よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

2019.1.1 心筋梗塞 入院2日目①

CCUでの生活

 浅く短い不快な眠りがあって、次の日が来たようだった。寝かされているベッドの上で、時間だけは雑に進んでいる感じだった。

 緊張感のある集中治療室とはいえ、病院のスタッフにとっては、新年の少し華やいだ気持ちがあるのだろう。早番で出勤して来た看護師や若い医師と、夜勤明けのスタッフとの間の、新年のあいさつの言葉が、遠くで聞こえていた。


 明け方、ラウンドで来た三浦Nsに、今の私の状態のリスクを聞いた。不安がっていると思われて楽観的なことを言われたり、ごまかされるのが嫌だったので、言葉を選びながら、どんな危険が考えられる病状なのかを訊ねた。

 看護師は、予想に反して、とても正確に、あり得る危険や多くの患者の概ねの予後、死に至る可能性までを、「致死因子」という言葉を使って答えてくれた。その説明があまりにも正確だったため、私は翌日まで、彼女が医師なのかと思っていた。


 考えられる最大のリスクは、突然の心臓の異常な動きや心停止だった。私の場合も、不整脈心室頻脈が出ており、そのリスクは排除できていないとのこと。他に、術部の再閉塞や、不整脈で発生する血栓による脳梗塞等が考えられるとのことだった。

 

 


「万が一の時のことを考えて、少しだけ書き残しておきたいので、ペンと紙を貸し欲しいのだけど」とナースに頼んだ。「後で持ってきますね」と言われた。

 書き残しておきたかったことは、二つだけだった。まわりの人への感謝の気持ち、そして、私の部屋の整理は弟に頼みたい、ということ。それは、私が二年前に、亡くなった父の部屋の整理をしていた時に感じたことだった。遺品の整理は、家族にはあまりにも辛い作業で、時に、家族を傷つけるような物が出てくることがある。だから、部屋、PC、車の中の整理は、彼に頼みたいと思った。今回のような事態は全く想像していなかったので、身の回りの物を、あまりにも片づけておらず、それが心残りだった。

 改めて考えると、書きたいことはこれだけで、意外と伝えたいことはないものだな、と思った。こうなってしまっては、あれこれと細かいことはどうにも説明もできず、自分では何もできないので、仕方がないことという諦めもあった。

 
 結局、看護師は、ペンと紙を渡してはくれず、明けで勤務を終えて帰ってしまった。遺言を書いたら、患者が安心して気力が途切れるからなのかな、とも想像したが、単に忘れてしまっただけかもしれない。



時計を見ると、朝になっているらしい。
動けないし何もできない。
何もすることがない。
すべきことは、生きていること。
それが、私がここで果たすべき義務と役割のすべて。


 部屋の天井には蛍光灯があって、その薄汚れた冷たい光が、常に目に入ってまぶしい。前に入院していた病室は、天井が暖色の間接照明だったなと、ボーっと思い出す。
 CCUは、居室ではなく処置室に近い機能の部屋だから仕方ない。処置室の隣りにあって寒々しい空気の部屋。急変時に処置ができるように、ベッドの左右には広いスペースが設けられている。部屋の中に装飾物は一切ない。床がリノリウムになっているのは、血液や吐しゃ物を円滑に処理して、衛生上の安全を保つためだろう。

 視界に入る左側の壁の上の方に、事務的な無愛想な針の時計があって、時間だけは、それを見るとわかった。
 足元の方、部屋の出口スペースに、ユニットバスの浴槽とトイレの仕切りのような安っぽいクリーム色のナイロンのカーテンが、一応かかっていた。それで私のベッドスペースと他が仕切れるようになっていたが、私は処置後の常時監視中の患者だから、そのカーテンが閉められることはほとんどなかった。ただ、時々涙を流しているのに気づいた看護師が、静かにカーテンを少しだけ閉めることがあった。あれは気遣いなのだろうか。


 私物の持ち込みも原則として禁止のこの部屋で、私は、何時間も天井と壁の時計だけを見て過ごしていた。



ふと、気づいて腕を見る。

 私の左右の腕には、点滴の針が刺さっている。左には4種類、右には2種類の薬液が混合されて、注入されているようだった。

 右手の点滴は、以前入院中に使われていた、ダイヤルのついた小さいクリップでチューブをつぶして薬液の滴下速度をコントロールする、普通のものだった。

 左手の点滴は違っていた。滴下速度を厳密にコントロールしているのだろう、それぞれの薬液が、緑に光るデジタルの数字が表示されている箱を経由して混合されていた。注入されている手首近くを見ると、切開したような血の跡があり、そこに小さい銀色の金属のようなものが埋め込まれ、点滴のラインはそこに接続されていた。
 腕から出たラインには、二股のコックのようなものがついている。そういえば手術後に点滴が始まるときに、この点滴はCCUやICUだけで使われる特別なものなのだと、若い医師が、何か得意げな感じで説明しながら、左腕の処置をしていた。その時はどうでもいいと思って、ちゃんと聞いていなかった。

 後に看護婦に聞いたところ、普段使われるのはVラインと呼ばれる点滴静脈注射だが、左手のそれはAラインと呼ばれる点滴動脈注射で、動脈に直接挿入されているとのこと。Aラインは点滴機能の他に、血管内への短時間での薬液注入や、簡易に採血ができる構造になっているらしい。動脈に穿刺されているために、動いて血管が裂けるようなことがあると危険。それで、厳密に固定されており、動かないようにとも言われていた。


私は、その説明とともに、心臓手術後は絶対安静だと思っていたこともあって、寝返りもしてはいけないのだと思い、全く姿勢を変えずに仰向けになっていた。寝返りを打っても良いと知ったのは、二日目の夕方だった。といっても、左右の点滴のラインの他、体のあちこちに、強い粘着性のパッチで心臓や呼吸のセンサー等が十個近くも貼り付けられ、鼻には酸素吸入の管がつけられ、股間には導尿の管が差し込まれていたので、動ける余地はあまりなかったが。



昨日からずっと38度台の熱が続き、頭がフラフラしているような感じがした。ただ、それも、頭を枕につけたまま浮かせることができないので、よくわからなかった。
 
 
 
 
 

看護師や、時々見かける医師は皆若かった。病院は、おそらく年末年始の特別な当直勤務体制を取っているのだろう。医師を含めて全員が若いスタッフで、ベテランの医師が見当たらなかった。しかし、集中治療室が高い専門性や応答性を求められる場所だからなのか、スタッフは皆力量があるように感じられた。また、よくスタッフ同士の笑い声が聞こえた。極限の体調不良の状態にある私にとっても、その声は不快ではなかった。死に日常的に触れる環境の中で、明るくコミュニケーションを取りながら働けているのは、良い職場環境なんだろうな。

小さく聴こえるやりとりの声を聞きながら、一瞬、自分の職場が頭に浮かんだ。


職場は、今の私には遠い場所。