よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2010年11~12月]見えない不快感と疲労~視力辛うじて回復

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2010年11月4日3:42

ストレスの原因
 
 明日は(今日だけど)、午前中にかなり面倒な仕事がある。これがストレスの原因。何とか乗り切る。
  

 

 2010年11月26日1:15

このところの体調など
 
 相変わらず、左右の目の焦点が大きくずれたまま。

 毎日笑顔で明るく過ごそうなんて、無理だ。起きていれば、目を開けていなければならないから常に不快だし、症状を確認し続けることになる。そんな様子だから、もう2カ月以上も鬱々とした毎日を送っている。

 全身の疲労感も、休んでも抜けず、疲れではなくて、これも症状そのものと思った方がいいのかもしれない。医学的な対処法もなく、ステロイド点滴も、これ以上やると免疫力が下がりすぎて別の病気にかかるから危険、と言われて終わりになった。

 
 ここに書いていなかったのは、パソコンの画面を見るのが辛いから。近い距離で多少見やすい位置があるので、ノートに色々と書きとめてはいる。いつか見えるようになったら、まとめてここに書くかもしれない。
 

 

 

 
2010年11月26日1:29

来年の手帳
 
 年末近くなってきたので、毎年恒例になっている手帳の検討を、今年もやった。今年は考え始めるのが早かったので、新しい手帳の使い方はだいたい定まった。

 年が明けてから手帳の仕組みを変えようと思っても、手帳が既に売っていないことが多いので、今年は、目についた手帳から先に何冊か買っていった。結果として使わないものもあるかもしれないと思いながら買い、途中で手帳全体の構想が変わったため、再び買いなおしを何度かした。

 
 最終的には 
A5の置き手帳(Yearly,Monthly,Weekly,Dayly) 
・ポケットに入る手帳(Weeklyレフト式右面方眼) 
・仕事以外のことを書くA6手帳(Daily 
の3冊になった。

 

 この他に、ノートとして使うA4の4穴ファイルがある。

 最近の体調で、荷物をできるだけ軽くしたいというのがあり、今回は、7~8年ぶりだろうか、ポケットに入る手帳を使うことにした。それと、予定を書くだけでなく、やったことから得られたことや、気づいたことの比重を高くするための構成にした。

 仕事以外のことを書く手帳は、今色々なことを書きとめているノートの役割を、そこに移すつもり。書くことで気持ちが保たれていると思うので、書く場を確保したいと思った。

 ポケットに入る手帳で、大部分の局面を切り抜けたいと思っているので、今は大事なことをメモページに転記しているところ。ポケット版の手帳は、ポケットから出せるのでとても便利だということが、使い始めてみて改めてわかった(当たり前なんだけど)。ちょっと困っているのは、目が見えにくいので、手帳に小さい字が書きにくいこと。

 それと、今年重視したのは、手帳に愛着が湧くようにということ。上の3冊はかなりポピュラーな手帳なんだけど、全部に自分で選んだ表紙を着せてあげることにした。この3冊の連動の仕方は複雑なので、また時間がある時に書こうと思う。自分でもわからなくならないように、今ルールを決めているところだったりする。

 

 

 

2010年12月6日2:32

捨てる…のは無理
 
 物を捨てようと思った。最近、世の中でも、捨てることが流行っている。自分自身でも、ここ半年位、物の量が多すぎて不快になってきていた。それは、目がよく見えていないこともある。物が探せない。

 そして、自分が本当にやりたいことを考えてみた時に、自らが管理できる量の物だけを持っている方が、楽な気がしていた。

 更には、そろそろどうしても電子ピアノを買って始めようと思い、その場所を作る必要もある。一番多いのは、服と本だと思う。捨てようと思った。 


 まず本棚を見た。魚釣りの本やカヌーの本が大量にある。どれを、と思って背表紙を眺めてみても、捨てるものはないように思えた。今は使われていない本だけど、捨てることはできない気がした。

 

 そこにある楽しげな題名は、私がかつて夢見たこと。できたらいいな、と思ったことたち。今、体が自由でありながらその選択肢を捨てるのであれば構わないのだけれど、今捨てることは、心残りのまま捨てざるを得ないように感じる。かつて前向きだった自分に頼ってでも、気持ちを保ち続けるしかない程、今の自分は細くて弱い。

 これを全部断つことができれば、何か見えてくるのかもしれない。それが、潔い病気と障害の受容なのかもしれないが、自信がない。捨てることに余りにもエネルギーが必要なことを思い知って、自分が嫌になった。 

 

 服を見た。一枚ずつ手に取ってみる。服もまた、捨てられない。一枚ずつに思い入れが強すぎる。私は、物を選ぶ時は相当真剣で、相当迷い、考えて買うのだと思う。だから、自分にとって、他と取り換えが効くと思える服が少ないのだった。袖を通していない服は、とっておきにしてあって、余り着ないようにしている服で、不要だから着ていないのではなかった。その存在を忘れているわけではない。辛うじて、着てみて着心地が肌に合わなかったものと、気に入っているのだが自分のイメージに合わなかったものを、十数枚外して袋に詰めた。 

 改めて見ると、私の一部分になっている物が多い。もう少し体調が良い時に、もう一度やってみよう。少しずつ少しずつ、本当に大切な物だけに絞り込んでいこう。
 

 

 

 
2010年12月31日23:43

ふりかえり
 
 節目なので、毎年のように振り返ってみよう。

 
 今年は、何と言っても、目が見えなくなったのが一番大きなできごとだった。

 

 夏の始め頃だったか、一度見えなくなって、その時は慌てて病院に行って、三日間点滴をして治った。多分、見えなかった期間は、三週間くらいだったのではないか。

 

 その後、お盆過ぎにまた見えなくなり、人事異動やらで慌ただしい時期で、病院に行くのが遅れた。その結果、点滴を三週に渡って行ったが視力は回復せず、医師からも、これ以上ステロイドを投与すると、必要な免疫機能に影響があるので、やめた方がいいといわれ、回復しないまま4カ月を過ごした。

 

 十二月にもう一度通院して点滴をして、辛うじて回復。一年の半分近くを、目が見えないまま過ごしたことになる。最後は、このまま見えないで生きていく覚悟をした方が良いのかもしれない、と思い始めていた。

 

 
 目に発症して、色々なことを考えた。これまで、目に頼って生きていることが、見えないことでよくわかった。特に、仕事では、壇上に上がって人前で話す場面で手元資料が見えないことや、聴衆が見えないことが、話すことを難しくした。

 見えないままで行ったプレゼンが、多分十五回位。手元のメモをチラッと見て、そこにある言葉を拾って話を膨らませていくやり方や、聴いている人の反応を見ながら、自分に最も関心を持っている人を探してつかんでいくようなやり方は、通用しなかった。立っているだけで、グラグラと揺れてしんどい。手元資料に頼らずに、記憶と感覚と勘で話すのは難しかった。

 何とか十回に八回位は成功していたが、最後の方での大学のプレゼンは、自分では満足のいくものではなかった。

 そろそろ限界なのかもしれない、と思った。もう一度立て直し、新しいものを蓄えて、いつかまた立てる日がくるかもしれない、と思った。

 

 企業や、様々な折衝の場に出ていく時も、不利だった。目は、起きている間は開いていなければならない。だから、起きている間、常に症状を感じ続けなければならないのは、シビアだった。メンタルに影響がない訳がない。気が滅入った状態が常にありながら、更には、発症しているということは、体調が優れない。そして、歩行も移動も全部不快。

 そんな状況で交渉の場に入っていくのは、明らかに不利だけれど、自分の体調を言い訳にするわけにもいかず、とりあえず凌げればいい、というような過ごし方をした時期があった。野球に例えると、来た球をすべて、とにかく前に転がす。めちゃくちゃにバットを出して、とにかく前に転がし続けた。

 

 ちょうどお盆の時期、終戦記念日から、ノートに色々なことを書きとめ始めた。パソコンに向かうことができなかったので、ノートに書いていた。体調のことばかり書いていたと思う。前向きに立ち上がれない季節が長かった。つい二週間位前まで、そんな風にして、地面を這いずり回るようにしてたんだ

 

 目の原因は結局わからなかったけど、ステロイドの過覚醒が原因で、疲れを自覚していないというのが、一番の要因ではないかと思っている。体は、常に病気で疲れているはずなのに、ステロイドを使うことで、その自覚がない。だから、体の弱い所に歪が出るまで気づけないでいるのだと思う。いつもそのつもりで、体力をセーブしなければだめなんだろうな。 


 そんな中でも、気持ちはどこかじりじりと前に進んでいて、仕事は、からずっと後退しないように、気持ちを保っていた

 

 それから、見えないままに、身の回りの物を捨て始めた。見えないので物が探せないというのもあり、物が多すぎて不快というのもあり。自分自身が目が行き届き、使いこなせる範囲の物だけを持っているのが本来の在り方で、数少ない大切な物を持って暮らしているのが、理想のように思った。それは、たった一つの消しゴムを使っていて思ったこと。

 大きいゴミ袋で二十、もっとかもしれない。とにかく物を捨てた。捨てて空いた空間で、ピアノを始めようと思った。ずっとやりたかったのだから、躊躇せずに始めようと思った。目を失うかもしれない中で、何か安全弁のようなものが欲しかったのもある。ピアノを置く場所はできた。一月の終わりに、気にいった電子ピアノが来る。

 
 その他にやった色々なこと。そう、資格試験に合格したのは、今年のことだった。その後、目が見えなくなっているのだから、ほんとにギリギリのペースなんだな。勉強中に発症しなくてよかった。

 

 今年の夏は暑かった。海にも行った。

 春に、今まで乗っていた車がそろそろ限界の音を発し始めていたので、車を替えた。少し大きな車。気に入った居場所。

 

 それから、夏にノートを書き始めてから、手で書くことを大切にするようになって、万年筆を何本か買った。ペン先やインクを色々と試してみて、今のペンとインクに落ち着いた。

 

 あと、細かいことだけど、手話を少し始めたり、見えなくなって挫折中だけど。

 見えない目で革紐を編んだり、ノートに色々書いてみたり。十二月には手帳を全部刷新して、自分をマネジメントすることを、改めて考えてみたのだった。 


 忘れられない出会いや別れもあった。いろいろあった。これも全部、自分の中に刻んで、次の一歩を踏み出そう。目が見えていること、それだけで充分だと思う 

 


 大切に。すべての人を大切に。

 

 新しい年がみんなにとって穏やかでありますように。