よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年5月]イライラする 後半は企画事業初期の山場

2009533:28

ロックシンガーの彼 

  亡くなったそうだ。以前、癌の闘病と復帰のドキュメントを見た。

 ああ、最後まで闘ったんだな、と思った。最後は壮絶なのに、ニュースはあまりにも小さいトピックになってしまうな。

 
 高校生の頃だったか、大学に入った頃だったかに、彼について書いたエッセイを読んだ。当時の私の目からみると、相当いい加減な生活をしていると思った。モラルがない、というような印象だった。それが悪い印象かというとそうではなくて、憧れのような思いもあったと思う。記憶では、横須賀だったか横田基地だったか、どこか米軍基地の匂いのする乾いた空気の町に、若い頃の彼は住んでいて、適当に女を連れ込んでその日暮らしをしていた、という光景が思い浮かぶ。そんな中で何にもなれず、投げやりな生活を送っていた彼がいた。共感はできなかったが、そこにある、何にも縛られない自由な空気の匂いを、私は感じていたのかもしれない。 
  RCの「C」clover。元はクローバーというバンドだったんだ。多分、ロックではなくフォーク。「歴史に残る大ヒット曲」というような、メジャーな存在ではあり得ないアウトローさでいつも時代の中にいたから、知っている人の記憶のすみっこに残る存在になるんだろうな。

 そして、私も、「彼を覚えている人」の一人になるんだろうな。

 

 

  
20095310:53

歌手安藤裕子 

 

   CDを借りてみた。

    前に勤めていた職場は、あまり望ましいことではなかったけど、事務所に一日中FMが流れていた。時々、気になる曲が流れることがあった。そのラジオ局はHPに、リアルタイムに現在のオンエア曲リストを更新し続けていたので、手が止められるようなら仕事をしている振りをして、ネットで曲名を調べてみるのだった。手を休められない場合には、放送時間をメモしておいて、後で調べてみた。

    その中の一つが、安藤裕子という人だった。別の曲で、何度か同じこの人を検索していたので、私の耳に残る人なんだろうなと思ったが、今までレンタル店で棚を眺めていても、名前が目にとまらず、借りる機会がなかった。

 
  ジャケットを見てみて、思ったより相当若い。幼い表情。これは、かなり意外だった。声の質から30代半ばくらいを想像していたので、面食らったという感じに近い。ちょっとエキセントリックで、かつ落ち着いた太さがある声、歌いなれた声の出し方、こんな声を、こんなにかわいらしい人が出してはいけない。それと、歌のやや淋しげなトーンも、年齢を高く想像させていたのだろう。薄曇の町のような歌。

 写真を見てしまったので、再び先入観ができてしまい、そして、この声をどうとらえて良いのか、自分の中で落ち着いたポジションができずに、聞いている。何だか、落ち着かない。例えて言うなら、エキセントリックな声があったとして、それがナチュラルに出るファルセットの揺れた声なのか、テクニカルに意図的に出している声なのか、気持ちの表現なのか。それによっって、多分表現されているものはまったく違うんだろうと思う。それを聴き分けられずにいるという感じだろうか。

 

 

  
20095月72:23

墜落の連休、そして捨てる 

  長く休むと、ろくなことがない。本格的に気持ちがドーンと落ちていた。

 そしてよく寝た。その割りに夜更かしして何かをしていたということでもなく、夜は夜で寝ていた。

 プールへ行く気力も失せてしまっているため体重はどんどん増え、そのせいでか、歩行が不安定になり、雨の中で滑って転倒した。動かし続けることで、バランス感覚をつかんでいるのかもしれない。動かさないと、しびれも強い気がするし、違和感があり、発症時のような浮遊感もあり、気持ちが悪い。とにかく不快。

 
 落ち込むと、とにかくイライラするし、何もかも自分が病気になったことが悪いんじゃないかと思い、それでも何か病気から抜け出せる方法があるわけではないので、気持ちが悪循環のループに入ってしまう。 
 身の回りの物を見て、その情報や量にイライラし、面倒なので捨ててしまうことにする。読んでいない本も、大事にとってあった様々なカタログの類も、全部捨ててしまうことにして、どんどんダンボールの中に投げ込んだ。

 
 すべてがどうでもいい気がする。全部捨ててしまうかもしれないところを、辛うじて踏みとどまって、どうしても大切にしているものだけ残した。まだまだ捨てるものはたくさんある。でも、捨てるのに疲れたので、今日はやめにした。

 そうやって淘汰する中で、何が見えてくるんだろう。何か見えるのだろうか。取ってあった、病院で作った「リハビリ中」の看板も、捨ててしまうことにした。楽しそうに努力していた私は、楽しい振りをしていただけなのかもしれない。楽しいはずがないよ。今までどれだけ努力してきたんだ?何か報われているのかな。何も変わっていないのかもしれない。今度病状が悪くなった時は、努力していた分だけ、辛いかもしれない。今を保つための努力だったと思うけど、それで今を犠牲にしてしまったら、状態が悪くなった時に、気持ちを取り戻せないかもしれない。頑張ったのにね。頑張らなくて後悔するより、頑張った結果の後悔の方がましだ、と思ってやってたけれど、虚しくなってしまった。 
 「身辺整理をすると危ない」というのを、知識として知っている。危ないのかな、そうでもないな、と思いながら捨てている。

 

 

  
20095711:45

最後につなぎとめるもの  

  何だろう。それは多分、人。それも断ち切ってしまうのかな。今は、辛うじて仕事の約束があるから電車に乗ってるけど。約束は守ろうとしているのが、滑稽でおかしい。午前の約束は、体調不良で行かれなかったけどね。
  重たいけど、小さい方の手帳も持ってさ、闇の中で見つめていた腕時計をしてさ。何が辛うじて自分をつなぎ止めるかわからないから、そんな小さい物たちに頼ってみたりしてる。

 

 


2009583:11

底 

 

 仕事先の帰り道の駅、僅かな差で、乗り遅れたバス。だから乗れなかった電車。そのホーム、私が立っていたはずの場所から失われた命。高架の上から少しだけ見えた、体を包むブルーシート。そこに流れた赤いしずくだけで充分。生きること、生きるのをやめることの重さを、叩きつけられた。頬を殴られたような気持ち。我に帰る。あの人に、救われたのかもしれない。身代わりにしてしまったのかと、気持ちのすみで思う。


  私は、生きることを選ぶ。どこまでも、這ってでも生きよう

 

 

  
20095110:36

更に捨てようと 

 直前まで読んでいたものとか、これまで十年以上持ち歩いてきた物とか、コレクションのように集めてきた好きな物とか、そんなのも、全部まとめて捨ててしまおうとしている。 
 本や洋服は、未来の自分に対して期待する物だと思う。こんなことを知りたいとか、知って自分が変わりたいとか、装いによって変わる自分に期待したり。

 気持ちが落ち込んで、何が変わってしまっているかというと、未来の自分への期待感が全く持てない。

 今の自分に対しても確かな何かを持つことができない。未来を描くことさえとても虚しいようなことに思えて、身の回りの物を見ると無性にイライラする。

 未来を思い描いていた自分がとても虚しく思えて、それらを目の前から消したくなる。

 

 


20095138:45

再び泳ぐ 

 

 しばらく、泳ぐ気がしなくて、泳いでいかなった。一週間くらい。

 日が空くと、ますます足が遠のく。

 人がたくさんいるのが嫌になる。みんなが同じ方向に進んでいるのも、その流れにのるのもいや。

 今まで熱心に泳ぎ過ぎてトレーニングになってきてしまっていたのも嫌になる原因かも。で、泳いだ本数を数えない、いつでも帰っていい、適当に遊ぶ、気持ちいいことしかしないという緩いルールで泳ぐ。

 

 

  
20095140:59

靴を買った。そしてリュックと帽子の研究をした。 

  捨ててるのにね。矛盾。

 何でも捨てるというのではなくて、例えば靴だったら、体のサイズに合ったものが2、3足あればいいのではないかと思う。そういう、自分にとって特別な少しの物の中で過ごしたい気分。

 今まで、ジーンズや靴などを沢山買ってきたけれど、それは見つけるためのプロセスだったとも思える。

 今体に合っている靴は2種類。ハイカットの軽めの軽登山靴と、もう少しゴツい軽登山靴。軽い方は入院中にリハに使っていたもので、1代目は引退寸前、今は更に2足買い足して交代で使用中。

 今日買ったのは全く同じ足型のローカットシューズ。ゴツい方の靴は、足を包み込むような感じの、心地よい靴。去年退院後に登山用品店で足の採寸をしてフィッティングをし、店内にあるほぼ全部を試してみて選んだ1足。とてもやさしい感触ではけるのに、丈夫で頼れる偉い靴。この間店に行くと、取扱いをやめると言われちょっとがっかりし、退院1周年記念に水色のを買った。一生分買った方がいいかな、店にある同じサイズを全部買い占めようか、とちょっと思ったけどやめておいた。 
 

 

 
20095151:56

土砂降りの雨が降ってきたら、 

 土砂降りの雨が降ってきたら、傘をさす。濡れないようにする。それでも地面からの跳ね上がりでズボンの裾は濡れてしまう。靴も濡れてしまう。靴下も。 
 リュックを背負って歩いて旅行していた時は、どうするか。背中には10キロくらいの荷物を持っているので、傘をさしにくい。傘に入らないリュックも濡れるだろう。

 夕立が多い夏の日、雨雲が立ちこめて空が暗くなってきたら、立ち止まって荷物を下ろす。濡れて困るもの(たいていは服と寝袋。それと懐中電灯と財布くらい。テントやコンロは濡れても構わない)を、黒いビニールのゴミ袋に入れて口を縛る。そのときに靴下もぬいでしまう。そしてできるだけ薄着になる。ティシャツと短パンと素足に靴。傘は持っていないことが多い。そして再びリュックを背負って歩き出す。降り出す大粒の雨。そのまま構わず歩く。陽射しをさえぎるものがない炎天下の道を何時間も歩いてきているから、雨は冷たいシャワーのように体温を下げる。上を向いて顔にも雨粒を当てる。

 雨が降ってきたらできるだけ薄着になる、というのが私のやりかただった。 

  冬、薄着であまりにも寒かったらどうするか。 
  走って体を温める。
 

 

 
20095152:05

仕事のスイッチ  

 仕事は、新年度事業関連の約30名の面接の準備や研修の準備があるので、そこそこ忙しい。新人に仕事を分担して待っていたが、期日が近づいてもあまり進んでおらず、報告も質問もない。で、直前になって進捗を確認すると、ほとんど手をつけていない。そんなことを、毎日繰り返している。仕方なく、猛スピードで代わりにそれらを片づける。期日には間に合う。できていないことに、彼は気づいているのかどうか。

 困惑しているかもしれない。私の猛スピード加減は、ちょっとおっかないかもしれない。怒っているように見えるかも。まあ、私は間に合いさえすれば、あとはどうでもいいので、タバコを吸ったりバカ話をしたりしている。その緩んだ様子というのは、本当にこの人が事業責任者なのか?この人は仕事ができるのだろうか?というようなものだと思う。

 自分の中でもよくわからないが、突然スイッチが入る時がある。そして、必要なくなると、すぐに切れるスイッチ。本当は、仕事はどうでもいいと思っているんだろうなぁ、と自分で思う。

 

 

  
20095164:02

いってらっしゃいませ 

 メイド喫茶ではなくて、今朝の通勤電車のアナウンス。

 とても柔らかい声で、「本日も○○線をご利用いただきまして誠にありがとうございました。間もなく○○駅に到着です。お気をつけていってらっしゃいませ」と言ったのだった。それが余りにも自然な言い方だったので、気持ちがふっと和み、ニヤッと笑いそうになった。気持ちがこもっている、上手なアナウンスだった。

 以前、ものすごく混んだ急行電車で通勤していた高校の時に、一度似たようなアナウンスに出会ったことがある。その時は細川俊之(だったか?)のような甘い声で、「本日もお勤めお疲れ様です」に始まるアナウンスだった。満員電車とアナウンスの違和感がある上に、だみ声のアナウンスが普通でそれを予期していた時に、意表をついていたので、とても印象に残っている。そのとき一回だけだったので、何かの事情による代理車掌だったのか? 


 あと、今日乗ったバスは車内の高齢者の乗り降りに、よく気を配ったアナウンスだった。「よろしいですかー?動きますよー?」と質問調で確認して、発車するのだ。この運転手は、全部語尾がかなり伸びている特徴があり、それはちょっと間抜けた感じだったので面白かった。 
 それにしても、今朝のアナウンスのように、自分でアレンジしてしゃべっていいのだろうか?恐らく車掌というのは、規定の言葉しか言ってはいけないのではないかと思うが、多少の裁量が認められているのだろうか。であれば、各々がもっと趣向を凝らしてみてはどうだろうか?

 

 

 

20095171:52

本屋を眺めて 

 

 この間、自分にスイッチがあって時々ONになってバリバリ仕事をする、と書いたが、今日本屋で色々な本を眺めていると、「やる気のスイッチ」という本があった。それはデザイン的で字が少ない、ちょっと自己啓発的な言葉が書いてある本だった。パラパラと見てみると、「凹むことが続いた後には「なんちゃって~」と言ってみる」、「妄想を未来の日記風に書いてみる」、「過ぎたことは良かったできごとに書き換えて記憶する」というようなことが書いてあったちょっと面白かった。その言葉があまりにも軽く書いてあるのがおかしかったのと、それに救いを求めている人がいるというのもおかしいなぁと。真剣に読んで実践してしまうとすると、それは重症かもなぁ。

 
 「イギリス流お金を使わずに暮らす方法」が文庫で出ていた。あと、やや高い年齢層の男性向けファッション誌「2nd」には、「クラフトの源流はイギリスにあり」とあった。クラフトというのは手作り感のある服や物のことらしかったが、イギリスには手作りの伝統がある、ということのようだった。最近は、長く使った物の変化に価値を置くような流行が、特に男性のファッションにはあるようだ。それは、景気が悪いことや、「エコ」というような発想とも関係があるのだろうな。今ひとつ、定着しそうなものとは思えない表面的なものを感じもするが。というのは、車や電化製品について同じような風潮があるかというと、やはり新しい物が良く、買い換えるという流れは変わっていないから。どちらにしても、今までの日本人は浪費しすぎていると思うので、良い傾向だとは思う。 


  色々見た結果、吉本ばななの文庫新刊「イルカ」だけを買った。

 

 

  
20095181:50

風が強い日  

 「風が強い日」という題名のストリートスライダースの歌があって、好きだった。オオカミみたいなバンドだった。誰にも媚びねーよ、という存在感がよかった。誇り高いボロ雑巾、みたいな人たちだったな。 


 今日は風が強くて、心地よい冷たさの風。こんな風が好き。それで最近、朝、冷たい風が吹いているのが気持ちよくて、5階の職場の窓を開け放ったり、ベランダに出て当たったりしているので、常に少し風邪気味なのだった。

 そして、ちょっと風邪気味で鼻がツンとしていて利かないのが、また何となく好きなのだった。夜に外に出てみると、風にわずかに海の匂いがする。そんなはずはないかと思うが、改めて考えると、南から吹く風は海の上を渡ってくるのだし、海の水分を含んで湿度が上がっているのだから、海の匂いがするかもしれない。風のスケールは、23区の地図のレベルではなく、もっと大きいだろうから。そう思うと、風の流れのダイナミクスって、ちょっとワクワクする。どんなところでも海を感じることができるんだ。

  

 風が強いから、空気の中の塵なんかもすっ飛んでしまって、しっとりとした輪郭で遠くが見える。新宿のビル郡が地平線のあたりにくっきりと見える夕暮れ。夜になると、数十の高層ビルの赤いランプの点滅が見える。いつも、あの赤の点滅を見ると、切ない気持ちになる。 
 明日は朝から仕事が緊張感のある場面なので、こんなことをしている場合ではないのだが、この土日、その緊張を無意識に避けているのか、ひたすら眠り、現実逃避をしていたのかもしれない。そして、少しだけ読んだ吉本ばななの本もその一つ。どうもあの人の作り出す世界には、現実離れした距離であり、なおかつ小さなリアリティがちりばめられているので、読み始めると現実との境が曖昧になり、自分にとっては逃げ場になってしまう。その世界を終わらせないために、本を終わりまで読まずに、読みかけにすることさえある。 
 たぶん今、ちょっと逃げたいんだろうな。眠らずにこういうところに何かを書いたりしているのも、同じだろうな。眠らずに空が明るくなり始めて、夜を突き抜けることで、自分の世界を貫徹することもある。それでも、陽が昇れば、否応なく現実の時間の刻みは始まる。頭がフラフラで一日を過ごし判断力が鈍るのを避けるため、中途半端に明け方に寝て寝坊を避けるために、仕方なく寝よう。 


 明日も、どんな場面でも、自分らしくいよう。

 

 

  
20095181:59

退院一周年記念日 

 実は今日は(正確には昨日だけど)、去年退院した日なのだった。やっと、季節が一巡りした。今、立って歩けていることは、すごいことだと思う。回復の中で見た、ひとつずつのできごとや、体が少しずつ動くようになることの幸せな気持ちを、いつまでも忘れずに持ち続けなきゃと思う。

 

 

  
20095191:08

面接  

  流れは順調。

 大きな委託事業者2ヶ所の所長と次長にも面接官を依頼しての面接で、その段取りから評価基準設定、当日の仕切り、終了後の評価会議の司会と評価のまとめまでの大部分を、私がせざるをえないという仕事だった。

 結局、昨日はほとんど眠れずに(昼間寝すぎているのが大きな原因でもあるが…)、当日を迎えたのだった。そういう緊張の持続と、抜け道のない自分の中のシミュレーションが、事を円滑に運ぶこともあるのは、今までの経験でも何度もあった。「案ずるより産むが易し」は、案ずることが前提で、もし全く案じないようだと、結果は産まれないのではないかと思う。案ずるというのは、ただの心配ではなくて、それなりの準備があり、具体的な課題が無意識にでも明確化してのことではないかと思う。いずれにしても、寝ても寝なくても、緊張した場面ではクリアに状況ととらえて、抜けのない応対をして、一日を過ごしたのだった。

 
 今回、新人職員にも話したのだが、面接というのは、安易に人を選別するものではなくて、人を短時間で評価し、合否というはっきりとした結論を本人につきつけるもの。だから、その責任の重さと緊張が面接官にはあり、相当な準備が必要なのだ。その短い時間に、本人と向き合う真剣な姿勢が問われる。そして人を裁くのは誰でも嫌なものだ。だから合否についても後味は良くない。

 
 今回は、顔を知っている人が三人受けていた。一人は、以前同じ団体で仕事をしていた人。もう一人は、知人を通して外部の会議で知り合った人。そしてもう一人は、大学の同級生だった。このことについて、日記に題名だけ書いて非公開にしてあって、まだ書けずにいる。もう少し整理できたら書こうと思う。 


  面接が終わり、一応やり遂げたという達成感というか、終わった解放感があった。その勢いでDANNER LIGHTを買ってしまった。しかし、そんなことで安心している場合ではなく、来週からの2週間の研修準備と、研修関連のプレゼンが2本、事業関連のプレゼンが1本、そして資格関連のレポートが2本あるのだった。気を抜かずに再び戦いの体勢でいなければいけない。頭フル回転の日々になるのだろう。

 

 

  
20095198:33

疲れやすい体質 

 どうやら、そうらしい。当たり前か。緊張した日は、予想外に疲れているようだ。そして数日、眠りがかなり浅い。夜中に体がかゆくて、耐えられずに起きた。何だ?

 

 

  
20095211:39

緊密な糸 

  職場で、どうも新しく採用された職員が事務処理の力が劣るらしく、一向に頼んだ仕事が進まない。そして、判断や言葉の理解も乏しいのではないかと思うできごとも多くある。更に、口下手というか、基本的なコミュニケーションを取ることに慣れていないらしく、周りの職員が違和感を感じ始めている。できない仕事を任されているのと、周囲との関係がうまく進まないことと、子供じみた考え方と内向的な性格と、思い込み被害的にとらえやすい傾向から、更にコミュニケーションが減り、益々黙り込んでいくようになっている。そんな人でも、チームの一員として集団を作っていくのが、私の仕事なので、半分やけになり気味に彼の仕事をフォローし、結局大部分を私がやることになっているのであった。30代半ばを越えているのだから、もう少しと期待し、半ばあきれるものの、できないものは仕方ない。

 そして内向的な性格を外に開こうと、私は仕事中も場をなごませるようなバカなことをずーっとしてみたり。その上で、彼の仕事を、耳と目と動きで常に確認しながら、自分の仕事を進めている。彼が郵便をどこにどのような種別で出したのか、から、連休前に彼が受けた電話(彼は覚えていないのだが、確認するよう指示すると確かに日誌に彼のメモが残っている)の内容と応対までを、記憶から引き出しながら、彼に指示をしている。

 もうひとり、同じ部屋の別会社の社員がいて、その人は相当大変な業務を一人で責任をもって行っていることから、彼が息抜きに話したければ、それにつきあっている。更に前に採用した職員の外回りの報告にアドバイスをしつつ、新規採用の事務の仕事を整理し、電話受けを丁寧にし、外から求められた統計資料を作り、採用面接の評価表を作り…と全部の仕事を、同時進行で話をして笑顔になりながらやっていくという、高性能処理プロセッサのような一日を送っていたら、疲れがどんどん蓄積してきた。 

 その上、以前の職場の女性職員から妊娠関係の相談。最近は妊娠関係が多くて、新規事業に応募するように紹介した人は、妊娠のため当日キャンセルだった。一番親しい友人に子供が生まれたという連絡が、今日あった。もう子供はできないかもという話。そして、私はもう子供を作らないのかもしれないなという、最近の重い重い課題。産まれた人、これから産む人、産んだ人、産むかもしれない人、産まない人。とても大きなことなので、それらを全部受け止めようとしたら体が重くなった。

 
 すべてに、等しく細い糸を切らないように張り詰め、どれもたるむことなく、切れることなく、もしできるならば、さらに糸が太くつむげるように、気持ちを平静に保ちながら、時を過ごしている。いろいろなすべてを受け止めている私って、いったい何だろう?私自身はどこにいるのかな?

 

 

  
20095211:48

ボディと、ボディを包む布 

 靴もジーンズも、自分の体にぴったり沿う物を探している。何でか?今、自分の体の形が好きだから。1年かけて自分で作ってきた体に、誇りがあるから。感覚を失っていた時期を経る中で、皮膚に均一に素材が触れる感じが感覚が、生きている喜びをもたらすから。 
 そして体に合うものは、少し小さめのものを身につけていることで形を変えて体にフィットさせるのがいいようだ。だから綿や革の素材の物を選んでいるようだ。 
  シンデレラみたいかな?

  

 


20095221:47

重い体  

 タイヤがパンクしたまま走っているみたい。疲れが取れない。どんどんたまっているのに、更にスピードを上げる必要がある。一応やってるけど。合格ラインまではやるけどね、疲れた。

 

 

  
20095250:54

土日とも仕事 

 とんちんかんな部下の仕事を片づけていて、自分の仕事が全くすすまず、結局、土日とも仕事をしていた。

 多分、彼と私の違いは、たぶん彼は能力とか経験と思っているだろうけど、単に、時間をかけているかいないかの差ではないかと思う。こんな大量の仕事が短時間で終わる訳はなく、私は今までも今回も、時間をかけて終わらせているだけ。

 ただ、「今まで」の手を抜かない積み上げが、違いになっているのだとは思う。もともと、何かをする能力の差は多少はあるんだろうな、とは思う。彼にとっては、一足飛びに魔法のように何かが身について、仕事がどんどん処理できるというような印象に映るのだろう。それができる人はいいなと。一部の力の差、それは厳しい現実ではあるが、それだけではないと思う。

 何で、彼が不安なく金曜日も早く帰ることができて、土日も安穏と過ごしていられるのかが、私にはさっぱりわからんのだった。 

 問題はレポート。金曜日には、速達で投函しないとダメだと思う。終わるかな。必殺技は「仕事中にやる」だ。とりあえずは、明日の長い長い事業説明を何とかこなそう。そしてその次を考えよう。 


 明日は朝早いので、久しぶりに早く寝よう。

 

 

  
20095267:34

杖をやめようかと  

 少しずつ、杖を使うのをやめようかと思っている。歩行が安定してきたのと、なしでバランスをとって歩く練習をしたいのとで。

 それと、これを持っていることで、いろいろに考えたり、嫌なものを感じたりするから。
 よく置き忘れるのは、そろそろいらない、っていうことなのかなとも思う。

 

 

  
20095302:04

とにかくこなして乗り切った一週間 

 今週から、研修事業が始まった。先週末土日も勤務して、この準備をした上で、翌日の準備を前日深夜までやるような、自転車操業状態で乗り切った。

 この間、資格講習のレポート締め切りもあった。

 毎日研修会場が違うものだから、早朝に出て、会場に行ってセッティングをし、終了後に撤収したり、翌日以降の研修資料を研修会場の裏で大量に印刷したり、約25名全員の研修日誌にコメントを書いたり。

 しまいには、レポートの発送が間に合わず、研修を聞きながら必要書類を記入したり、事務所待機中にレポートを書いたり。

 深夜と早朝と、場所の変化と、たくさんの人との出会いがあり、研修では約2時間のプレゼン。今日は別の約1時間のプレゼン。その資料準備と話す内容を考えるのと、人前で話すストレスと。

 昨日は、気になっていることがストーリーの端々にたくさん登場するという、「総合的ストレス反映作品」のような夢を見て、不快感で目が覚めたのだった。

 そこそこ歳のいった新人君の、まったく段取りができない仕事ぶりと、内向的な人とのかかわりに、仕事のしにくさを感じたり。本来すべき大量の事務仕事があるのを放置して、さらには他の人のフォローで流れ込んでくる単純業務が、私のすべき新しい事業展開の仕事の支障になり。それでも管理職の言葉を重さを思うと、安易に「おまえやめちゃえよ」とか言えないからなあ。

 
  今日の発表は、会場が暗くて聴いている人の顔がよく見えなかったので、どうだったのか、手ごたえがわからなかった。とりあえず、最初にみんなたくさん笑っていたから、それでまあいいか。あれこれと思い返すときりがないからな。ひとり反省会はやめよう。過ぎたことは終わりにして、前に進もう。記憶は良いものに書き換える、と。

 
 明日も仕事がある。先週からずっと仕事をしているから、何日連続勤務になるんだろう…。何とかこの疲労状況を打破しなきゃ。プール行かなきゃ。そして買い物病が始まりそうな気配。買い物は、絶対になんかの脳内麻薬物質が出るのだと思う。