よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

2019.1.1 心筋梗塞 入院2日目②CCU

 「昼間の時間」になったので、患者として昼夜のリズムを作るために、ベッドの電動の背もたれが少し起こされた。

 それから、膝が少し曲がるくらいに、足の下のリクライニングが起こされた。

 体を少し起こすと視界が少し変わった。前が、少しだけ遠くが見える。

 


 それにしても、何もすることがないのは、本当につらい。拷問のように感じる。あと何日間、このまま何もしないで過ごしていくのだろう。どうなったら、この状況は変わるのだろう。

 この非人間的な処遇について、誰も疑問に思ったり、気づいてはくれないのだろう。このままだと、本格的に病人になっていく。その責任は、だれも取ってくれないのだろう。病院の、目の前の治療のために他のすべてを考慮しないあり方に、怖さを感じる。

 例えば、私は、救急で運ばれて以来、歯磨きをしていない。歯ブラシを求めたら、先にスポンジを巻き付けたプラスチックの棒を渡された。ここで歯磨きをしてはいけない理由は何なのか?血液をサラサラにする薬を飲んでいるので、歯ぐきからの出血が止まらないから?歯ブラシを喉に詰まらせるとでもいうのか?



 少し開けた視野で遠くを見ると、向こうに、ナースステーションのような小さいカウンターのスペースが見えた。そこには、九つの心電図モニターらしいものが映っている。おそらく、このCCUにいる患者全員のモニターなのだろう。昨日からずっと聞こえている電子音は、そこから聞こえてきているようだった。


 モニター画面には、上に黄緑色のグラフがあり、それが多分、心電図。下にもう一つ白いグラフがあるが、何だろう。

 見ていると、警告のアラームが鳴った。それは、私の胸の違和感と一致している。どうやら、私のモニターは、右の列の下から二番目らしい。心臓が大きくピクピクとなる感じの時には、低い音のゆっくりのアラーム、心臓がトトトと小さく痙攣のように動いた時には、高い速い音でアラームが鳴る。

 看護師に訊くと、低い音の方が不整脈で、高い方が心室頻脈だとのこと。一分間に数回という高い頻度で、心拍が異常なリズムになっているのがわかる。また、不整脈の方は、以前からあった気がする違和感だ。


 ずっとグラフを見ていると、下の白いグラフは、どうやら呼吸らしい。深く息を吸うと、グラフが上に大きく膨らむ。ゆっくり息をすると、波の幅が大きくなる。わざと、呼吸をハアハア粗くしてみると、小さい波がたくさん現れた。フフッ、と小さく笑った。笑うのは久しぶりな気がした。この状況を笑おうと思っていた。面白がって何度もやっていると、アラームが鳴り、看護師が見に来た。浅くて粗い呼吸は、心不全の兆候を示すかららしい。

 グラフを見ながら、退院後に自分の異常に気づくためには、異常な心拍の時の体の感覚を覚えておけばいいんだな、と思った。


 
 水分や栄養は点滴で補給されているから、食事が出ることもなく、することがなかった。昨日と同じように様々なことを思い浮かべると、時々涙が出てくる。涙を隠したり拭いたりする理由もなかったので、涙は流れて、そのまま乾いていった。

 

 定期的に、ナースが点滴の薬液や検温に来る。
 私は、話すともなく、「つらい」とか、「退屈で死にそう」とか、「泳いで海を渡りたかったのに」等と、つぶやきをぶつけていた。
 私が涙を流しているのを見て、「大丈夫か」と訊くので、「立ち直るためには落ちるところまで落ちたほうがいいから」等と言ってみたりもした。そうしたら、若いナースに、「ここに救急で運ばれた時が一番低いところだから、あとは上がるしかないから大丈夫ですよ」等と何だかセリフのような口調で言われて、職業的なボディタッチで肩に手を置かれた。

 


 前回の入院では、看護師にストレートに気持ちを吐露することほとんどはなかったのだけれど、私の感情の動きに気づいた看護師が、夜勤明けにベッドサイドに話しに来てくれることがあった。
 この病院では、看護師は、患者の話を聞かないようにしている感じがした。それはCCUだからなのか、忙しいからなのかわからなかったが、私に限らず、他の患者のつぶやきも、聞き流すか、聞き落しているなということが、何度もあった。
 ただ、今回は、受け止めて欲しかった訳ではなく、ため込まずに吐き出したかっただけだから、聞いてもらえないことに、何も思うことはなかった。はじめから、期待はしていなかったから。

 

 気持ちを前向きに持とうと思って、体を反らして頭の上の方を眺めてみたら、壁の上の方に、小さい窓があった。窓の外には、離れた病棟の窓がいくつも高い所に見えたが、それ以外は何も見えなかった。向こうの窓にも、私と同じような人が動けずに横になっていて、窓越しにお互いに気づいて気持ちの交流があったら、などとあり得なそうな空想してみたが、人影さえまったく映らず、つまらないので、見るのをすぐにやめてしまった。


 この部屋に来て一日半も経っているのに、窓があることにさえ気づかなかった。今回の私は、気持ちが重症だなと思った。




 
 昼過ぎに、看護師があわただしくやって来た。何事かと思った。
 「面会の際に何か持ってきてもらう物はあるか」、と訊かれた。そんなに息を切らして来る程のことではない。私が真っ先に答えたのは「手帳とペンケース」、「あとは何でもいいので本を1冊」と伝えた。


 CCUは私物の持ち込みは禁止、と聞いていたので助かった。本が一冊あれば、相当な時間がつぶせる。ペンとノートがあれば、紙に書くことで、自分の世界をそこに作り出して過ごすことができる。前も、突然決まった入院の時に、自分で用意したのは、ペンとノートと本だった。これだけあれば息ができる、生き延びられる、と思う。今回は、何かあった時のために書き残さなければならなかったから、なおさら書くものが必要だった。

 
 手帳は、十二月の始めに新しいものに切り替えて、予定を整理して転記してあった。また、手帳に仕事と、私的な予定や、終わったことを、ペンの色を変えて書き込んでいた。そして、手帳の入っているファスナーで閉じる革のカバーの中には、もう一冊、360ページもあるノートが入っていた。この一年間、すべての会議や業務のメモやノートを、この一冊に書いてきた。だから、仕事の要点は、これを見ればわかる。これに加えて、年末に、大きなA3のエクセルの表を作って、一年間にあった外部会議や業務遂行等を、項目別に分類して時系列に入力し、折って手帳に貼り付けてあった。仕事のやるべきことは、この二冊を見ればほぼ完ぺきにわかるはずだった。
 
 そのノートには、まだまだ書けるページがたくさん残っている。たまたま、年末に、手帳とペンケースを自分の部屋の椅子の上に置いたため、在処がはっきりとわかっていた。ウォークマンタブレット電子書籍等も考えた。その在処は大体わかっていたが、コードや充電器の説明をとてもできるとは思えなかったので諦めた。携帯は禁止されているから無理だろうと、初めから思っていた。
 
 看護師に伝えてから、子どもの写真を頼めばよかったかな、と思った。というのも、写真等は携帯に大量に入っているから、いつでも見られる安心感があったのだ。これが、携帯が使えないとか電源が入らない環境になると、状況が一変することに気づいた。外との連絡手段や情報収集のすべてを、携帯に頼っているということは、普段から感じていたが、写真やメモも携帯に依存していることは、想像していなかった。ただ、もう一つ初めて知ったのは、子どもの顔は思い出せることだった。だから、写真がなくても大丈夫だとも思えた。ペンと紙があれば、顔を描くことだってできるのだった。
 
 
 
 三時半頃、間違いなく手帳、ノート、ペンケース、数冊の文庫本を受け取った。禁止されている携帯電話は、電源を切って手帳の返しの裏に隠して入れた。嬉しかったのは、子どもの写真がプレスされた缶バッチが、荷物に入っていたことだった。CCUの私物管理は厳密で、リストに、缶バッチも含めた名称と個数を記録された。携帯電話は気づかれずに済んだ。

 あれだけ飢餓感があった本やノートだったが、せっかく手元に来たものの、頭が痛くて、見る気がしなかった。字を目で追える気がしなかった。








熱がずっと続いていて、夕方から、頭痛がさらに激しくなっていた。何度か看護師に熱の不快と頭痛を訴えたが、医師から、「熱源を明らかにするために、薬で熱を下げることがしばらくできない」と指示された、とのことだった。

 
 
 
夜、暗くならない部屋。
浅い眠り。
奇妙な夢。
この空間にずっと鳴り響く電子音。
患者全員の命をあらわす音と、命の危機をあらわす警告音。
命を保つために常に動く人の気配。
 

私の点滴のラインがつぶれて輸液が滞る。
機械は正確に甲高い音でそれを知らせる。
二時間おきにそれぞれの薬液がなくなる。
機械は更に大きな電子音で警告する。
看護師は正確に薬液を交換し続ける。
夜中に何度か左腕のラインからの薬液が注入される。

頭痛。
身動きできない体の重さ。
腕に刺さった点滴の針の鈍い痛み。
片方が詰まって息が通らない鼻。
酸素吸入チューブのゴムの臭い。
ガサガサした紙の検査着。
尿管に挿入されたチューブの痛み。

夜中に何度も目が覚めて時計を見る。
今が何時でもどうでもよくなっている。

明け方の採血。

午前6時の検温。
 
体調はどうですか?の問い。違和感はありませんか?と。