じ込みたいものがある。それは、時々作る、仕事を俯瞰するメモ。それと常に使う電話番号簿等。これらと過去のメモの閲覧を、ファイルをPDF化して携帯電話で行うという方法も考えてみる。今日、職場のPCで自分用のGoogleのアドレスを取得した。ここにドキュメントサーバーがあるなど、Googleは相当使いやすい道具として進化している。

 理想的な形は、革の表紙の薄い手帳を開けると、ものすごく軽くて薄くて柔らかい形状の液晶画面があり、過去のメモはそこをタッチすると閲覧できる。その右側のページが紙で、スケジュールなどを書き込める、というようなもの。未来のノートのよう。多分あと10年くらいしたら、私が望むようなノートもできるんだろうな。
 

 

 
2009年9月2日2:24 

いかん 寝不足だ… 

 プールに行って、耳に入った水がなかなかすっきりと取れなくて、ティッシュで耳の中を突っついたら、何だか炎症が起きている様子。耳のなかでゴロゴロ音がする。片耳が少し塞がっている感じで一日過ごしたら、ちょっと目まいがした。そして風が冷たいと軽く風邪を引くらしく、それでまた、体に熱がこもった感じになったり、耳鳴りがしたり。 
 

 夜になると、全身が重くなって、体を起こしているのが辛いくらいだるくなる。パワー切れのような感じ。最近の仕事のシビアな状況や、日々のギリギリの対応は、小さい緊張がずっと続いているようで、気持ちが休まる時間がない。今週も、週末まで大きなイベントと、その準備と、それから、小さいけれど力を使わなければならない課題が多く残されていて、いずれも準備する時間さえ取れない中でこなしていかなければならない。
 そして何より、自分を取り戻そうとする今のような時間が、睡眠時間を削ってしまう。必要な時間なんだけど。でも、何よりも、この疲れの原因は寝不足なんだと思う 
 寝よう。 
 何も考えず何もせずに眠る日が必要なんだろうな。

 


  
2009年9月3日1:58 

霧で前が見えません 
 

 病気については、そんなに地に足が着いている訳ではない。仕事のコントロールも。 
 どちらも精一杯な感じ。全体像が見えていたり、だいたいの流れがわかっていたり、結論がわかっていたりだったら、もっと気持ちに余裕があるのだろうね。

 どうしてなのか、いつも、乗り越えられるかどうかよりも少し高い課題が、次々とやってくる。だから、全く余裕はないのです。先週末の頃の仕事の山積み状況も、そんなでした。

 どれもどうしていいのかわからないような項目のリストが、約30個ぐらい。それも次々と増えて、週末に溜まってしまったものなので、その数さえもわらかず、メモも残していなかった。記憶にあるやるべき項目が、書き出したらそのくらいあったという状況。

 一つずつに3~4の手順があるので、実際は100に近い工程数。どうしようと思い、とにかく気持ちが落ち着かないので、書き出してみよう。書き出す表はどんな分け方がいいのかから始めて、優先順位の付け方を考えて、それらに取り組むのにまた気持ちを前向きにする必要があり、ひとつずつに辛うじて取り組み始め、さらにイレギュラーな大きな項目が次々と加わり、常に気持ちに余裕なし。

 おまけに、この巻き戻しの時間が必要なので、睡眠はますます短くなる。そうやって、結果として、やっと少しゴールが霞んで見え始めたかなというところ。解決方法がわからないものが目の前にあり、霧の中で、どうやって自分の位置をつかむのかから考え始める。何の自信も確信もない。ひたすら、足を、前と思う方向に踏み出し続けているだけ

 

 


2009年9月3日2:27 

最近気になっている道具 

 

デジタル一眼レフカメラオリンパス ペン 
携帯電話:シャープの1000万画素の携帯 
     ウィンドウズ携帯 
リュック:輪矩の黒いコットンのバッグや、ビームスに売っているらしいリュック 
ジャンバー:軽くて普段着ることができそうなレインジャケット 
テント:小さいテント(今のテントがそろそろ限界、交換部品は生産終了) 
タープ 
水泳トレーニング用のズーマー 
革用ミシン:JUKI シュプール 
  
使い始めた物 
万年筆:ペリカン ずっとインクを入れていなかった 
ノートカバー:Theme 
靴:スカルパの水色の靴 
Pomera 

まだ読んでいない本 
聴覚障害者の心理臨床①② 
  
春からずっとしている時計 
ヴィクトリノックス ブラックアイス 

毎日寝るときにヘッドフォンで聞いている曲 
Sugar High 
Yuko Ando 
Singer Songer 
Cocco 

今年活躍したもの 
 
自転車:Pnasonicの銀色の電動アシスト自転車 
水筒350ml 
ノースフェイスのリュック 
黒い水着 
ほぼ日手帳 
グレーの帽子、茶色の帽子 
紺色のインナーバッグ 
メッシュのランニング用ティシャツ 
Edwin512のワンウォッシュジーンズ(グレー) 
薄手のボクサーブリーフ 
ノースフェイスのローカットシューズ 
ナチュラルローソンで買った半径70cmの傘 
依然生き延びているオレンジの携帯電話 
 

 

 
2009年9月9日1:00 

球は勝手に転がり出し… 
 

 先週の初めあたりから、いや先々週か、仕事が山のようになっていて、手をつける気にもならなかった。仕方なく、リストアップしてつぶすというやり方で、碁石をひとつずつジリジリと動かすように、それも、勝ちの形がまったく見えない、想像がつかない状態で進んできた。一歩一歩というのであれば前進していることは確かなのだが、どちらかというと、囲碁のようにジリジリと常に変わり続ける状況と陣形のよう。そして、今朝まで気持ちのスイッチが入らないなぁと、朝一番に架空の予定を作って、遅刻して出勤したりしていた。

 今日も全く出口の見えない企業への訪問があり、それも気が重い原因の一つだった。先週に、どうにも解決策が見つからないので、半ばやけになって1時間半位で6ページの報告書と提案書を作って、メールで企業に送っておいた。きっと相当に焦点がずれていてもう来なくていいと言われるのだろうと思い、今日は緊張を通り越して、諦めの気持ちで会社に向かった。

 それが、どういう訳かその提案書が、先方の気持ちの何かに響いてしまったらしく、とても感謝されるという結果になった。話を聞いても、全くなにが効果があったのかはわからない。でも、そういう結果らしかった。よくわからないが、いつの間にか前に進んだらしく、そして、気づけば、先週初めにあった課題も、7割位は解決しているのかもしれない。

 初めからその程度のものだったのかどうか。気持ちが乗らないから進まなかっただけなのか。前向きになると、歯車が噛み合って動き始めるのか。とにかく、勝手に球は転がりだして、前に進み始めているのだった。

 仕事の内、重要度の高い3割を進めた時には7割が終わっているというパレートの法則の分岐点を越えたのか。野村監督が言う「勝ちに偶然あり(負けに偶然なし)」という言葉を思い出したりしている。そんな一日だった。

 調子に乗るとたいてい突き落とされるので、明日も真剣に取り組もうかな。朝起きたら前向きだといいな。

 

 


2009年9月9日1:09

怪しい目つきのイラスト  

 

 奈良美智というイラストレーターの描く、怪しい目つきをした女の子の絵が気になる。そいつは、どうも子どもらしくない悪い目つきをしているのだが、それがどうしても気になる。ルミネのコマーシャルのイラストを描いている人だろう。

 私は、子どもらしい子どもというのは、元々あまり好きではないのだと思う。その子の目は、怒っていて、憎しみに満ちていて、それでいて、その後泣き出すのではないか、という表情。そんなのが子どもの姿だろうなぁと思うので、目が離せなくなってしまうのだろう。そんな目をしているのに服装は子どもで、背もちっちゃいので、ますますおかしい。 
 それと、絵を売っている店で見たティノ・ステファノーニという人のリトグラフも気になる。明るくシンプルな風景を、ものすごい太い温かいタッチで描いているのだが、その人の絵にある陰の色が、私が気持ちの中で気にしている陰のイメージに近い。陰に共感している。
  

 


2009年9月9日1:34

てる法の本、寝かすのが良いのか、そして万年筆  
 

 最近、本屋で、捨てる方法を書いた本を時々見かける。整理の本も平積みにされているところを見ると、売れているのだろう。物があふれている生活の中で、みんなが何かを生み出そうとして、そして多分エコとか自然というものへの指向の流行もあって、みんなシンプルライフにどこか憧れているのだろう。

 このような本は、その傾向性を気づかせて、物が溜まるプロセスを明らかにして、捨てるところへの一歩を踏み出させるようなものなのだろう。8割は要らないものだから捨ててしまえ、ということ。そして、捨てることは気持ちがいいと。そのことですっきりするし、少ない物や情報ならば、必要なものがいつでも探せるということ。

 言われて見れば確かにそうかもねぇ、ということが書いてあった。要不要で言えば、きっと古い写真なんかも不要なのではないかと思うし、この著者の論理で言うと、捨ててしまうことになるんだろうな。「服は同じ色で揃えろ」、とまで書いてあった。二番手が不要など、この辺はちょっと極端な気もする。選択肢があっての一番手なのでは。まったく嗜好とか遊びがないというのもどうかなと思う。 
 読みかけの本とか、書きかけのメモとかまだ読んでいない本。これらはどうなんだろう。情報やアイデアは、寝かした方が良いという感じもある。一度言葉にして意識に上らせたものを寝かしておくと、しばらくすると突然答えが自分の中から出てきたということは、何度もある。自分が前に書いたメモに喚起されたこともあるし、振り返りが重要だったこともある。過去の文章やメモに気持ちが助けられていることは多い。

 一方で、あまりも多量のメモや資料があって、必要な物が探せなかったり、たくさんの情報の中で大切なものを見失うのは、意味がないことだと思う。だから、シンプルな方がいい。手帳についても、この点を迷っている。よく吟味して、終了している案件の大量のメモの中にうずもれている大切な原石を、どうやって見つけ出して、光らせるか。そして、原石は文脈から外してしまっていいのかどうか。それらは、不要とされるメモの間にあることで意味を帯びていて、だから磨きようがあるのではないかとも思う。

 要るメモだけを別のノートに切って貼ってしまう方法や、時系列にファイリング、または項目別にファイリングするか。結局、その時に、「いつか考えよう」とするのがいけない気もしていて、何らかの形で、未完成であっても自分の内側をもう少し突っ込んで何かの形にしておく必要があるのではないか。もう少しで自分なりのやり方が見つかるかどうか。 
  

 


2009年9月9日1:58

空気を持ち帰る 

 最近、通りがかりの大都会のいろいろな種類の高級店を見ていて思う。ブランド力というのは、店の空気も含めて売っているのかもしれない。

 品質やサービスの裏づけがあってブランドは名前を広めてきて、その品質が高い価格となり、高い価格だから希少価値があり、それを持つことで自らの価値が上がったように感じたりすることになってしまっている。

 それが記号であることをみんなが知っているので、記号を所有できていることが、自らのへの価値の付与になるという誤解がある。日本ではそういう広まり方をしたから、ヴィトンがただのお買い物カゴ並みに価値を下げてしまったのだろうな。だれでも持っている高級品は、希少価値を既に失っている。

 それでもなお、すごいなあと思って見ているのは、店構えや雰囲気。多分、世界のいずれの店舗も、ブランドごとにイメージしているコンセプトや歴史があって、それにもとづいた店舗や店員がデザインされているのだろうと思う。その重厚な感じや接客、商品に当たる照明は美しい。そんな店で法外な高額商品を買ってしまうのは、その店の空気や文化を切り取って持ち帰れるような気がするからなのではないか。「あそこで買った」ということを記憶にしっかりと残しながら、物に思い入れる。

 ブランド品を買う人は、「ブランド品は確かに物が良いのだ」と言う。それは後づけした理由なのかも。ブランドロゴがついていなくてもその商品を買うかどうか。ブランド名は品質の証とはいうものの、ブランドロゴを持っていることへの、他人の視線や見え方を、意識していないということではないだろう。アウトレットでブランド品を買うのではなく正規点で買う時には、たぶん、そこにさらに空気という付加価値が付いて来るのだろう。その空気は持つ人の思いと記憶なので、他の人からは見えなかったりするんだろうけど。そういう、個々の物へのゆっくりとした思い、というのは好きかもしれない。