よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年8月]自分を見失わないように

2009年8月3日2:21

すっ転んだ  


  水遊びをしていて、すっ転んだ。当たり前か。私の足は完全ではないのだった。

 始めちょっとバランスを崩して、それをちょっと面白がって立て直していたら、大きな溝があったのか、すべる石に乗っかってしまったのか、全体重をかけて立て直さなければならない姿勢になり、踏ん張った足が滑って、多分深いところに足を突っ込んでしまった。左に回転して傾きながらバランスを崩して倒れたんだろう。水の中に足を上に突き上げながら仰向けにぶっ倒れた。頭打たなくて良かった。

 あーあ、と思い岸に上がってから、出血に気づいた。そんなに痛みがなかったので、大げさな出血だなあと思った。傷口が濡れているからたくさん血がにじんでいるのだと思った。こんな怪我で良かった。もう少し慎重になろう。 
 その後帰り際、暗い中で荷造りをしていて、結ぼうと強く力をかけて引いていた太い荷物用のゴムひもが切れて、自分のゲンコツで左の眼窩をパンチしてしまった。次の日になって、傷になっていることに気づいた。 


 どうも、思い通りに体が動いていないのかもしれない。気をつけよう。そして体重増えすぎだと思う。

 

 

2009年8月5日 

タトゥ 

  知り合いの弟の息子(甥か)16歳が入れ墨を入れてしまったらしい。タトゥというレベルの小さいものではなくて、入れ墨らしい。親としてどうしていいのか、困ってしまっているようだった。そうは言っても、相談を受けているその知り合い(叔父か?)も、タトゥをしているのだった。おまえのせいで子供が不良になったと、言い合いにもなっているようだったが。 


 外国の入れ墨は、民族の証。インディアンにも南島にも、それぞれの民族の系統を示す文様の入れ墨がある。太平洋の南島に行った時に、それを見た。

 その中でも、神の使いとされている海亀とエイの入れ墨は、その島の空気の中にいて、実際に深い青の海の中で悠然と泳いでいるエイを見た私には魅力的で、エイの入れ墨を入れてみたい、と思ったのだった。腰の下の方、背骨の所にエイを彫ったら、海やエイと同化できそうなそんな気がした。そして恐ろしいことに、現地では、タトゥが手軽にショッピングセンターの中で彫れてしまうので、かなり危なかった。

 彫ってしまったら、やっぱり後悔するのだろうか。自然の造形を体に刻みたいというのは、何か本能に根ざしているような気がする。シャーマニズムみたいなものなのだろうか。自分も自然の一部で、自然に同化したくて。そして私は、都会にいても、自然を気持ちのどこかに描いていたい。

 ただ、体に彫るには、その自然を知り尽くし、自然物を崇めるほどでなければいけないんだろうな、と思った。だから、自分はまだ違う気がしたのだ。そんな理由で彫らなかったタトゥ。

 そして、今も私は、エイが好きなのだった。

  


2009年8月3日

いざっていう時 

 「いざという時」。へんな言葉。「いざ」なんて言葉は、滅多に使わないな。「いざ鎌倉」くらいしか使い道を知らない。「急を要する時」、というような意味かな。 
 あれは確か鎌倉時代の話。源のナントカが、何かの都合で通りがかりの百姓の家に泊めてもらうことになった。そのお百姓は貧しいたたずまいの暮らしぶりだったが、磨きあげた具足や刀を床の間に整えてあった。これは一体?と訊ねると、将軍様にことあらば、いつでもいざ鎌倉と馳せ参じる覚悟であります、と答えた。それを聞いた源のナントカはいたく感銘を受け、戦の際にはその男を徴用し、その男は武功を立てて、良い位を授かったというような話だったな。何事にも、準備を怠りなく、陰で努力をしている者は報われる、という教訓だ。うんうん。この話を茶化すつもりはまったくない。何という偶然だろうと思うし、そういう人の所には、幸運は巡ってくるのだろうなと思う。

 
 まったく関係ないが、倉橋由美子だったかが、昔話を勝手に作り変えた小説にして出している。残酷物語というような題名だったか。

 その中では、一寸法師が小さくなってお姫様の体を這い回り、お姫様が切ない声を上げ「やめるな」と命令するので、小さい一寸法師にとってはそれが大変な重労働で辟易したが、お姫様に好意を抱いていた一寸法師にはそれが喜びでもあり、ごほうびにお姫様から口移しで食べ物をもらうことができた、という話が、生々しい描写で書いてあった。これは全くの改変だけれど、昔話は、当時の人なら誰でもわかる隠喩を含んでいたはずだ。それは性的なものであることも多いと思われる。きっと、みんなドキドキしながらそんな話を聞いていたのだろうな。昔話の風景というのは、想像するとなにか懐かしい感じがする。 


  「いざ」の話だった。「さあ」みたいなかけ声なのかもしれない。「いざ出陣」か。「もしもの時」と同じ意味で使っているが、「もしも」の方が、かなりニュアンスが弱い。もしもは「万が一」という言葉に近い。万が一の「が」は何だ?

 そう、私はこの「もしもの時」に弱いのだった。心配性なのかもしれない。もしものことを考えて、色々と荷物を持ち、鞄がとても重くなってしまう。入力機器や、プールの道具や、メモ用紙やタオル、着るものの類、ペンや文房具などなど。

 今までの人生で、「もしもの時」は、多分10回もなかっただろう。ということは、たいていの場合は何とかなるのだろう。安心の材料として色々持っているのだとは思うが、最近暑いのもあって、荷物が重いのが気になっていて、この「もしも」をとり除くと軽くなるのだろうな、と思っているのだった。

 

 

 
2009年8月24日0:47

限界ギリギリの2週間  

 2週間、ずっと外回りだった。今まで、自分の体調と体力の問題があるので、「私がやる」と宣言できずに、限界を超えないように仕事をしてきた。けれども、職場の部下の一人が全く仕事ができず機能しないのと、事業が目標値を設定されていることもあり、また外部の評判が、当初のゴタゴタと、事業設立時のマイナス印象から、大変よろしくないことがわかってきたので、自らが一プレーヤーとして行動せざるを得なくなってしまった。

 その結果が、2週間連日の外回り。炎天下、都内全域を歩き回り、歩いた距離は、日によっては15kmを超えていた。

 暑さと、移動量と、緊張の連続の上に、体力を温存しなければならず、体力が残っていないこともあり、リハビリを全くやっていない。その上、疲れを何とかしようと食べるので、体重がジリジリと増え続けている。とてもまずい状態。

 土日は疲れてしまって、体を起こしていることが辛いほどだった。

 できない部下の指導はストレスが貯まる上に、全く指導効果がない。むしろ、彼の許容量を超えている為に、指導はマイナスになっていくようで、その暗い顔と、反応のない問いかけを繰り返すことで、私は更にストレスを貯めることになる。何か手がかりを見つけようと、彼と話し合う時間を持つことにしたが、多分それは気休めだろう。彼を11月異動対象職員候補に挙げた上で、それまでの時間をどうクリアしていくのか。期限があれば、気持ちを持たせることができるかどうか。とりあえず、体調を立て直す一週間を作ろうと思う。
 

 

 
2009年8月24日0:59 

今の様子はどんなかというと 
 

 今日、夜遅くになって、辛うじて起き上がり、少し涼しくなった外を歩いてみた。左足が少ししびれている。これは、休みに寝て過ごすと、前からある状態。去年、同じ季節に、杖をついて同じ道を歩いていたことを考えると、今は杖なしで歩けるので、良くなっているとは思う。ジムで走って筋力がついた上に、毎日10キロ近く仕事で歩いたら、足は丈夫になるだろうな。短パンから見える膝から下は、以前と比べると一回り太い。ただ、体は重い。体重は確実に増えている。 


 去年夜中に歩いていた公園に行ってみる。ここが、一人で始めた原点の場所。

 外で初めての人たちに会う日々を重ねる中で、それは、人に合わせ事業を売り込むことと、人のニーズに合わせる、緊張した時間。その中で、自らの軸を失う感じが不安なのだ。

 リハビリの中にも、走る中にも、日記を書く中にも自分がいるけれど、人に合わせる中には、自分はいない気がする。人に合わせ、人に妥協しなければならないので、自分を失った状態で人と接しているような気持ちでいる。そして、疲れているのでこの日記に向かう気力もなく、泳ぐたけの体力も気力も残っていない。物に対する関心も全くなく、自らの嗜好とか指向がない状態。自分を取り戻せる時間がない。受動的な毎日という感じだろうか。

 先週最後の外回りが終わって夜一人で職場に戻り、「一応、来た球は、全部前に転がした」と思った。変化球も直球も暴投も、全部バットには当てた。前には転がした。そして、ランナーが走ったり、球が転々と転がったりしていて、その後どうなるのかは、まったくわからない。とりあえず、球が来たから打たざるを得なくて、全部打った。ただそれだけだった。

 

 

  
2009年8月24日2:11

笑っている  
  電車に乗っていたり、駅や道を歩いていたりすると、よく、一人で微笑んでいる女性を見かける。以前の私には、それはとても不思議なことだった。女性というのは、人に見られることを常に意識している人たちだと思っていたので、そういうことはあまりないのではないか、という先入観があったからだと思う。

 何年か前に、「男女の脳の違い」みたいな本を読んでいて、女性は感覚を記憶することに長けていて、昨日食べたおいしかったパスタの味なんかを、あたかも今味わっているように思い出せるのだということだった。できごとよりも感覚を記憶していると。だから、女性の話はとても実感がこもっていて、その話を聞いた女性も、一緒に感覚的に受け止めることができて共感できるのだそうだ。それは育てる性であることと共に、共同体の中で、男が狩に出て残された女性のみの共同体の中では、必須のコミュニケーション手段だったらしい。わずかな表情の変化や様子の変化を敏感に感じ取る力を持つようになったのも、同じ理由によるという。そんな理由からか、女性は思い出して楽しそうに微笑みながら歩いているのかもしれない。 
  最近はシビアな外回りが続いていて、私はかなり緊張したり不機嫌な顔をして、電車の席にだらんと座っていた。そんなとっても疲れた中で電車の中をボーっと眺めていると、世の中はお盆休みだったりするのか、また下りの電車に日中乗っているのは、何も急ぐことがない人が多いからというのもあるだろう、何だか楽しそうに微笑んでいる男の人に遭遇することが、何度かあった。 
  それで気持ちが少しホッとして、力んでいる自分を顧みたのだった。そう、あんな風じゃなきゃだめだよな。今の自分は、自分でもあまり好きではない。とても視野が狭くなっていて、気持ちに余裕がない。

 そう、微笑んでいたいな、と思った。

 

 

  
2009年8月25日1:56 

聞こえない闇 

 聞こえない人と仕事をする機会がある。彼は声で話すことはできるので、私は聞こえない気があまりしていないのだが、時々、ああ聞こえないのだった、と気づく。以前に少し書いた、聞こえない彼の持つ闇と、埋められない溝。 


 手話通訳士を介して電話で話すのが嫌で、彼の勤める職場に、直接話をしに行った。私の話のニュアンスが、電話越しに手話に変換されることで、何かが変わってしまうように感じていたし、手話通訳士は途切れ途切れの言葉を、職業上仕方ないのだが、はっきりとした発音で受話器越しに私に伝えるので、何か感情的になっているように感じて話しにくい。

 そして、通訳できるようにゆっくりと話していると、考えるスピードと合わず、自分で何を言っているのかわからなくなる。私は、通訳しやすいように、短文で曖昧な単語を避けて明解に話すようにしているが、更に速度が落ちると、思考をもてあましてしまうようだ。

 彼と話していて、私が普段、いかに声のトーンや言葉に頼って話をしているのかに気づく。そして、その手段を失う中での電話というのは、声なしで言葉の意味だけが伝達されるので、益々デリケートなニュアンスが伝わらない。だから、直接会って話したかった。 
 今の出先の一つが外資系の厳しい企業で、そこに勤める聞こえない人をめぐっての議論が続いている。その人は聞こえないにもかかわらず、成人してから日本語をマスターし(母国語は外国語)、口話をマスターしている。母国では大学を出ている女性。その理解力と比較して業務の基本的事項が守れないことが社内で問題になり、その解決を依頼された。そして私は聞こえない支援者とともに、その糸口を探している。今回の会社が難しいのは、その企業の社員が皆最低2ヶ国語は話せ、外資系ということもあり、功績至上主義のような会社であること。また、組織や稟議は外国に倣っている。当然聞こえない社員にも業務実績が求められる上に、完全な日本語をマスターする努力義務が課せられる。努力すれば何事も解決し努力すべきである、という原理が働いている。一方聞こえない人は、情報量や学習方法では相当なハンディを背負っており、それは周囲には理解され難い。 
 今回支援者である聞こえない彼が、会社に送ったメールの小さいミスを会社から指摘された。結局そのことは、支援者であれ当事者である聞こえない人は、みなその程度なのか、というある種の侮蔑を含んでいて、私は会社からのクレームを伝える中では、そのデリケートなニュアンスを彼に伝えなければならなかった。だから電話ではできないと思ったのだった。 


 大雨の中、彼の所に出向いて良かったと思う。声は届いていないのだけれど、表情や感情は伝わる。一緒に笑ったり考えたりすることができたので、前よりも少しだけ通じ合えた気がした。聞こえない世界を知らないからこそ、率直に聞きすぎてしまうこともあるかもしれないが、「わからない」と言うしかない。「だから教えて欲しい」と。 

 ただ、彼も手話通訳士も、私の手話を全く信用していない。私の手話を手話通訳士が訳すという奇妙なことになり、彼はどちらを見て良いかわからず、私に「普通に話すだけでいいよ」と言う。手話サークルで会話遊びをしてる訳ではないから、そんな幼児くらいの語彙しかない私の手話には付き合ってくれない。お互いが仕事であり、取り扱う問題が人を対象にしているから、そこはシビアなのだ。何とか彼に認められる手話ができるようになりたいものだ。道のりは長そうだが。