よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年6月]私はどこにもいない感じ

2009年6月1日2:26

権威の人々 


  土曜日に、仕事関係の講演に行った。その後には懇親会というのがあったのだが、そういうのが好きではないし、体調が良いとは思えないほど汗をかいていたので、帰ってきてしまった。そういう大人の付き合いが好きではない。

 そこに集う人々の内、十数人は各分野の権威だったり、先駆的な企業の人だったりするのだろうから。体調が悪かろうが、ビジネスチャンスなのだろう。そろそろ対外的な事業展開を考えなければいけないのだろうし、自分の将来考えたら、売り込んどけばいいんだと思うけど。学術的な権威も、そこにはいるのだろうからねぇ。一応顔見知りではあるので、双方知らないわけではないけど。

 でもとにかく好きではないし、余程気合を入れないといかん。それには土曜日というのは、ちょっとスイッチがオンにならない。社交辞令は嫌いなのよね。そしてこれまでも、同業種の様々な会合を、全部すっ飛ばしてきた。いろんな人が、いろんな意図でネットワークを組んだりしているのだけれど、そういう人たちの仲間にならないで、アウトローで居続けている。

 私は現場職員で、元々、拠って立つところは泥まみれの場所。結局は、企業なんてどうでもいいと思っているので、勝手にやればって。大企業を動かしても来たし、法律にも影響を与えてきたけど、別にそれがどう、ということもない。これじゃいかんのかもしれないが、まだそういう気になれない。それよか、面白いことないかなって思うのだった。

 

 


2009年6月1日

2:32リハしない  

  

 ものすごく不規則な2週間を送っている最中なので、全く泳いでいない。そして、好きな物を食べている。これは、まずい状況だと思う。そろそろ自分なりのリズムを取り戻さないとな。 


 泳ぐのはもちろんだが、最近、足が弱い気がするので、走る練習をしたいと思っている。今、この足で、どの程度走れるのか。この足は、どこまで回復するのか。

 
 週末は久しぶりに、やらなければならないことを引きずらないで過ごせた。先週レポートを済ませ、プレゼンの内2つを終わらせたから。明日からまた色々とあるのだが、とりあえず、明日あさってくらいまでは大丈夫だろう。そんな風だったので、今日は一日中寝ていたのだった。
 

 

 

 
2009年6月4日1:25

プール&ランニングマシーン  

 

 もうそろそろ本当にまずいなと思い、プールで泳いだ。距離と時間は短めに。一応泳げたものの、体の切れが悪い感じがした。ゆっくりと楽しんで泳ぐという気分的余裕はなかったけど、体がすっきりした感じがする。続けて行った方がいいのだろうなぁ。

 その後、ジムで、ランニングマシーンをしてみた。走る練習を、夜遅くに外で足元が見えない中でやるよりはましか、と思った程度の思いつき。あの機械は、走っても景色も変わらず、風も受けないし、機械の上で走っている人のナルシスティックな感じという先入観があり、好きではない。健康をマシンの上で作っているというのが、何だか不自然な感じがするのも嫌だった。

 やってみると、コンスタントに走り続けることはできる。それは、水泳で心肺にある程度力がついているからだろう。それと、あの機械の特徴は、地面(ベルト)が回り続けているので、止まるわけには行かないことだった。それにしても、さっぱり前に進まず(当たり前だけど)。私の左足は視覚の代償機能でバランスを保っている。一方、マシンは、体は走る姿勢だが、実際には視野や体の傾きが変わらない。足が動いている状況と視野の変化が連動しないので、普通の人にとっては何とかなるのだろうけど、私にとっては、やや問題がある。体が再学習しなおすのに、信号が一致しない可能性がある。水泳と違うのは、大量の汗をかくこと。これは、水が体の中を循環している感じがして、いいかなと思った。

 

 

 


2009年6月4日1:31

事業の責任  
 

 研修事業が終わると、修了者が約25人出る。事業は、その人達の派遣も行うことになっている。派遣先が急に増える訳はない。彼らの生活もかかっているだろうし、派遣依頼がないことで、求心力を失う可能性がある。去年、一人がそんな理由で、初期に辞めている。そんなたくさんの人の生活を背負うような責任を、ずっと気持ちのどこかに引きずっているので、気が重い。何とかならないのは、私のせいではないかもしれないけど、それを何とかしなければならないのが、私の仕事。何とかなるのかな。とりあえず頭をフル回転させ、体を使って、その方法を生み出さなければ。

 こんな初めての局面ばかりの事業を、去年からずーっとやっているのだった。ここまで一応展開しているだけでも、上々のはずなんだけど。できて当たり前、というのが事業受託なので、辛いところだ。あーあ、窮地に追い込まれて、私何かを生み出せるのだろうか。とりあえず、逃げるのだけはやめよう。逃げても課題は変わらないから。せいぜい、前向きになりつつ避けて通るとか…。
 

 

 

 
2009年6月15日2:14 

どうだっていいや という違和感
 

 昔の職場の飲み会に行った。そこには、当時一緒に仕事をしていた人達が何人もいた。共通の話題と記憶を持っている人の集まりだから、懐かしかったり、昔を思い出したりするものだろうと思っていた。

 一応そんな風にふるまっていたけれど、私の中では、既にもう懐かしさはなくて、どうだっていいや、という感じと、馴染めない違和感しかなかった。何でなんだろうと思っていた。その後に多くの職場を重ねたからなのか、他の人よりも関わった期間が短かったからなのかなと、何となく思っていた。話題にも馴染めなかったし、当時の長の、涙ながらの話も、全く共感できなかった。

 
  今日夜になって気づいたのは、疎外感だった。私は異動して、その後もその職場は続いていた。私の耳に入ってくるのは、私を陥れようとする噂。それは仕事に関することと、プライベートに関することの、両方だった。

 それからその職場で仲良くやっている人達の内の一人が、正義感らしきものを持って私の所にやってきて、私を殴った。そこにあるらしかった「俺たち」、そして俺たちの職場。遠くの世界で行われているらしい仲間たちの生活と呼ばれるものは、私には全く意味がわからないものだったし、もう関係のない世界なんだろうなと思った。つながっていた時間とか思いとかは、そこでもう断ち切られていたのだと思う。何の懐かしさも感じないようになっていた。関わるな、と言われたのだから。異動した他の職員は、イベントの際等に呼ばれていたが、私には一切声がかかることはなかった。

 
 その後、いくつもの職場を経た。それらはいずれも新しいもので、前の職場とは関わりもなく、誰に助けもつながりも求めずにやって来た。自分を保って生き残るためには、力をつけ、怒りも悲しみも力に変えて前に進まなければならなかった。組織にも居場所がなくなる可能性があったから、そんな風に、私を疎外する人達の流れは進んでいたから。その時を見据えて、力をつけて、いつでも新しいことを始められる準備をしてきた。 
 その後、いくつかの職場を巡って元の職場に戻ったが、そこにはやる気のない空気が蔓延していて、その上、人事上の問題を始めとして、課題が山積していた。任された仕事は、建て直し、一つの形を作っていく作業。以前と同じ職場という意識は、全くなかった。

 一つずつを組み立てなおす作業を続けていたが、以前を知っているはずの職員は、何も考えずに惰性で仕事をしていたし、形骸化した取り組みが残っているだけだった。引き継がれているものがなく、人が育っていなかった。核になる中堅職員数名は、赴任直前に異動し、残っていた中堅職員は1名がすぐに産休、力になるはずの主任も産休、最後の中堅職員は死んだ。残った職員の一人が鬱になり、専門職は辞め、もう1名の中堅職員も退職を申し出た。職員が死んだことについて、その職員は私を殴った人だったから、様々な憶測が流れて、再び噂が繰り返された。そんなことにはもう慣れてしまっていたので、私は前だけを見て進んでいた。 
 それから半年を経た頃に歩けなくなり、このまま死ぬのかな、というところまで行って、再び辛うじて復職した。 
 こんな流れの中で、かかわりのある人達に対して、感傷も思い出もない。その職場は私の育った町にあったけれど、最初にそこを出てからは、そこは私が踏み入ることができない忌み嫌う場所になり、育った思い出さえも、消さざるを得なかった。私が育った場所や風景から500メートルもない場所に、私を殴った人が住んでいた。そこでは、彼とかつての私の恋人とが生活を営んでいた。 
 多分、この疎外感は人には理解されないものだろ。同じ場所にいて同じことを感じていたはずの人たちに、私がいない場所で噂され、悪者扱いされ、そこから噂が広がり、何百もいる職員の目に晒され続けてきた。

 誰も味方になってくれないことは、よくわかっていた。だから、感傷的な話をされても全く感じるものがない。一番裏切るのは、その人だから。もう失われていること、私はそこにはいないこと、いなかったのかもしれないことを確認しただけの会だった。誰にも気を許さずに笑っていることや、馴染んだ振りをするのは、とても疲れる。多分私は、一刻も早くそこを離れたかったんだろう

 

 

  
2009年6月18日7:43

停止  

 

しばらく日記を書くのをやめる。 
コメントの記入もしない。