よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年3月]ステロイドの副作用か鬱、その対処 そして時々エッセイ

2009313:06

しょうもないカウント 


  時々、意味もなく、回数を計算してみることがある。昔読んだ村上春樹の小説に、「今3652本目のタバコを吸い終えた」、みたいな文章があったのを思い出す。たばこに使っている金額を、よく年額で計算してみたりする。かなりの無駄な出費だ。 

 その他、例えば、最近はプールに毎日のように行っているが、一体何回、腕を振り回して水をかいているのか。25m泳ぐのに20回かくとすると、50m40回。最低でも1kmは泳いでいるので800回。これまで100日はプールに行っているはずなので、80000回。ずいぶん振り回している計算になる。そして100㎞泳いでいるということは、静岡あたりまで泳いで行ってしまっていることになる。 
 車のエンジンは、1分間に回転する回数がメーターで表示される。そのメーターをタコメーターという。大体、ゆっくり走って3000回転位。1時間で、180000回転。茨城まで行くと片道だけで、18000000回転。エンジンは壊れなくて偉いなあと感心する。 
 毎日販売機の飲み物に使う金額。朝のブラックコーヒーと日中のコーヒーかゼロカロリーコーラとプールでのヴァームで大体500円以上。月に1万5千円。年間15万円。3本×365日で年に1000本以上。何だか無駄だな。水筒に飲み物を入れていったらどんなにか節約になるだろうと思うが、長続きしたことがない。 
 若い時に、今まで射精した回数を考えてみたことがある…が、あまりにもしょうもない話題なのでやめておく。その時は、一体何個の精子を生産したんだろうと、回数×1億個の計算をして、感心しつつも、底をつかないのだろうかと、ちょっと心配になったりしたのだった。。無駄な青春の時間だ。
 

 

 
2009322:47

びっくり かん違いしていた  

 

 てっきりあさってだと思っていた計画案のヒアリングが、明日だということに気づいた。明日、案を最終的にまとめればいいや、と思っていたのだが、さっき慌ててやった。

 予定が変更になっていたのに、記憶の中の予定は変更になっていなかったのだった。恐ろしい…。
 

 

 
20093212:44 

副作用 


  ステロイドの副作用が出ているかもしれない。顔が少しむくんでいる。鬱状態も長いように思う。食欲も増大している。薬は副作用が少ない量にまでは減ってきているけれど、強い薬を一年間毎日飲み続けているのだから、副作用は充分あり得るはずだ。

 疲労やストレスで体が弱ってきていて、薬に体が負けてしまっているのかもしれない。病気の症状に注目していて、改善しているからやや安心しているが、薬の副作用も気にした方がいい。一つの症状が出るということは、他の症状も出る可能性が高い。春になるにあたり、もう一度、病人なんだということを意識して、自分をコントロールしよう。
  

 


2009年342:06

雪  


午後から、雪が降り始めた。

積もる時の大粒の雪ではなくて、雨が凍った、少し固めの小さい雪。 

 

降り始めを見た。空から白いものが落ちてきた。 
天気予報が雪が、「降る」と昨日から伝えていたからね。 


 今朝は、雪にうずもれても大丈夫な、しっかりとした軽登山靴みたいなハイカットの靴。そして、私の持っている中では最強のジャンバー。スキーウェアみたい。ダウンで、濡れても大丈夫な生地でできている。少しでも気温が上がると暑くて汗をかいてしまう、一年の内でもほとんど着る機会がないジャンバーが登場。お陰で、温かく外を歩けた。ただ、ジーンズの足元は寒かった。やせがまんだから、仕方がない。寒さには気づかないふりをして過ごした。

 


  
2009342:09

ほぼ日手帳Ⅰ 


  新しいほぼ日手帳に、好き勝手なことを書いている。思いついたこととか、考えていること。見たテレビで聞いたことのキーワード。 


 3月一杯は毎日の欄が半ページなので(4月始まり版のおまけとしてついている3月分なので)、なんだかちょっと窮屈で、一日分が足りない。 


 そして手帳の下にいろんなお言葉が印刷されているせいからか、どうも毎日書くことが、お言葉風になってしまうのだった。

 

  
2009342:33

ニュースに登場した謎の用語  


  政治家の秘書が逮捕されたとかで、いろんな政治家が発言をしていた。その中にあった「司直」と「国策捜査」というのはいったい何だ?司直は司法のことかな? 
 公務員はよく難しい謎の言葉を使う。「疑義」とか「齟齬」とか。あと「なかんずく」とか。施策を「しさく」ではなく「せさく」と読むし、施行を「しこう」ではなく「せこう」と読む。「せこう」は本当は「施工」の読み方のはず。「試行」と区別しているとも思われる。一日を「いっぴ」と言う。「ついたち」ではいけない理由がよくわからない。二日は「にひ」というのだろうか?三ヶ月を「さんつき」と言ったりもする。

 あと、なぞの職名に「主事」「主査」や「上席」「参事」というのがある。どれが偉いんだろう?ちなみによく銀行員にある「支店長席付」というのは、別に何か偉い肩書きではなくて、支店長と席が近いという意味らしい。何か肩書きを書いた方が権威があるように見えるので、わざわざそう書くらしい。

 大人のやることはよくわからん。 

 


  
2009363:04

謎の言葉 その2  


  仕事の移動途中、駐車場に車を止めてボーっと時計を見ていて、時間という言葉から「時間目」という言葉を連想した。学校で使う「1時間目」というやつ。

 この言葉は、改めて考えると、ちょっとおかしい気がする。富士山の5号目とか腹八分目とか、何かの途中の区切りを指すことばがこの「目」だと思うのだが、学校に限ってはこれが時間枠の名前として使われている。

 余りにも小さい時から当たり前に使っているから、聞き流してしまうが、改めて考えると奇妙な言葉というのがある。特に学校関係ではそんな言葉が多いように思う。


 米ソの冷戦時代にソ連のスパイがアメリカに送り込まれていたが、スパイはメジャーリーグの話題で問いかけて、答えられるかで見分けた、という話がある。いくらアメリカの文化や習慣を学習しても、アメリカ人なら誰もが知っている、ひと昔前のメジャーリーグのヒーローまでは、学習が行き届かないからだろう。

 日本に送り込まれた北朝鮮のスパイも、服や布団の畳み方で身元がわかってしまったことがある。その国の当たり前の習慣や言葉というものがあるのだ。日本で言えば、小さい時から馴染んでいる学校用語とか、ラジオ体操、サザエさんの歌が歌えるかどうか、給食によく出るソフト麺とかきな粉揚げパンを懐かしんで食べるかとか、かっぱえびせんを知っているかとか、そんなのでスパイの見分けがつくかもしれないなあ。 


 そんなところまでをボーっと考えてから、再び仕事に向かったのだった。

 
  あと、前々から不思議に思っていることなのだが、アメリカのティシャツとかには、胸に大きくブランド名が入っている。これが日本ではデザインとしてカッコイイとされているのだが、要は会社名だし、それが母国語で書かれているのは、日本人でいうとカタカナで大きく胸に「ナイキ」と書いてあったり、時計の文字盤に「カシオ」とか「精巧」とか書いてあるようなものだ。

 時計の文字盤では、他に「百メートル防水」「国際精度検査合格(=クロノメーター・サーティファイド)」「青い海(=ブルー・オーシャン)」みたいなことがゴチャゴチャと書かれていることになる。

 それってカッコイイか?日本語が母国語だからそぐわない?でもアメリカ人にしてみれば、母国語で書かれている訳で、日本人が英語のロゴや単語を見るのと同じように「カッコイイ」と思っているのかどうか。そして何でアメリカ人は、そんなに、見える所に色々と書きたいのだろうか?カッコイイだろうか?そして、これは一体誰に対して表示しているのだろうか?まわりに対する自慢?
 

 

 
2009393:44

気持ちで何とかしようとしてるか  


  どうもやっぱり、鬱々とした状態は続いていて、それは元々病気の症状だったり薬の副作用だったり神経伝達物質のせいだったりするんだろうけど、トレスコーピングの問題のように思ってしまいがちで、気持ちの持ちようで何とかしようとしているかもしれない 
 それと、あまりにもキッチリと鬱々としているので、何が作用してこれが回復するのかと、順番に試してみたりしている。泳げばそこそこ回復するのはわかっているのだが、いつでも泳ぐという訳にはいかないので、他の方法を試してみている。今のところ効果的なのは、ノートに文章を書くこと。これが何で良いのかわからないのだが。どういう訳か気持ちを持ち直せる。 


  今日、ブツブツと新しい手帳に向かって吐き出してみた。新しい手帳、本当はもっと夢が描けるようなものになるはずだったのに、私の暗い側面ばかり受け止める場所になってしまっていて、ちょっとかわいそう。 
  できないことを考え始めれば、それはきりが無いくらいたくさんある。改めて考え直してみると、元々何もできないところまで行ってしまったのだから、そこからスタートしないとダメなんだろうなと思う。あの頃、何かがひとつずつできるようになって、嬉しかったし、充実していた。自分の原点がどこにあるのか、もう一度そこに立ち返らないと。 


  手帳の引っ越しを完了した。去年の手帳から、大切な部分をコピーした。どこまで去年にこだわるのか。去年を持ち越していくのか。新しい手帳は新しい時間だから、まっさらなところから始めるのが本当なのかもしれない。でも、今の自分にはそれはできない。やっぱりあの時から自分が変わってしまっていて、そこから始める必要がある。何か記憶喪失に似た感じで、それ以前のことが霞んでいて、ちゃんと思い出せない。だから、そこから始めないと、自分の足元が危うい感じになってしまう。だから、振り返ったり過去にこだわるようだけれど、去年をしっかりと引きずって刻みながら、新しい時間を始める。 
 去年の手帳はそのままに残し、コピーを新しい手帳に貼った。それと、通院やリハビリに関するものは、小さい手帳用のメモ帳に貼った。多分この通院と病気の経過のメモは、今後も通院ごとに何年も使い続けていくだろうから。
 

 

 
2009393:50 

春の気配のいや~な感じ 


 最近も、寒い。朝起きた時も寒いのだが、汗をびっしょりかいている。確実な春の気配。この春になる時の感じが好きじゃない。朝の空が明るくなるのが早くなり、気持ちがせかさせるよう。

 たいていはストレスフルな3月末と4月。発症したのがそんな時期だったこともあって、いやな感じを思い出す。そして、今日は起きてベランダでタバコを吸っていて、すべてがどうでもいいような気分になった。仕事も何もかもどうでもいいと。何一つ確かなものなんかないし、もう全部どうでもいい。何にも興味がないし、自分がだれとつながっているのか、社会とどうつながっているのかも、よくわからない。このままずっと眠っていようか。

 暗い曇り空。このところずっと雨か曇り空。晴れれば、きっと明るい空も嫌なんだろうな。あ~あ。
 

 


20093109:56 

公共性 


 斉藤孝が、若い女性漫画家との対談の中で、女性の好き嫌いについて聞かれ答えるていてた。「僕は公共性のない女性は駄目なんですよねぇ」。面白い言い方だけど、ニュアンスを上手く言い当てている。公共性の例えとして確か、自転車置き場で倒れている自転車を直してしまう等が挙げられていたと思う。


 電車に乗っていて、足の不自由な私が席を譲られるかは別にしても、電車に乗り込んだ時に、我先にとシルバーシートに突進して行って座る着飾った若い女性を見ると、幻滅する。そしてそいつが携帯電話の操作に熱中し始めると、嫌な暗い気分になる。近くにおばあさんが立っていたりすると、怒りさえ感じる。

 女性らしさをいうつもりはないが、性差としての女性の良いところは、自然にきめ細やかに気を配れるところだと思う。育てる性は、そのような力を兼ね備えているのだと思う。多分、男はそこに性差と魅力を感じるのだろうな。だから、いくら短いスカート穿いて化粧して着飾っても、気配りができない女性には魅力を感じないのだろう。

 

  
20093112:16 

モリー 


  この間、ふと机の中から、以前使っていたメモリーが見つかった。データの照合をして、メモリー内を空にしなければならないと思っていた。今日夜、誰もいなくなった職場で、その見覚えのあるブルーとシルバーのメモリーを開いてみた。 


  大量のプレゼンデータとともにたくさんあったのは、病気になって辞めた責任者の頃の文書類。多分、入院するにあたって、病院内で作業をするためにコピーを取った物。 
  事業計画を作るための資料や下書き原稿、職員からのヒアリングの記録、プロジェクトの構想、ユーザー関係者とのやりとりの記録。題名を見ただけで辛くなったのは、新年会の挨拶の原稿や、中を見ていないからわからないが多分退職の挨拶状。

 
  あの頃、ボロボロになりながら立っていた。それは病気になる前からずっと。力のない私が、人前でさらされながら立っていた。役割を果たそうと、慣れない行事の挨拶の原稿を長い時間かけて書いて準備したり、何かを形にしようと構想を練ったりしていた。とにかく自分なりにできる方法でどうにかしようと格闘していた。そんな姿が余りにも健気であり、そんな自分を想像するとかわいそうになってくる。ズタズタに叩かれながら、それでも立ち続けていた。

 そして、立てなくなって倒れて去った。力が足りなかったんだ、ストレスに耐えられなかったんだと思われるだろう。そんな結末で終わっているのだ。何も残せなかったし変えることもできなかった。 


  そんなあの頃の空気を、並んだ大量の文書名のフォルダを見ながら思い出した。私は数十分間、あの頃の空気の中にいた。何気なく開いてしまったものだから、気持ちの隙間に、不意に流れ込んできてしまったのかもしれない。 


  涙も出ない気持ちの重さの中で、車を運転して、水のある場所に向かう。泳ぐ。何も考えずに、何かを振り払うように。無心で、泳ぐ。今度は、水が私の気持ちの隙間に流れ込んできたみたいだった。 
  寝不足だからなのか、今日は無防備になってしまっていたみたいで、気持ちを守りきれずに乗っ取られてしまったような感じだった。 


  メモリーの意味は、「記憶」や「思い出」なんだなと、疲れでもうろうとした頭でふと思ったりした。
 

 


20093132:24 

仕事:電話とメールばかりの一日 


 職場に一人だったが、昨日不在の間のメールと留守番電話も含めて、一日中電話を受けたりかけたりをしていた。電話は苦手なので、自らかける気がしないのだが、前向きにやらないと、色々なことが大変な状況になりそうなので、割り切ってどんどんかけた。そんな苦手なことの一つがこなせたのは、今日の収穫だ。

 事業そのものは電話が命綱で、電話を受けなきゃお客さんが来ないし、それは収入がないことを意味するので、大切な仕事なんだけどね。私たちを必要とする人とつながる、ただ一つの手段なんだ。
 

 
20093132:44 

バタフライと確定申告 


 バタフライの練習を始めた。クロールのフォームが整ってきて、だんだん長い距離が泳げるようになってきたら、何度も往復するのがちょっと退屈になってきてしまった。バタフライは、元々、クロールの両手両足を同時にやったという奇妙な水泳選手がいて、それが型になったものだと、ずいぶん昔に本で読んだことがある。(奇妙なとは書いてなかったが、斬新なできごとだったに違いない)。私は今、クロールで使う筋肉がある程度鍛えられているので、バタフライは手の届くところにあるだろうと思った。

 実際やってみると、思ったよりもできた。

 それで、プールが比較的空いていたので、ちょっと本格的に練習してみようと思った。しかし、現実は厳しかった。思っていたような、イルカのようなしなやかに水をくぐる、というのには程遠く、かいた手が自ら抜けないので、溺れているようにさえ見えるフォーム。そして思いっきりかいた手をコースロープにぶつけてあざになるし、自分の足の動きを見ようと思って水中で足を見ながら泳いだら鼻に大量の水が入って痛くなった。

 全然うまくいかず、できないことをするのはつまらないし疲れるし不快だ。クロールのフォームが定着するのに数ヶ月かかっているのだから、バタフライが同じようなのもあたりまえなのだけれど、やっぱりできないことはつまらない。それで早々に泳ぐのを切り上げてしまった。 


 確定申告用紙の記入と、大量にある領収書の計算とまとめが終わった。これで病気関係の手続きは終わりになる。傷病手当、高額医療、身障手帳、身障関連の減免申請、私保険支給手続きなど、ひとつひとつがかなり面倒なものをよくこなして終わらせてきたと思う。全部自分でやったのが偉い。誰も誉めてくれないので自分で言うんだけどね。 

 

 ここに書く時間がない。 
 それと、ある程度2冊の手帳に繊細な気持ちの動きを書き出しているので、ここに書くことの比重が少し変わっている。日記を無理やり書くようになった何週間か前、そして手帳に書くようになったこと。そんな中で、自分を取り戻す時間があるからなのか、少し気持ちが安定しているように思う。そして皮膚の発疹も少し治った。

 相変わらず、ややじんましん気味ではあるが。気持ちが安定してきた時の違いは、イライラが少ないのと、自分の気持ちの状態を客観視できることが多いこと、そして意識して、情緒を安定するようにコントロールできること。仕事の状況は、気が狂うかと思うような一度に平行して十数の案件が進みながら同時に判断する、というものなのだが、そんな中でもパーソナリティを安定して保つことができている気がする。薬と疲れで鈍化しているのかもしれないが…。 

 

さぁ寝よう。明日で一週間が終わりだ。 
そして明日はまた大きな仕事が一つあるのだった。
 

 
20093154:11 

日記 


 週末で、ちょっと気持ちに余裕があったので、先週手帳に書いたことや気づいたことの中からちょっと丁寧な日記を書こうと思ったのに、人の日記にコメント書いたり現実的なことを書いたりしていらた明け方になってしまった。

 仕方がない。今日は寝よう。
 

 

 
20093172:42 

ミニブック&ほぼ日仲間 


  バタフライの本を作った。本が重いので、バタフライの写真やイラストが載っているページを縮小コピーしたのを、ホッチキスで止めて手帳にはさんだだけだけど。クロールの時も、手帳にはさんだ写真を時々見るのがイメージトレーニングになった。モデルになっている選手が男なのがちょっと残念。手帳落としたら、女性の水着写真もまずいが、男性の水着写真はもっとまずい気がする…。 


 手帳といえば、この間初めて、ほぼ日手帳を使っている人に会った。私らが主催する研修を受けに来ていた女性。私が机の上に手帳を置いていたら、「それほぼ日手帳ですか?」と話しかけてきた。まったく同じ色のA5の手帳「カズン」を使っているらしい。そして、彼女は私とまったく同じように、プライベート用に小さい方の手帳も使っているのだそうだ。

 手帳の話題だけで結構楽しく会話をしていたのだが、同僚から見ると、訳がわからないらしかった。その会話は、「小さい方のカバーは何色?」「私は去年カバーオンカバーしてたので全然汚れてなかったからそのまま使ってるんですぅ」「カズンってしおり3本欲しいと思いませんか?」「そうだよねスケジューラー3つあるもんね。一つ要らないか別冊にして欲しい」「私小さいほう別冊使っててすごく使いやすかった」「あとカズンの方眼ノート欲しいんだけど」「絶対出ますよ」「あ、もしかしてスプリングですか?」「そうスプリングから店頭販売始めたんだよ」「いろいろ要望を投稿しましょうよ」「そう、二人で何度も希望書いたらいいかも…」というようなものだった。こういう連帯感のある何だかちょっと楽しい手帳なんだよね。そしてやっぱり色々貼り込んで既に彼女の手帳は厚くなってしまっているらしく、それと、「この手帳、不思議にきれいに書こうと思う」のだそうだ。それも何となくわかるのだった。
 

 
200931710:50 

疲労物質 


  毎日、手帳の隅に体調と天気を書いている。天気を書いているのは、関連がありそうな気がする、関連がある、という話を良く聞くから。でも今のところあまり関係ない様子。

 体調は複雑な事を書き始めると続かないし逆に見えにくくなるので、1行程度で書いている。体調の指標は5段階で、1が悪い方5が良い方。

 つけ始めて10日を過ぎたが、まぁたいていが2なのだった。2の基準も曖昧だが、体が少し重い感じ。ずっと2という事はこれが標準の3か?いやいや体調がすぐれないのだから2だろう。

 今日は1に近い。足のふらつきや、多少の浮遊感がある。体を起こしているのが辛い、日中もずっとまぶたが重い。肩が凝った感じ等々。鬱症状にとても似ている。当然気分もすぐれず、物事に前向きになれない。どよんとしているので、過敏になったりイライラする気力もない。それはそれで過敏気味の私にはいい面もあるが。これが薬の副作用なのか病気本体なのかは、前からわからないところ。いずれも鬱様症状と疲労、倦怠感は症例として挙がっているから。

 原因の一つは、昨日の百五十人の前での説明。こういうのがかなり消耗する。その他雑多な電話がたくさん。今日の事業説明。もう一つの原因は寝不足。そして暑さ。この春先の暑さが苦手だ。温度変化に、からだが適応できない。さらにスーツで、スーツを着る時は、たいてい緊張感のある場面。


 そして思うのは、この疲れというのは一体何で出来ているのだろうということ。多分物質なのだろうとは想像する。液体が循環する機関である体は、液体に乗せて、または電位変化で、情報を伝える。筋疲労や器官の疲弊、神経系の異常の際に、何らかの物質が出る。これが不快感を催すようにできているに違いない。
 私の場合、本来の疲労とは別に、分泌の異常が薬か症状によってあって、場面の実態とは別に感覚に異常が現れるのだろう。または病態によって継続的に疲労しているということか。
  この物質をどうコントロールして正しい反応に近づけるか。不要な時に分泌される場合には、いかにして分泌状態を変えるか


 それと、睡眠不足は体にストレスを与え続けることだから、改善しないと命が縮まる。
 

 
20093202:50 

一週間 


  明日が祝日で一日短いのだが、一週間が終わった。あわただしいという言葉の感じを通り越して、目まぐるしいというか、限界に近いようなスピードだった。年度末で立て込んでいることと事務局の移転があるのと、新年度から開始の案件についての依頼が次々と来るのとで、ずっと電話を受けて、関連先に電話して、をやっていた。そんな中でのいくつかのできごと。 


 ◇どろどろ物質 
 今まではプレゼン等の場面になると、過剰に覚醒した状態になっていた。それが今週気づいたのは、そういう状況を前にすると、何かどろどろ物質のようなものが出るのか、まぶたが重くなり感覚が鈍くなる。ストレスによって何かが影響を受けているのだろうが、職員の突然の休みの携帯メールを受けた直後から、どんよりとなり、プレゼンの直前にまぶたが重くなり眠いような鈍さになった。今日も同じようだった。

 
 ◇人といて乗り越えた 
 週の前半は、同僚の突然の病休があり、何とか一人で超えた。後半、疲れた状態でさらに嫌いな電話での調整作業があった。これは同僚と三人でデスクを囲んでいろいろ話しながら、それぞれが必要な電話を順にかけるような中でこなすことができた。一人だったら気が重かっただろうけど、一緒にやることで乗り越えた。 


 ◇移転の挨拶 
 今いる職場の会議で、事務局移転の挨拶をした。何か言おうとして出てきた言葉は、自分のことだった。今の職場に来て、その時は退院直後のリハビリ中で、事業も決まっていなくて仕事もなくて、そんな中で人の中にいて救われたこと。そういうパーソナルなことをさらっと人前で話せるようになっていることに気づいて、自分の変化が意外だった。もっとガードが固かったと思う。ちょっと鈍化しているのかなっていう感じもするけど。細かい色々が淘汰されてしまって肝心な所しか残っていないのか、よほど強い刺激にしか反応しないのか。元々が過敏だから、少しバランスが取れていいかな、とか思っている。とにかく、暑くなり始めた季節に今の場所に来たので、今の、仕事があり忙しい状況を考えると、ちょっとしみじみする。 


 ◇時々壊れるらしい 
 時々、食欲の抑制が壊れることがあった。疲れがたまっている時が多い。疲れているのを自覚せず、異常に食欲が止まらず食べ続けることが時々ある。

 最近は気づき、それが黄色信号だと思うようにしている。そうしたら、今度は時々買い物欲求が止まらなくなることがあるのかもしれないと思うようなできごとがあった。

 

 余りにも鬱々していた日、ここまで純粋に鬱々状態がはっきりしているのであれば、ひとつずつ何をすれば変化するのか試してみようかと思った。それで外勤から職場に戻る途中でファミレスに入ってまず書くことを試そうと思ったのだが、実は以前来たことがある革用品の専門店は、今の職場の最寄り駅のすぐ近くにあることに気がついた。それで、記憶を頼りにその革工芸の店を探してみると、見つけることができた。以前から作りたいものがあり、その方法をずっと迷っていた中、カービングと染色の手法はどうかと思いつき、また型の刻印も考えていた。それらの道具が、店内にはたくさんあった。特に、何十種類も整然と並ぶ刻印用の金属の道具を手に取ってしばらく眺めていた。欲しい刻印を次々と手にとる内に持てないほどになり、その他染料や特殊な絵の具等も買った。あの刻印に見入るときの集中した様子は何だろう。それをどう使うのかのイメージが、急に目の前に開けたのかもしれない。それにしても、堰を切ったような抑制の効かなさは、極端だった。

 そして、ファミレスに入った時には、鬱状態がまったく消えてしまっているのに気づいた。スイッチを切り替えたみたいに突然に消失した。これが意図的にコントロールできれば、鬱状態は解決できるかもしれない 

 
 食欲や買い物欲は、何か脳内物質が出て快を伴うものだというのは、知識として知っている。疲労に対して、それらの物質が体を楽にするということを、体が経験で知っていて、無意識にやるのではないかと想像する。 


 忙しさの中で体調についていろいろと考えた一週間だった。 
  
20093203:11

声としての歌  


 夜、車を運転しながら、大音量でガーネット・クロウを聞いていた。どういう訳か今日はスッと素直に気持ちに響く。この間までは、しっくりこなくて次々と曲を早送りしていたのに。 
 相変わらずの揺れる音程と、不明瞭な発音と、狭い声域。一体なんで、この人の歌を私は聴いているんだろう? 
 それは声が揺れているからかもしれないな、と思った。この人の声が聞きたい時は、人の生声が聴きたいときなのかもしれない。平原綾香のように安定した声ではなくて、もっと、肉声を聴きたい時があるのかも。似ていたことで以前から時々していたのは、歌のブレスに耳をすますこと。私はDoAsInfinityのボーカルの伴都美子の声が好きだが、あの人の息継ぎを耳で追って聴いていたことがある。この人は、吐きながらブレスする歌い方もする。人としての生の声を聞きたいのかも。 
 

 
20093241:48 

なんだかおかしい 


 おかしいのは、自分の様子。そして全部が可笑しい。明日、通院で休みというのもある。今日、できるだけのことをやり切ったというのもある。そして仕事が終わってから、思い切り泳いだのもある。

 仕事は、かなり悶々とした状態で夕方を迎えたのだが、リストを作って一気に終わらせた。どれも面倒な仕事だったが。

 そしてクロールで700m泳いでから、水をガボガボ飲んでむせながらバタフライを約400m。その後とってもきれいに水をつかみながらクールダウンでクロールを200mくらい。バタフライでものすごい有酸素運動をするせいか、なんだか調子がハイになってしまったのかも。鬱々した状態があるんだけど、時々、一方で止められない笑いみたいな状態も稀にある今日はその極端な感じ。これって躁鬱じゃないの?

 こうなってくると、人間の感情というのも信用できない。単なる物質による支配なのではないか?と思うのだった。
  

 


20093242:01

4月からの生活を想像してみる  


 いやいやながら、都会に仕事で通勤することになってしまった。混んだ私鉄も嫌だし、朝のあの街もあまり好きではない。どうもあの通りが嫌なのだ。

 それで思った。都会のスポーツクラブというのは、7時頃からやっているのだ。朝から泳いだらどうだろう。夜泳いでハイになり好調なら、朝泳いでしまったら、一日好調かも?

 朝から泳いでいるマンハッタンみたいな人達(イメージだけど)は、あまり日本のあの雑踏の街にはいなさそうなので、プールはとっても空いているかもしれない。ましてマンハッタンの人たちは朝からバタフライはしないだろう、多分クロールだ(イメージだけど)。そして一汗流してからシャワーを浴びて、スターバックスでノーファットのラテのトールを飲むのだ(イメージだけどね)。あ、スタバはシアトルだ(イメージだけど)。奴らは運河を船にのって通勤するのだろうな(イメージだけど)。

 まぁとにかく、スタバは禁煙なのでヴェローチェかドトールかもしれないけど、爽やかに朝日の中で泳いでから、モーニングセットなどを食べて新聞を眺めて(眺めないけど)から出勤するのはどうだろうか?などと想像してみたのだった。

 まぁ、今の寝る時間を考えるとまず無理だろうなぁ。それと仕事が終わった後のスッキリするためのプールをどうするか?1日2回行ったら、体重どんどん減る上に、水泳選手のような体型になってしまうかもしれないな。体に悪そうだ…。まぁ朝泳いでみるというのは、一度試してみてもいいかもしれない。今まで、朝から泳げるようなプールがなかったからやってないけど、何か変化があるかもしれない試みだぞ。もしかして昼にはパワーが尽きてしまうかもしれない危険な試みだけどねぇ。
 

 

 
20093252:54 

がむしゃら 


  野球は、いい試合だった。病院の会計所の待合ベンチで見ていた。 
  1対0。3回で20球というのは、相当調子が良いのだろう。岩隈が低めに切れのある球を投げていた。それにも関わらず、少し落ちたボールが出会い頭みたいに、韓国選手のすくい上げたようなスイングに当たり、ゆっくりと舞い上がったボールがスタンドに入るのが見えた。 


  通りかかった場所に大画面の液晶テレビがあったので眺めるだけにしようと思ったが、選手たちの顔を見ていて、腰を据えてベンチに座って見なければと思った。選手全員が、高校野球みたいにがむしゃらだった。格好悪くてもバランスを崩しても、バッターボックスに入った者は、とにかく球をバットに当てて前に飛ばそうとしていたし、アウトになった者は悔しがっていた。ファインプレーをした者さえも、怒るような表情で自らを主張していた。日本のプロ野球選手はこんな野球をできるのかと思った。

 
  韓国のピッチャーは、150キロを超える速球を低めにコントロールよく投げていたし、微妙に球が変化するらしく、日本選手にはクリーンヒットは少なかった。それでも塁に出ていたのはとにかく球を飛ばそうとしていたから。そしてギリギリのところで勝負できるだけの力を、それぞれの選手は持っているのだった。 
  しばらくその場を離れなければならなくて歩き出してから、あんな野球ができたんだから負けてもいいのかもしれないな。それでも良かったって思えるだろうな、と考えていた。 
  
 1時間くらいして再びその場所の近くを通り、もう終わっているだろうと思ったが、テレビのある待合所をのぞきに行った。すると人だかりがあり、試合はまだ続いていたのだった。

 10回表、3対3。力が拮抗していることが想像できたし、それぞれが、ずっと意地とプライドと勝ちたい気持ちを譲らず、数時間にわたって張り詰めた状態が続いていたのだろう。 

 ランナーが出て、イチローに打順が回った。

 彼は、この試合までは力が発揮できていなかった。この試合ではベンチで声を出しながら、余りにも集中し緊張して目を見張っているために、目が赤く充血しているように見えた。

 打席は、最後となるであろうチャンスだった。彼の顔は険しかった。以前より頬がこけて見える。極限の緊張と集中。その中で彼は、ボールゾーンに流れるような球を、続けて何球もファールカットしていた。ワンバウンドになるフォークボールさえもカットしている。それが、彼の本当の実力なのだろう。ピッチャーは、投げるゾーンと球種をなくしていく。 
  そんな時間の中で、険しかったイチローの表情が、少し笑ったように柔らかくなった。監督の表情も同じように。何か突き抜けたような穏やかな表情になった。勝ち負けではない何かが、そこにはあった。結果とは別の所にある恍惚状態のような弛緩が、一瞬訪れた。 


  その瞬間に打者の勝ちが見えた。

  音がなくなり、場を支配している何かが、動いた 
  イチローは、ストライクゾーンに呼び込まれた球を、美しいフォームで打った。 
  
 試合が終った瞬間、待合所に歓声と拍手が起こった。涙ぐんでいる人が何人かいた。なんだかわからないけどみんなが感動していたし、期待に応えてくれた選手に、みんなが感謝していたみたいだった。そして、「よく頑張った」という拍手だったんだろうな。それだけ大変な状況を越えてきていることが想像できるから。 

 

いい試合だった。 
久しぶりにいい場面に出会えた。 
それだけでいい一日だった

 


 20093262:32

仕事場の引っ越し  


  再び引っ越し。今回は異動ではなく、事務所が移転する。 
  今の場所で仕事を始めたのは去年の6月だから、そんなに荷物は多くないと思っていた。けれども、改めて箱詰めを始めて見ると、意外と荷物が多かった。前の職場を病気で去ることになったため、ある程度は思い切って廃棄したものの、当時のフォルダを崩さずに、ファイリング用のボックスごと移動してきているのだった。 


  異動のたびに思う。これらの書類は必要なのだろうかと。いつか見るかもしれない「いつか」は、滅多に来ない。将来の自分が迷った時の助けになると思って保管するのだが、そんな機会もまずなかった。ただ、数少ない機会に役に立つことがあって、その記憶が強いのと、失われたものは取り戻せない気がして、捨てられずにいる。

 こんな気持ちも、以前とはずいぶん変わってきたと思う。捨てることの怖さはなくなってきた。それは病気をして不要なものを淘汰することを知ったからだろう。もう一度整理してみるか。肝心な場面で、書類の助けがなくても、自分の内側にあるものを頼りにして何とかできるだけの力を持っているはずだ、と思いたい。
  


2009年3262:43 

健康診断 


 定期健康診断に行った。年度末の駆け込み診断。 
 以前から、ずっと同じ検診センターに行っている。以前との変化は、体重が15キロ近く減っていること。まったくメタボではない体型になっていた。ウエストが72.5センチ。標準値(許容値)が85センチなので相当細いことになる。それと血圧が低かった。49-97。振幅はあるものの全体に低い。これは初めてのことだった。

 待ち時間が余りにも長いので半覚醒状態のようなボーっとし具合で検査を受けていた。そんな影響もあるのだろうか。運動を続けていると平時血圧が下がるのだろうか。

 そしておや?と思ったのは、今の鬱々状態はもしかして低血圧によるのかもしれない、ということ。今日は最大限の鬱々状態だった。鬱々で血圧が下がるのか、血圧が下がるから鬱々になるのか。何か関連があるような気がする。

 それと大きな変化は病気をしたこと。変わっていないのは喫煙を続けていること。年配の女医に、病気して体重コントロールしてそれだけ運動する努力して、でもタバコはやめられないのね?と笑われた。来年来る時には、やめましたって言ってほしいわねぇ。そうね。そう思う。そして、あんなに上手な言い方には出会ったことがないかもしれない。やめようかなぁ。 

 


 20093273:19 

入院記念日 


  今日は(正確には昨日だけど)、去年入院した日だった。立っているのも難しくなり、足の感覚がないのと、足がマヒしてうまく動かないのとで、常に乗り物酔いのような浮遊感があった。

 去年の今日、知人に紹介してもらったドクターに先日の検査結果を聞きに行き、MRIにはうまく病状が写らないらしく、ドクターが以前にいた別の病院に検査入院することを勧められた。すぐに、ドクターが、診察を受けていた古い病院から電話をして、入院の予約を取った。診断を受けて欲しい恩師であるベテランドクターが年度末で退官するらしく、一刻も早く病院に行き検査を受けて、そのドクターの所見が欲しいようだった。

 そして診察は午前のみらしく、「今すぐ行くように」との指示だった。入院はあり得ると思っていたし、進行性の病状が不安で何の解決策も見つかっていなかったから、自分でも入院を望んでいたものの、今すぐというのに躊躇した。入院したことがない私にとっては、それはなおさらのことだった。何も準備をせずに、いつ退院するか分からない場所に行き、監禁されるような気分だった。短時間でいいから家に寄らせて欲しい。戸締りをして来なかったと嘘を言って、タクシーで一度自宅に帰った。そして、鞄にノートと鉛筆と、文庫の詩集と、知人の住所と電話番号を書いたリストを詰めて、病院に向かったのだった。 


  あの時から一年が経った。歩けなかったあの頃には、今の私の様子はまったく想像できなかった。夜遅くまで仕事をして、バタフライをして、電車や自転車や車に乗っている。あの頃はアクセルとブレーキの位置が足先でつかめなくなり、運転ができない限界をむかえていた。 


 いま、ここにこうしていられてよかった。 
 生きていてよかった。そう思う