よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年7月]書いて、走って、ストレスを排除する

20097713:06

メモ 

 どうして、メモは書き直すとつまらなくなるんだろう。それは、前から感じていること。パソコンで清書すれば、ニュアンスは完全に消えてしまうし、汚いシャーペンの文字をきれいにペンで直しただけで、もう違うものになってしまう。字の勢いや書いた時のニュアンスが、メモにはあるからかな、と思っていた。 


 言葉や思考の在り方が、手書きの文字のようなのかな。思考のスピードは、手書き文字の速さだ。さらには、ゴロッとある言葉の在り方は、メモ用紙の上の雑然とした字みたいにあって、それは勝手な大きさとつながりで、更には他の思考とつながる。整列した文字ではない
 

 

 

 
20097713:25

思考に触れる心地良さ  

 メモは、そのものではなく、メモによって、また、書かれた状況によって、言葉が思考に触れ、何かが触発され、喚起される心地良さなのではないか。

 新たに脳神経細胞がつながる快。脳には、進化のために、そんな快が備わっていると考えるのが自然だ。 
 清書や書き直しは、文章構成作業。 
 マインドマップ
 

 

 

 
20097713:28

テーマ 

思考を妨げない道具 
携帯とキーボードと入力デバイス 
あの時間 
考え、生み出す時間がない 
走ることは考えない時間。泳ぐのはなに?走るのと違う?

 

 

 

  
20097721:19

ポメラ  

 本当は、思い描いているのは、書く機械ではなくて、書く時間なのかもしれない。そんな時間が持てることと、思いを書き切ること、新しい何かに気付くこと、生み出すこと。

 だから、小さい方眼の手帳で代用できるかを、迷うのだろう。もし買って、いつ、どうやって使うのか。電車の中では使えない。思いついたことをパッと書くのは不可能なサイズ。場面と大きさでは、携帯がよかったりもする。入力が思考を妨げないかどうか、広げる場面と構えが、書くことと両立するかどうか。 
 もう一つやりたいのは、単純な入力。たくさんの書き溜めた文章を、なんとかしたい。
 

 

 

 
2009071013:46 

KJ法 

 KJ法の考案者カワキタジロウ氏が亡くなったというニュースを昨日聞いた。彼については、詳しくは知らない。手法のその後の進化は特にないようだったから、それが本業ではなく、何かの学者なのだろうか。私は人については知らないが、この手法には思い入れがある。


 私がKJ法に出会ったのは、大学に入った頃だと思う。きっかけは忘れた。学生を対象にしたクリエイティブな雑誌に書籍紹介があったか、文化人類学の講義で参考図書として上げられていたか、おそらくそんなところだろう。KJ法は、文化人類学の手法に似ている気がする。カードによる情報整理など、大学では学問の手法も紹介され、それらは私にとってどれも魅力的だった。それは、何かを生み出すというクリエイティブさとともに、情報やプログラムの総体が実体を表すか、というシステム論的な私の指向に合っていたのだろう。


 KJ法は、やり方が簡単で準備がいらないため、一般によく用いられる手法である。紙の小片に意見を一つずつ書き、似た物を並べる。あまりにも簡単なので誤解されているが、実際は理論と細かいルールがあるのだ。新書で出ている本を、大学時代に読んだ。そして、一人で何度も試してみた。

 例えば、カードをまとめる際には、必ず最小のカテゴリーから行うこと。カードに書くのは、語句でも思考の断片でもよい。書く前に意見として精査してはいけないのだ。そして、ここが中核なのだが、カードの関係性、カテゴリー同士の関係性を繰り返し練るのだ。それが思考そのものであり、繰り返しのその操作により生み出す。先入観や既製概念でカテゴライズしてはいけない、というルールがある。

 断片をつなげるのは、あくまで人なのだ。プロセスが思考を生む、という考え方が基礎になっている。


 大学時代に、断片の塊のようになり混沌としていた私は、暗い6畳の部屋の畳の上に、何十もの鉛筆書きの広告の裏紙を並べて、苦しみながらカテゴリー作業をした。そこから生まれたのが最初のエッセイ集であり、その時に凝集した自我のイメージが、今につながっている。

 あの思考と生みの苦しみの感じ、つながっていく、気付く感じが忘れられずにいる。いつかまたあの手法を使えば生み出せると思い、切り札のようにしまってある手段。


 最近、マインドマップとか、発想法とか、ロジカルシンキングとか、世の中の行き詰まりに呼応して、生み出す手法が取り沙汰されている。KJ法は、おそらくその原型になるものを内に持っているだろう。私が手帳や入力デバイスを検討しているのは、KJ法のエッセンスが形になる方法を探しているのだ。


 彼が亡くなるその時間に、まさにその名前と手法を思い浮かべていたことを後で知った。私に一つの大切なやり方を教えてくれたことに、感謝したい。

 

 

 


20097120:10

Yuja Wang  

 ユジャ・ワン ピアノ・リサイタル~ヴェルビエ音楽祭08 
   ~スイス・ヴェルビエ サル・メドランで録画~ 
曲の世界、音の波に乗る 
グロスを塗った唇が潤って光る 
唇をを少し開いて微笑みながら 
頬を紅潮させて 
全身を指に乗せて力強く 
正確なタッチと流れるような音 
楽譜のない音だけの空気
 

 

 

 
2009年7月13日

梅雨明けたか

 朝、職場のあるマンションに着くと、エレベーター前に、体格のいい男が5、6人いた。一人は段ボールを手に持ってた。家宅捜索みたいだなぁ、と何となく思って後ろに立って見ていると、一人の男のベストの背中には「警視庁」の文字。やっぱりそうなのか。この街の、どうも都会の隠れ家っぽいこのマンションだから、あまり意外でもない。

 捜索先は、事務所の真下の部屋のようで、廊下から下の階をのぞき込むように見てみると、「警察」「開けなさい」という声が聞こえた。ドラマのように「警察だ!」という迫力ではなく、ドアの前で拳銃を構えるでもなく、何だかのんびりした口調だ。そういえば、マンション前にパトカーらしい車が止まっている様子もなかったな。麻薬取締法違反とか、違法ビデオコピーとか、そんなのなんだろうな。別に犯人が暴れる様子もないようで、引き続き静かな午前のままだった。

 
  職場に着くと、誰もいない。今日は全員が外出のようだった。ぽつんと一人。以前の仕事場も一人だったので、こんな気持ちはよくあった。だた、今回の職場はマンションの一室なので、本当に誰もいない。とりあえず急いですることもない。きっとあるのだろうけど、あまりとりかかる気にもなれない。

 とりあえず、窓を開けてみる。たばこをすってみる。それでもすることはないので、朝ジムで走って汗で重くなったティシャツを、水洗いして干してみる。それから、自分の席の後ろの棚の下の方につっこんである服を畳んでみる。

 すると、病院でいつも大切な物を入れて、首から下げて歩き回っていた、ポーチが出てきた。汚れている上に、放ってあったら、何だか木綿の生地の色が褪せて劣化しているように見える。厚手のコットン生地が気に入っているポーチなので、洗おうと思った。今まで洗えなかった。病院の時間をそのまま保ち続けられるような気がして、洗わなかった。あの頃から、もうずいぶん時間が経った。洗おう。朽ちていくのはかわいそうだ。決心して流し台に行き、食器をつけおく洗面器を出して、洗剤をぶっかけてザブザブ洗う。泡が切れるまで、何度も冷たい水をかける、しぼる、水につける。まだ午前の夏の陽が当たるベランダに干す。

 
 梅雨、空けたかな。夏の鋭い陽射しだった。
 

 

 

 
2009年7年13日

書類を捨てる 

 前の前の職場から持ち込んだ段ボールが3つ。それは、更に前の職場から異動の時に持ち込んだ書類のファイル。

 この間、別の用事で行ったら、置いたままになっているキャビネットの中の大量の書類を、持ち帰ってほしいと言われた。その場で大量に捨てて、5分の1位にしだだろうか。歴史的価値のような、かつての巨大事業立ち上げの過程の検討書類とか、当時作成した大量のマニュアルとか、研修資料とか。

 整理して、多くの書類を捨てた。捨てなかったのは、日々の多くの課題を解決しようとして作った様々な資料。プロセスを記録した書類。ノートと手帳。使いはしないだろうけど、その努力の結晶のような書類は、ちょっと気持ちの上で捨てにくい。以前は、使うかもしれない、という残し方だったが、今はそれはなくなった。当時の自分の様子が喚起されるような書類を、今と将来の自分のために残す、というような感じだ。 
 それらの書類を、更に精査して捨てた。ファイルは、大きく3冊だけ。1冊は今も使う可能性がある資料。もう1冊は歴史的価値としての資料。最後の1冊はノート。ノートというのは途中まで使いかけで終わることが多いので、書いてあるページのみ手で切ってファイルした。最後まで書いてあるノートは、そのままの厚さだと穴開けパンチが通らないため、真ん中から二つに分けてパンチした。

 こうやって最後に残ったわずかな書類を見てみると、ずいぶん少ないんだなと思う。そして、その数冊というのも、自分の中で咀嚼されてよく知っていることばかり書いてあるので、本当はいらないんだろうな。結局は、書類を残すことにはあまり意味はなくて、自分の中にあるものがすべてなんだと思う。まぁ思い出のアルバムのようなものだろう。とりあえず、私は全部を捨てることができないのだから、この辺りが今の最大の妥協点なのだろう。 
  最近、何度かこんな整理をしていて思うのは、私が突然死んでしまったりしたら、これらは整理に困るだろうなぁ、ということ。私にとっても意味が危ういのに、他の人にとっては、更に意味が見いだせないだろうな。それでも、捨てていいものなのか迷うのだろうな。それにしても量が多い、とみんなが困るに違いないのだ。うーん、生きている内に、自分でなんとか整理しておかないといけないのだろうなぁ。

 

 

  
2009年7月13日

バス停 

 職場の近くのファミリーレストランのカウンター席に座ると、大きな通りの向こう側のバス停がよく見えるのです。 
  病院の前のバス停で、バス停には大きな屋根がついていて、病院帰りのおばあさんとか、めがねをかけたおじいさんとか、松葉杖をベンチに立てかけた太った女性とかが見えるのです。みんな、バスを待つ、つかの間の時間を過ごしているのです。みんなバスが来る方向をみたり、日陰になっているベンチでボーッとしたり。

 バスに乗ったのでしょう、しばらくして眺めるとメンバーが替わって、また同じような光景がそこにあるのです。 

 

 暑いけれど風が強い日の日陰の風景。
  

 

 


2009年7月14日

クソ女の話 
  仕事で国立の関連機関に行った。前からの知り合いの職員に、協力を依頼しに行った。それはそれで良かったが、そこに非常勤のクソ女がいた。 
  何が言いたいのか、始めさっぱりわからなかったが、要は、自分は似たことを先にやっているし、みんな仲良くやっているのだからと、後から入ってくるのが不満らしい。穿った見方で私の事業を最初から見ているし、すべての情報を、自分の都合の良いようにしか解釈していないので、事実をかなり歪めて認識している。 
 一方で、私はお客さんをもらう立場であり、サービス実施者なので、クソ女の情報からも、参考になる意見を拾い上げ、確かにおっしゃる所もあり等と言って真摯に受け止め(受け止めた振りをして)、参考になるご意見をありがとうございました等と言って、とても偉いと思います。 


 確かに事業開始期には、多少の不備はあった。それもやむを得ないと思うのだが、言い訳にすぎないとも言えるので、言われても仕方ないなとも思う。しかし、事業実施場面そのものが全くユーザーの為になっていないし、ユーザーとの関係もできてないというのは、事業の趣旨や実態とは全くかけ離れていて、事実と違っているので悔しい。 
 今後どうするか。一つの方法は、今回マイナス印象を持っている人達の中に、入っていくこと。また、誤解を受けている面について、それを補足する広報を行うこと。一部に流れているであろう噂や、マイナス印象を知ることができたのは収穫であり、対策と戦略を練れば良いので、とっかかりはできたと言える。ただ思うのは、クソ女の言っている「みんなが言っている」の「みんな」はクソ女の周辺の一部の人であり(そいつらがネットワークを組んでいるのが、マイナスの噂を流布する元凶なのだが)、一方で実績を積んでいる地域もあるのだから、そちらを中心に組み立てていって、クソ女エリアを空白にしたまま、周辺をすべて実績で既成事実化してしまうというのも方法だ。全域で実績を取るべきなのかどうか。個人であれば、そういう皮肉っぽい戦法も考えるのだが、今、事業実施者として考えた際にどうなのか。それと事業委託元の評判の悪さと、外での事業説明のいい加減さ、内部の連携のなさ、これも問題だ。ある程度一線を画して見ていった方がいいのかもしれない。

 
 いずれにせよ、大変さとか一生懸命さと、結果は、全く別物であることを、改めて感じた。そんなボロクソの批判の中で、どうやって自分を保っていけるのか。どうして耐えられるのか、なぜ、妙に冷めてそれらの状況が見えるのか、それが不思議だ。以前の私だったら、耐えられなかったかもしれない。したり顔で批判したり得意そうに話すクソ女の表情や意図が良く見えてしまうのが不思議で、それもクソ女を黙らせて軟化させ、最後には笑顔にさせ、恐縮させるに至った一つの理由なのだろうな。こちらには隠すことも飾ることも何もない。今、辛うじて確かな基盤になっているのは、研修修了者との感情的な交流と求心力。これを失わなければ大丈夫

 
 意外な所から変な敵が出現した一日の終わりだった。胸くそ悪いので、帰る前に吐き出しておかないと、夜中に目が冴えていろいろ考えたり、ムカついたりしそうなので、外でこの文章を打ってから帰ることにした。すこしすっきりした気がする。明日から戦略を立て直そう。

 

 


2009年7月16日

近の体の様子 

  この1カ月くらいは、朝一番が外回りだったりというような特別な事情がない限りは、出勤前に、職場そばのジムで走っている。

 出勤前のわずかな時間なので、走るといっても10分~15分くらいだが。窓から眼下にターミナル駅に入る通勤電車が見えるランニングマシーンで走っている。短時間である程度汗をかき、心肺を循環させたいので、30秒毎に負荷を時速1キロメートルずつ上げていく。10分で一度息が上がるくらいまでになり、ティシャツが汗で重くなる。その後シャワーを浴びて、体を少し冷ましてから出勤するが、ジムから職場までが1キロくらいあるので、背中に朝日を受けて、職場に着くまでに、また汗をかいてしまう。 


  朝走るようになったのは、下半身が弱いと思ったから。去年の9月半ばから、週に4~5回プールに通い、少しずつ休みながらだが、1.5キロ位は疲れずに泳げるようになったものの、通勤や外回りの階段では足が重くなるのだった。考えてみればプールでは水に浮かんでいるのだから、足は全く丈夫にはならないのかもしれなかった。ばた足をして足や背中、お腹の筋肉はある程度つき、脂肪も落ちたのだが、逆にクロールばかりする私の上半身は、胸囲が去年より4センチも大きくなり、上半身が重くなったのかもしれない。肩甲骨や腕の付け根にあたりに筋肉がついているのがわかる。それと、日々の荷物が重い。これまで、荷物を紙一枚単位で減らそうとしてきたが、仕事上の書類を持ち歩く日は、重い荷物を持つのを避けることができない。そんな理由で、朝走ることを思いついた。今入っているスポーツクラブの内、都会の会社近くにあるクラブは朝7時から営業していることに気づいたのだった。そして、たまたま駅から職場の通り道にクラブがあるのだった。

 
  朝走るようになって、一日の体調が良いのがわかった。朝出勤してから頭がボーッとしていた時間がなく、朝からフルに頭が回転している感じがする。体が起きているのだと思う。朝から息をハアハアしてから出勤するので、声も大きい。そして仕事の都合で夜にジムに行かれない場合も、朝走ったということで、あきらめがつく。それまでは、仕事が自分の都合ではない理由で夜延びると、イライラしていたのだった。それから、気持ちの変化もあるかもしれない。仕事上ストレスがかかったり、外で批判や難しい交渉状況になることがあるが、気持ちのどこかで、朝一人で努力している気持ちがあり、それが気持ちの強さになっている気がする。 


  走り始めて、足が太くなった。お尻も、以前のように大きく張りが少し出てきて、ジーンズの布が余ってお尻の下や真ん中あたりでたるむことがなくなってきた。歩行も、更に安定してきたように感じる。実質的には、杖もいらなくなっている。荷物を重いと感じることも少なくなった。それと、最近わかったのだが、持ち歩いている職場の携帯電話には万歩計がついていて、外回りの日には、仕事だけで10キロ近く歩いている日が多い。通勤のみで3~4キロは歩いている。これに2キロのランと1キロの水泳。今までの人生で、一番運動しているかもしれない。ただ、暑くなって、やや疲れが出てきた。時々朝のランを水泳に変えてみたりしている。おおもとの原因は、仕事の終わりが夜中近かったり、睡眠時間が短いことなのだと思うが、この夏をどう乗り切るか。

 

 

  
2009年7月17日

集中 

  稀に出る集中力。この源が何であって、どのような状況で出るのかは、よくわからない。この二日間がそんな感じ 
 おそらく、抱えている課題があって、それに対する解決の単緒がなくて。ないというよりは、積極的に解決に向けて取り組もうという意欲、勇気と言えるような気構えができなくて。それが突破できない見えない壁として自分の前にある。その内の一つを、思い切ってぶつかり、乗り越えようとすることで、小さなきっかけがつかめる。

 完全に解決しないこともある中でも、取り組んだという気持ちと、そこに対して得られる何らかの結果が、更に気持ちを前向きにする。そして、周辺にある別の大きな課題に対しても取り組む姿勢が生まれて、それが一定時間の深い集中力を生む。

 場面、状況に身を置けば、そこで状況を判断し処理する自分がいて、自分でも想像しなかったものが自分の中から生まれてくる。そして、たぶんそこで集中に関わってくる要素は「構成的な何か」なのだろう。

 今は、唐突に猛スピードでトンネルを抜けつつある状態。長く努力した週末の開放感の中にいる

 

 

  
2009年7月19日

皆既日食

  皆既日食があるらしい。奄美大島。何年か前に奄美大島に行った時には、すでにささやかに、「皆既日食ティシャツ」等が売られていた。大したイベントもない、のんびりした島だから、観光目当てというような貪欲さもない感じで。めったに注目されることがない島なので、ちょっと誇らしげにそのティシャツは展示されていた。けれども、誰も買う人はいなかったのだけれど。 


 一度、日食を見たことがある。中学の頃だったか、高校に入った頃か。その時は部分日食だった。確か太陽が三分の一くらい黒くなったのだった。その瞬間を覚えている。陽射しは確かにあるのだが、光が弱くなり、空気が青くなった。ちょうど晴天の空の下で絞りを3段くらい絞って風景写真を撮ったような弱い光と青く染まった空気。そして一瞬なのだが気温が少しだけ下り、少し冷たい風が吹いたような気がした。

 
  晴れるといいな。

 

 

  
20097201:18

日記  

 書くのはいいのだが、日記を書くとこんな時間になってしまう。 
こうやって寝不足になって、命を縮めるんだな。
 

 

 

 
20097273:14

クーリングが終わった  

 感慨はあまりない。これまで2種類の資格を通信教育で取ったので、合計6回くらいスクーリングを受けているからな。だいたいの手ごたえとか、勉強の仕方もわかっていて、これが資格試験との間で、どの程度の時期にどんな比重であるのかも、わかっている。だから、解放感はあまりないのだと思う。前に受けた通信講座では、私はテストの点数とレポートの成績合計が、500人くらいいる受講者の中で1番だったらしい。そんなもんか、と思った。 

 で、明日から再び仕事。スクーリング期間中にも仕事場に行ったので、普段の長期休みの時ほど緊張や嫌々感はない。やらなければならないいくつかのことはあるので、嫌ではあるが。 

 それと講座のレポートを3つ、数日中に書かなければならない。これも気持ちの負担ではある。何とかするけど。先週末から、ずっと毎日早朝に起きて学校に行き、帰ってからも勉強をする毎日だったので、相当疲れていると思う。

 今週、走りながら回復しなければ。インターバルトレーニングのようなものだな。