よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

2019.1.2 心筋梗塞 入院3日目CCU

頭痛と微熱がずっと続く


頭が痛いのと微熱が不快。それが、食欲や意欲が上がらない原因。
微熱は炎症反応のようなものとのこと。


朝 ヨーグルト2口、バナナ1/3
初めて食事が出たが、匂いがきつくて食べられない。



昨夜が、頭痛で眠れずつらかった。今日は、寝不足で、三日目にして一番しんどい。

気力がなく、昼間からずっと寝ている。





若い医師が様子を聞きに来たので、「酸素吸入のチューブのゴム臭が不快だし、そもそも、これをしていると鼻が詰まるので、酸素は鼻から入って来ないから意味がない」と訴えた。どういう意味かと訊かれたので、「一日に何度も、感情が不安定になって泣くと、鼻水が出るでしょう。その時に、鼻の穴に酸素を吹き込まれているので、鼻水が固まるから、鼻では息ができていない。だから鼻から酸素は吸えていない。」と、はっきりとした口調で説明したら、無視された。そういう現象は、事例として想定されていないのだろうな。


しばらくすると、その医師は、私の発熱をインフルエンザと疑って、鼻の粘膜検査キットを持って来た。「さっきも言ったけれど、鼻は通っていないから、鼻の奥に綿棒を入れても、粘膜までは届かないと思うよ」と言ったら、「どちらかといえば、左右どちらがましですかか?」と事務的な口調で聞かれた。「右」と答えたら、右の鼻に思いっきり長い綿棒を突っ込まれた。結局、インフルエンザではなかった。





 

浅い眠りの中で、ずっと脈絡なく夢を見ている。
 
 
プールで泳いでいる夢を見た。100メートル個人メドレーのような競技に出ていたようだった。クロールで泳いでプールサイドに着くと、誰かに「泳いで良いのか?」と聞かれた。私は、「自分でもよくわからないのだが一応泳げている」と答えていた。
 
やわらかい水の中を気持ちよく浮いて進んでいく感覚が、体に残っていた。
 
また泳げるようになるのかどうか、わからない。
 
もう二度と泳げないのかもしれない。
 
 
 
 

 

昨夜から、不整脈を防ぐための点滴(カリウム?)を少しずつ減らして、ゼロになった。

不整脈の感覚は、変わらずにずっとある。


昼 白米半量、おかず少々 リハと思って食べた。

まずい。おかずが油臭くて食べられない。白飯が砂のよう。

 

オレンジ色で四角い油臭いおかずは一体何なのかを看護師に訊いたが、「さあ?」とのことだった。この病院にはメニューがない。「経口の栄養補給」だから、人間的な食事は求められていないからか。
 
 

 

今日は、頭痛を言ったら、血管拡張薬の点滴がなしになった。
血管が詰まるのを防ぐために血管を拡げているが、薬によって、心臓だけでなく全身の血管が拡がってしまう。頭の中の血管が拡がると、そばにある自律神経に触れるため、血管拡張剤で頭痛を訴える人が多いとのこと。頭痛は多少やわらいだ気がするが、私の場合、ずっと頭を枕についている肩こりによるものと思う。頭痛薬は出せないとのこと。



「することがないのが辛い」、と看護師に言ったところ、隣の病室の方から、使わない古いCDラジカセを持ってきて、ベッドサイドに置いてくれた。ラジオを、聞こえるくらいの小さい音でつけてみたが、頭が痛くてすぐに消した。ラジオの声が何を言っているかを聞き取る気力もなかった。世の中で起きている出来事にも興味が持てなかった。



夜 白米全量、みそ汁、おかず少々。ぼそぼそとした白飯。リハと思って食べた。
 
魚の煮つけが生臭くて食べられない。




天井を眺めていた。部屋の片隅に、カーテンで仕切れるようになっている小さいスペースがある。何に使うのかはわからないが、今は使われていないようだった。天井からのV字型になった二本の細いアルミのフレームで、直角にカーブしたカーテンレールが吊るされている。ボーッと何度もその構造を目で追って眺めている。華奢で壊れそうなレール。引っ張ったら、天井から外れてしまうだろうなと思う。そうか、壊れるようにできているのかもしれない。この部屋に横たわる患者が置かれた状況なら、カーテンレールに紐を掛けて死のうとする人がいるのかもしれない。前に入院した時に、看護師が、個室の患者の自殺の話をしていた。助かった命なのだけれど、悲観してではなくて、苦しくて、楽になりたくて、かな。ベッドや椅子に上れればの話だけどね。


前回の入院で思った。病院の言うことをきいていると、病人になってしまう。
熱が下がったら、リハを始めよう。


子どものことを、何度も思い浮かべた。

彼がどう理解しているか。幼い理解ではあろうとは思うものの、彼は「父なりに何とかやっているのだろう」と思っているにちがいない。それが信頼感なのだと思う。それはお互いに感じている。



夕方6時56分、ノートに細く揺れた文字で、少しだけ日記が書けた。