よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2009年12月]細胞が生まれ変わるような不安感

2009年12月10日1:12

日記を書かなかった  

 

  しばらくの間日記を書かなかったのは、勉強に集中していたとか、病気で寝込んでいたからではない。単にパソコンが壊れたから。

 十年位前から使っているパソコンのハードディスクから、「カコンカコン」という明らかに変な音がし始めて、何度か起動している内に、アクセスできなくなってしまった。

 一応、マイドキュメントの中身だけはバックアップを取ってあったが、入っていたソフトが全部使えなくなったのと、ホームページの試作データが保存できていないかもしれない。これはちょっと残念。本当に幻のホームページになってしまったかもしれない。 
  で、書くことがあるかといえば、今は特にないような気もするので、今日はやめておこう。勉強のこととか手帳のことは進展しているので、また今度書こう。

 

 


2009年12月11日2:07

うっとりとシミュレーション  
 

 手帳のことを、前にどこまで書いたのだったか。 
 手帳の本や特集した雑誌を読むと、どれにも「目標を書く」とある。その上で、来週の予定を細かく今週に書いてみる。多分、目標に沿った取り組みも含めて。

 実際にそれをやっている人の手帳や使い方が書かれている。面白いのは女性の実例で、「一週間経った後に書いたことをやった自分を思い浮かべてうっとりする」とった。これが、男性の方は、「バッチリシミュレーションする」と書いてある。似ているけど、かなり違う気がする。このあたりが手帳の使い方の差として出るのだろうな。

 女性は、想像することや、敏感な感覚や、感覚を記憶する力が強いのだと思う。だから、手帳に書き留める言葉やあった出来事を、書いた単語を見て、うっとりと思いだせるのかもしれない。うっとりはいいなあ、と思う。そして、「仕事に対処できている自分」というとらえ方ではなくて、「仕事をしているのは私」なんだろうな。

 

 


2009年12月11日2:17 

楽しみにしている 

 

 職場の近くの地下に定食屋がある。夜は飲み屋になる店。つまみと一緒に作るのか、定食に二品くらい小鉢がついている。量も多くごはんもおかわり自由。つまみだからなのか、やや味が濃いけれど、満足感の高いお店。広くない店内は、昼はサラリーマンでいっぱいになっている。

 相席になることがほとんどで、周りのサラリーマンの会話が聞こえる。そんな中でずっと、どうしてか印象に残っているのが、40代半ばくらいのサラリーマンの言葉で、「オレいつもこの小鉢楽しみにしてるんだ」。ああそうなんだと思って聞いていた。後輩の社員と一緒に来ていたその人の言葉は、なんだかとっても素直で、かわいらしいいいものだと感じた。そんな小さいことを毎日の楽しみにしている。そして「楽しみ」という言葉を久しぶりに聞いたような気がする。

 私は「楽しみ」とか「楽しい」ってあまり感じていないのかな。期待するとか楽しみにするっていうのは、叶わなかった時の悲しみの印象が強いので、小さい時からしないようにしていることかもしれない。「楽しみにしてたのに」という言葉がとても重くて、気持ちが落ち着かなくなる。期待することも期待させることも嫌。

 日々の中にあの人みたいな楽しみを見つけられるといいな。
 

 


2009年12月11日2:25

物にあんまり関心がないこのごろ

  
  以前は、やたらといろんな物にこだわって研究していたが、最近は何についても、かなりどうでもよくなっていることに気づく。これは鬱の症状かな。

 満たされているといえばそうなのかもしれない。

 それと、物を増やすことが自分を混乱させたり、所有によって何か縛られる感じがしているというのもある。

 携帯電話等は減価償却期間を超えてどれだけ使用期間を延長できるかみたいな感じで一年をしのいできて、とうとう充電完了状態からメールを5通くらい打ったら電池が切れるようになってしまった。使用頻度を考えるとそろそろ限界であきらめようかと思っている。 
  そんな中でかろうじて工夫をしようと思っているのは、毎日使う物に限られるようになっている。荷物をいかに減らすかと、こだわっているのは、毎日使う手帳とカバンと筆記用具くらいか。考えてみれば車に関心があったのは車通勤していた頃だし、バイクはバイク通勤していたころ。 
  そして、道具を使う時間がないのも原因の一つか。仕事と食事と睡眠と勉強以外の時間は相当短いからな。 


  時間を作ってやってみたいのは、もう一度ちゃんと、写真での表現をつきつめること。色鉛筆で絵をかくこと、ピアノを弾くこと。魚釣りに行って車の中で寝ること。テントでもいいけど。

 


  
2009年12月12日2:18

プラモデルを作るのが苦手 

 

  小学生の頃、プラモデルを作るのが苦手だった。

 小学校の低学年の頃。何が苦手だったかというと、当時、不器用で、物を作るなどがとてものろかった私は、物を完成させる根気がなかった。

 それとプラモデルのように、部品が意味なくバラバラに入っていて、それを貼り付けていく意味も、よくわからなかったのだと思う。組みあがっていく楽しみとか、細部をイメージする想像力も欠けていた。思い入れができなかったというか。

 それで、適当に、完成形に近い大きい部分だけを大雑把にくっつけてしまい、終わりにしてしまうのだった。車だと、タイヤとボディと運転席のイスとハンドル、窓とヘッドライトくらいでおしまい。だから、大量の部品が余る。達成感のないプラモデル製作。それで、「プラモデルが欲しい」などと私が言うと、親は「ダメ」というのだった。 
  今はどうかというと、どっちらかというと、私の仕事の傾向はプラモデル的な取り組み方。細部を組み立てることが多くなりがちで、細かすぎ、もっと大局をつかめというのが人からの評価。自分でもそれは気をつけている。いかにフレームを描くかと、紙に書くときには細部を省略できるか。

 そんな風な仕事の仕方になってしまうのが、対人関係に敏感に気を遣い過ぎるところから始まっているのだと思う。そして私の仕事の仕方で気づくのは、プラモデルを細部から作り始めて完成まで一気に作らないと気が済まないこと。だから疲れる。大きい所から作って細部を詰めるのができていないのと、1ヶ月後に完成するのを楽しみにすることができない。 
  小学生の頃と何が変わったんだ?あまり変わっていない気がするのだが、どうもやり方が違っているような…。

 


  
2009年12月12日2:43

大原麗子の最期  
 

 最近病気について聞かれると、珍しい病名と症状なので説明が難しくて、「大原麗子さんの病気ととてもよく似た病気」と言って済ませてしまうことが多い。みんな、よくわからないながらも、わかったような感じになるみたい。 


  大原麗子の病気はギラン・バレー症候群だった。私は、入院前の長い通院検査中に、一度この病気の可能性を強く言われたことがあった。同じ膠原病として類似の病気だ。テレビなどでは彼女が「再発した」と言っているが、これは間違いで、膠原病は持ち続けているので、症状が「再燃」しただけ。 


  彼女が亡くなったのを聞いて、病名を知っていただけに、軽いショックがあった。そうか、私の病気もそんな可能性があるのだな、と気持ちの深い所にその記憶を沈めた。

 彼女の死因は脳内出血。これはギランバレーの症状ではない。たまたま併発したのだと思う。そして自宅の寝室で、倒れてからも何日も生存していた可能性が高いという。数メートルの所に置いてあった携帯電話。彼女は意識障害で電話をかけるのが難しかったのだと思うが、連絡しないことを選んだのではないかと感じる。亡くなっていた時に、衣類を枕にしていたという。意識障害による行動ではない。最期を自分で選んだのではないか。這い上がっては突き落され、鬱状態にまでなり、周りの人は離れていった。ずっと一人だったのだろうな。ずっと淋しかった。 


  今日、朝雨が降っていて、傘を持って出ようとしてたまたま手に取った傘が、退院後に雨の日に歩行練習をしようと思って買った、透明のビニール傘だった。杖をついて不安定な歩行で歩いていたので、傘が透明でないと前が見えなかった。クリアな透明の傘で、縁取りと柄が紺色。

 朝通勤の町の中を傘をさして歩いていて、その傘を買った時のことを突然思い出して切ない気持ちになった。500円のビニール傘だったが、それは歩く練習をする私にはとても大切なものだったし、新しい傘をさして自分の足で歩けるのが嬉しかった。生まれて初めて買ってもらった傘みたいにとても意味があるものだった。夜歩行練習するのに、杖に小さいライトをつけたりしていた。

 とにかく一生懸命だったと思う。当時は、自分なりに考えてそれしかないと思うやり方で努力していた。多分健康な人から見ると滑稽だったり楽しんでいるように見えたのだと思う。今日、通勤の人の流れの中で歩いていた自分が、あの頃の自分を思い出してみて、とても小さな小さな努力を積み重ねている自分がいとおしかったし、そんなレベルで闘っていた自分が、遠くから見えるみたいで切なかった。 


  これから残された時間をどう過ごしていくか。ずっと気持のどこかでそう思っている。何がしたいのか?とこのところずっと自分に問いかけている。何でもかんでもという実現不可能な夢を描けない時期にきている。

 
や りたいこと、やっぱり自己表現。すでに技術と経験を持っている写真。色に喜びを感じる色鉛筆。その二つの方法で自分にしっくりくる光と色と心象風景を描きたい。そして、一冊でいいので絵本を描きたい。

 それとピアノ。これだけはやっておきたい。

 もし可能なら専門分野の本を書きたい。

 それとある程度耳と頭ができているのだから、英語の読み書きと会話だけはできるようになってはどうか。すでに自分の中にある蓄えを使ってよいのではないか。

 

 トンカツ屋でうまいと実感しながら喜びで足をバタバタしてロースカツ定食を食べるみたいに、おいしいご飯を毎日食べて、それと同じように、他のことでも気持ちをわくわくさせたり足をバタバタさせたりしながら、過ごせればいいな。
 

 

 

200912122:57

島を買う 
 

 どうやら島が売りに出されているらしい。瀬戸内海の無人島。 
  私は、「宝くじで3億円が当たったら島を買う」などとずっと言っている。最初は退職してからの夢はなんだ?と考えていて、どこかに島か海を買ってそこでのんびりと暮すなどと想像していた。

 それにしても島はどこに売っているのか、そもそも誰が売りに出すのだろうと思っていた。国が土地の売却として島を売りに出すということが実際にあるんだなぁ。この島は昔軍の消毒施設があったので水銀汚染があるかもしれず売却が見送られていたとのことでちょっと物騒だ。島は480メートル×40メートルらしい。実際に見ると小さくてちょっと心もとない感じがする。瀬戸内というのも陸に包囲されている感じでちょっと気持ちが進まない。

 理想の島はどんな所にあってどんな風景なんだろう。
  

 


2009年12月12日3:12

寝るとリセットされるらしい  

  最近疲れる。疲れる場面に立ち会うことも多いし、今の事業そのものが不定形で発展途上なので疲れることも多い。自分の持つ病気は疲れを蓄積しやすいものであるということも本で読んだ。

 試験勉強をしていて、仕事が終わってからは疲れで頭が働かないことがわかる。本当に朝がいいんだな、と実感したのは初めてだ。朝は「起きられないと終わり」という現実もあり、暗い夜中に覚えた方がイメージが広がるという先入観もあり。学生の頃は朝型がいいというのは大人の迷信だと思っていた。何か教訓めいていて、夜更かしをたしなめる大人のお説教みたいなものだと思っていた。

 実際に疲れの中でわかってきたことは、朝でなくても、眠った後はとても頭がクリアで物事がよく見え、問題解決も想像以上にスムーズにいくことが多いこと。疲れとストレスによって、気持の持ちようも違っているのだろう。夜、気持ちが行き詰まり突破口が開けないことが時々ある。いつだったか、研究者が、眠った後がいいので、一日に何度も昼寝をしていると本で書いていた。自由業は気ままだなと思って見過ごしたが、あり得ることかもしれない。

 この間テレビで見たポアンカレ定理を解こうと必死になっている相当高齢の外国の数学者がマシンで走ってトレーニングしていたが、何か未知の状況に立ち向かう時には、それが人間の限界に近いものであればなおさら、そこまで体と頭をシビアにオンにするのだろうな。短時間でも寝るとリセットされるらしい。これはとても楽になれる方法の発見。
  

 


2009年12月12日3:20

細胞が生まれ変わるような不安感  

 

  この間、仕事で会社を訪問し、久しぶりにストレートに不快な感じを受けて、その後に気持ちが落ち着かなかった。自分自身の中でしっくりこない感じがあり、その上いろんな形で無防備な時期だったのか、今までの自分の同一性に確信が持ていない感じで、不安だった。まったく何もない状態で世の中のいろんなことに対峙しなければならないような不安感。自分が無防備であることの中で、何か新しく自分が組み換わりつつあるのかもしれないなと思ったのだが、とても不安だった。その頃は時間もなく書くこともできず、仕事もプライベートも課題は山積みになり、勉強の見通しもたたず、自分を振り返ったり確かめる時間もなかった時期。今日は週末で、やりのこしたこともたくさんあるけれど、気持ちは少し解放されているのか調子が良い。

 

 


2009年12月13日01:38

物に関心がないはずの私が今日買った物  

 

 休みなのに仕事に行った。来週に主催する研修や、監査や、不快な企業交渉や、広報の打ち合わせや事業説明の会議等、普通に盛りだくさんの仕事がある。

 週末に、「あと3時間位あればすっきりするかな」という時間切れ状態だった。休日は、電話が鳴らないのと人がいないのとで、集中できる。この間、同じような状態で仕事を解決せずに土曜日を過ごしたら、気になってストレスフルで、土曜日がつまらなかった。結局、日曜の午後から夜遅くにかけて仕事に行くことになった。

 今週は、充実した日曜日を過ごすために、今日ある程度目途を立てておく必要があった。そんな訳で仕事に行き、完成はしなかったものの、手をつけたことで気持ちがすっきりした。パレートの法則で、重要な3割に手をつけた時には全体の7割が既に終わっているという気分だろう。解放感もあり、機嫌良く夜の街に。

 
  今までの買いものと違うのは、本当に必要なのかを吟味して、必要な物を必要な数だけ買うということ。以前は選ぶのが面倒なので数種類買ってしまったりという、無駄な買い方をすることもあった。ちゃんと考えて選ぶというのは、楽しいことなのかもしれない。そして、買わないというのも、自分でした選択なので、楽しいことなのかもしれないな。

 自分の中で「OK」と「ダメ」の基準があって、どうやら何かを作るための道具と直すための道具はOKらしい。毎日使うものもOK。今日はいろいろ考えて買いに行ったからか、OKの物がいくつもあったので、なんだかちょっと満足な感じがする。そして不要な物を買わなかったということで、それも満足だったりする。
 

 

 
2009年12月14日3:10

マインドマップの本  

 

  昼寝をしたら夜眠れない。 


 少しマインドマップの本を読んでみた。読み流しているので、結局描き方は正確にはよくわからない。最初の方には、脳の中の細胞のつながり方のことが書いてあった。一つの刺激に対して、中心となる脳細胞から花火のように放射状に物質がパって広がって、細胞繊維同士がくっついたり離れたりを繰り返しているらしい。そうか、思考というのは直線的ではないのだな。そして、神経刺激の伝達経路は一つの回路を直線的に進むのではなくて放射状に連鎖的に伝わるらしい。どうりで何かを考えると余計なほかのことも連想するし、唐突に関係ないことがつながったり思いついたりするわけだな。そのパッと明滅する立体の光のような感じが印象に残った。

 そしてそんな自分の頭の中の様子を想像しながら過ごすと、ジムで動かしている筋肉を意識しながらトレーニングするとそこが効果的に発達するみたいに、何か小さな異変が起きそうな気がする。

 面白いのは、言語や思考ではなくて、小川のせせらぎや森の中に入った時で、あらゆる感覚が総動員されて、いろんな部分の細胞が一斉に明滅するらしい。解釈しようとしているのではなくて、刺激されるという感覚に近いのだろう。自然に反応するらしい。それはなんだか体に良さそうだ。 
  マインドマップというのは、その放射状の思考を紙に描くことで可視化する方法らしい。そして具体的な方法として、自然な脳の働きに近い形で思考するために放射状の線を手書きでリズムをつけて描いたり、必ずたくさんの色と絵を使って描くらしい。「脳細胞の形が放射状」だから「放射状に描く」というのはどうも同じではない気はする、何かすり替えているような気がするが…そして思考は言語ではなくて、もっと感覚的なもののように感じるので、脳細胞個々はは単語の意味として存在していないのではないかと思うけど…まあその辺は深く追求しないでおくか。 


  私が思っていたツリー上の論理思考パターンではなくて、もっと感覚的な連想と、原始的な反応に近い言語操作のようだ。雑誌のマインドマップの特集を見てみると、マインドマップ的だが違うものの例があった。世の中の多くは、形だけ真似て違う使い方になっているようだ。KJ方と同じで、考案者の言うようにやろうとすれば、一度ちゃんとルールをまもってやってみないといけない。手描きに意味があることも、普段自分でやっている図化から想像がつく。パソコンでやってみる前に手描きでやってみた方が良いのだろうな。 


  どうもあの色と形が好きになれないのだが、枝の描き方はルールらしいので仕方がないのかな。それと、線がマジックで描かれているのが、色がどぎつくて好きになれない。色と刺激が強い方がいいからなのだろう。

 私の中の違和感はなんでかなぁと思っていたが、あれはアメリカ人が考えたからああなっているのかもしれない。アメリカの漫画のデリカシーのない太い線に似ている気がする。その辺は勝手にアレンジしていいのだろうけどな。急いでやる必要もないので、暇があったら試してみよう。 


  そうそう、そんな自分の頭の中の放射状の反応のことを想像しながら夕方うとうとしていたら、かなり奇妙なストーリーの夢を見た。どこかの山の近くの旅館にいるらしい。昼間、乾いた土埃の立つ石灰岩質の山道を歩いていた。そこから遠くに見える尾根に、小さい谷を経てショートカットして行けると思った。それで実際に尾根を下りようとすると、その角度がものすごく急で、とても降りられそうにはなかった。壁のような土の坂だった。そう思ううちに、アメリカ人のような人はそこから降りようとして、小さいせり出した崖の土と一緒に滑り落ちて行った。まぁ外国人だし何とかできるのだろうと思った。

 その後、尾根の際にある、多分6階建て位日本旅館のようなところにどうやら私は泊っているらしい。再び今度は、夜の窓から見た尾根にショートカットして登ろうとしているようだった。何か冷たいみぞれ交じりの雨が降っているような夜の空で、遠くに尾根が見える。尾根の付け根のある6階あたりにある部屋まで行って見てみようと思う。けれども、最上階のその部屋はおじいさんが既に使っているので入れず、窓から眺めている。

 その後、木の階段を下りていくと広い温泉施設のようなものがあり、そこにはどういう訳か同じ組織で仕事をしている人が、早朝3時ころなのに、他の知らない誰かと温泉につかっている。それでその人に尾根のことを聞いてみると、少し厳しい口調で行き方を教えてくれた。どうやらその人は山登りに詳しいらしく、この辺りにも来たことがあるようだった。ただしその尾根は地元のたくさんのおばさんだけが行くこと、そしてそこはもちろんポキリ草(そう)という山草(山菜)を取ることが目的で行くので、空のリュックを持っていくのは当然でしょうねと、その知り合いの人は教えてくれた。夜眠れないので私は旅館の中を歩いているのだということを説明して、じゃあ明日明るくなったら行ってみようかなとあまり気が進まない感じで考えていた。 


  あの時々登場する旅館のような所はいったいどこなんだろう。それと夢の中のあの生温かい感じはいったい何かな。悪い気分ではないのだけど、なんとなく起きてから気持がざわざわする。もう一度思い出してみようと、一度目が覚めてからまた横になって目をつぶってみた。でも夢の続きは見ることはできなかった。

 


  
2009年12月19日3:25

激しい一週間  

  

 激しい一週間だった。監査やシビアな状況にある企業に行くことや、その他諸々。時間に余裕がない中で、何回か仕事が深夜に及ぶことがあったけれど、自分の中では予定通りという面もあり、ひとつずつを確実にこなしていきはした。予定の範疇の中にあったイベント。 

 ただ、企業提案は閉塞状況に対して答えが見えていない中で作らなければならないのでその緊張感と、前回対応が不快なものだったので、訪問するのにストレスを感じた。それを救ったのはチームで当たる他機関の職員とストレスを共有することで分散化できたこと。考えられる限りのことをシンプルに明解に詳細に紙に書き出して、それで自分の中の準備は済んだ。その場のみの反応で不平を言う社員集団に対して、私は十時間以上かけて課題一点集中の対策を練って、さらにチームで検討して持ち込んでいる訳だから負ける訳はない。そしてこの前は緊張により饒舌で弱みをさらしたので、今回は紙で言い切っていることもあり、相手の姿を黙って冷めた目で眺めていた。そんな一週間の最終日の闘い。 


 監査は、監査というよりは事業の進捗を委託元に説明する趣旨に近かったため、6時間かけて説明した。どういう訳かその人に対して、私の言葉はとても落ち着いていて、丁寧で、説明に切れがあった。ゆっくり正確に、かつ流れるように話すことができていた。自分の中で十分に準備をしていたのもある。事業の中の課題や雰囲気を含めて、相当正確なニュアンスを伝えたと思う。

 その中で、終ってからの雑談で言われたのは、私の長い目で見てどのような人であっても育成するというスタンスが、年齢の割に特異であること。なぜそのような気持ちと仕事の仕方でいられるのかと。その女性担当者は、自分と同年齢の私を想像して、自分と比較することをしてみているようだった。私のあり方は何でだろうね。 


 二つの準備の中で、新たにいくつものことに気付いた。いろんなヒントが日常の中に転がっているのかもしれない。そんないくつかをノートに書き出してみた。週末の最後の仕事は、作業中に使った保存の必要のない書類をフォルダから抜き出してシュレッダーにかけること。仕事が一段落したから。これが結構気持ちがいい。目の前から存在を消すというすっきり感がいい。そして来週に残したことを手帳に書き出して終わり。

 このまとめと来週の自分へのメモを残して気持ちの区切りをつけられると、すっきりした土日が過ごせるのだろうな。少し手間だけどやった方がいいのだろうな。頭の中のメモリをクリアにする感じになる。 

 


  
2009年12月19日3:35

マインドマップの準備  

  始める前に気付いてしまったことがいくつかある。確かに自分の中の思考過程を考えてみると、文章ではなくて単語に近い感覚的な触発が先にあって、それを文章化する作業をしている。だからこの方法は、それを可視化する点で効果があるのかもしれない。

 一方で、マインドマップが平面であるのに、実際の脳細胞は立体であること。脳細胞を模するのであればこれはおかしい。更には40年に渡り様々な科学により検証された手法とあるが、果たして使われていない脳を使うということができているかどうか。もし本当に検証するのであれば、この手法を使っている状態で脳は検査をすればよいだろうに、それをしていないという点が怪しい。手法が脳細胞の形に似た図を描くことから、脳の思考を模しているというイメージを連想させるが、ちょっとその点はごまかしがある気がする。それでも別の面白さはあるのだろうからちょっとやってみるが。 
 それと今テキストを暗記する作業をしていて、その中では1科目を1枚の一覧性のある紙に書く方法をそろそろするつもりだったので、少しマインドマップの要素を入れてみよう。

 


2009年12月19日3:35

眠った、そして勉強 

  土曜日、丸一日眠っていた。病気になる前の数カ月間の土日のよう。なんでこんなに眠れるのかというほど、いくらでも眠れる。それだけ、先週が忙しくて疲れていたんだな。

 金曜日の携帯電話についている万歩計は16.5㎞の歩行を記録していた。歩いた距離だけでも、相当な運動量か。最近は、休日に眠ってしまうと後悔もあるのだが、今回は仕方ない感じ。よく寝たーっていう感じだった。それで、仕方なく日曜は昼から勉強をして過ごした。そろそろ試験40日前。眠っている場合ではないのだった。

 
 勉強を始めてから、以前のようにコンスタントに毎日数時間続けることはできなくて、途切れ途切れに勉強している。参考書を3クール読んで、問題集形式の参考書を3回位通してやったか。

 そしてインプットばかりでは限界を感じて、前に受けた模擬試験の問題をもう一度解いてみる。前回72%だった正解率が82%まで上がっている。多少の進歩があるのかな。

 そして、今日は3科目分のマップを作った。各科目の内容が重複していて全体像が見えないので、一覧にしてみた。それと、参考書でわからなかった所をまとめて全部調べてみた。残り2科目は固定的な専門知識と技術に関するものなので、時系列などは関係なしに丸暗記した方が良いようだ。うーん、明日からどうするかな。
  

 


2009年12月22日2:35

覚えられなくなってきた

 
 何度も参考書や問題集を読み、覚え残している所が絞り込まれてきているのだけれど、そろそろ覚えられなくなってきた。これまで覚えた部分は、自分の中のすでにある何かと結びついて覚えたり、暗記というよりは既に常識に近い感じになっていること。そして、残されてきている部分は、無理矢理機械的に暗記するようなこと。その一つ一つを詳しく調べて意味づけして覚えるのが一番確実なんだろうけど、いまそれをやる時間的余裕があるかどうか。間に合う自信がない。仕方なく丸暗記するかな。覚えられないページだけ縮小コピーして、必殺暗記本のようなものを作った。さらに、今日は1科目のマップを作った。年末年始までで、どこまでいけるかなぁ。

 

 

 

2009年12月26日3:44

落ち着かない  

 気持ちが、ざわざわと落ち着かない。ここ10日間位のことか。

 だから、うまく書けない。書こうと思ってこの画面を開いて書けずに閉じる、を繰り返す。

 理由はわからない。そんな時は眠りも浅い。

 そして、休日は、ずっと寝ていた。発病した時に似ている。

 この同じ季節を、乗り越えられるかどうか。
 

 

 

200912270:06 

気が重い 

 気持ちの問題ではなく、体が重い。ただそれだけなのかもしれない。それもよくわからず、金曜に、一人で遅めの昼食をとったファミリーレストランで手帳に書いてみた乱れた文字。気持ちの中に宙に浮いている気になっていることがあるのかもしれないと思った。

 気が重いアポや、複雑なスケジュールのやりくりや、2月にある大きなプレゼンの準備。そんなことがあるのかもしれないと書いてみたが、はっきりしなかった。それから、試験や、そのほかのこと。

 疲労がたまる時期なのか。季節の記憶もあるのかなと思った。職場に戻って、とりあえず、大きな引っかかっているであろうことを先にやって、そうやっていくつかをこなすと、後は自然に転がり出すことも何度もあったのでやってみた。

 気持ちの中で一段落したと、自分を納得させて、時間がぽっかり空いたように感じたので、以前途中までやった書類のファイリングと廃棄をした。前回相当量捨てたが、再び段ボール一個以上の捨てる書類が出た。それを無感情にシュレッダーにかける。

 自分の中で今やっていること、自分の中にあることが、以前と違ってきているように思う。それは今の事業が自分の中で形になっているということなのだろう。本当に残すものは、多分ファイルで数冊。現場で作ったノートや、書類で原本しか持っていないもの。それが将来形を結ぶであろうもの。それ以外は、「もし自分に何かがあったら廃棄可」と書くとすれば、大部分廃棄できるもの。自分の中で淘汰されて、残すものが少なくなっているように思う。

 その中で気付いたのは、発症で責任者を下りた職場の書類は、気持ちの中でも複雑な思いがあるのだということ。最後までやり遂げなかった割り切れなさや、残していたたくさんの課題、やろうとして計画したこと、終わりをはっきりと告げず、誰にも終わりを告げられずに静かに去った職場。その中で、初めて求められる役割と、立場の中で自分なりに格闘していた自分へのいとおしさと切なさ。そんな気持ちの残る書類は、一つにまとめた。思い出のアルバムみたいなもの。これも、いつか捨てる日が来るのかな。自分がそこにいた証拠みたいな書類の束。それでもすっきりせず、シュレッダーにゴミが一杯になって詰まったので、そのままにして帰った。

 
 この閉塞からどうやって抜けるか。この季節を越えるか。

 
 何も考えずに淡々と、感情を交えずに自らに課したタスクだけをこなすか。そういうときもあるのかもしれない。

  


2009年12月28日1:35

捨てる 
 忙しさの中で、あまりにも散らかっている身の回りを片づける。多いのは服。タンスやハンガーに、収まりきらない量があるのが問題。ならば、捨てればいい。また、袋一杯の服を捨てる。それでも多分、まだまだ多いのだと思う。

 ずいぶん前に、チラッと読んだ整理の本に書いてあった。「服は一番手しか登場しない」。確かにそうなんだ。一枚ということはないが、まず着ることがない服が、たくさんある。使えるものを捨てるのが悪、という気持ちがあって、保管してある。そうやって身動きがとれなくなるのなら、ごめんねと言って捨ててしまう方がすっきりする。持ち続ける物には責任が伴うから。サイズが大きくなってしまった服もそう。いつかまた太る時が来るかもしれない、と考えるのはナンセンス。やっぱり捨てよう。

 
 そして、色々なものが積み重なって天板が全く見えなくなっている机の上。これでは勉強できるわけない。壊れたノートPCの上に、職場から持ち帰ったノートPCをそのまま載せて、その上に本が積み上がり文房具が散乱し、その上で参考書を広げようとしていた。

 試験勉強をしなければならなくなると片づけを始めるみたいに、片づけをした。逃避というよりは、現実的な問題だから仕方ない。そうやって、机の上にスペースができた。机の上には、あまり捨てるものは載っていなかった。一応、必要な物や使っている物、気に入っている物が置かれる場所には、なっているようだ。書いたり思索できる机の上のスペースは、自分の場所という気がして気分がいい。これで暖房があって暖かかったりするとすごく良いのだが、暖房がない場所なので、厚着して足には膝かけを巻いている。

 


  
2009年12月28日1:50

勉強 行き詰まり 

 全科目を通して勉強する方法をとっているからかもしれないが、行き詰った感じがある。既に持っている知識と結びつくものや、内容を理解できるものは、暗記した項目というよりも、既に自分の中に当たり前にある概念のように身についてしまった。主だった年号や歴史上の出来事や理論なども同じ。そして、細かい各制度の内容等も、問題として問われれば答えられるものも多いのだと思う。

 そうやって勉強してくると、残されるのは科学的名称や、内容が良くわからなかったり似通っている理論の名前や項目、やたらと細かい制度の中にある数字、そして統計数や傾向性など。絞り込んで丸暗記するしかないような物が残されている。もう面倒くさいので、来週に試験をやってもらった方が良いのではないか、という感じだ。

 結局、参考書2冊をバラバラにして、線を引きながら覚えていって、既に通しで5回以上、更に何度か読みなおしている。どうしても覚えられない所をコピーして持ち歩き、電車の中でも読んで、それでも頭に入らない。ページの中に何行か覚えるべきことがあるというのも、気分的に絞り込めない。そして、部分はわかるが全体が見えないというような事態にもなってきた。そこで、全体のマップを作る。そうするとマップの各部分を覚えるのが何となくになるので、マップの部分について、覚える用のノートを作って、設問形式にしてみた。そして、その視点で全部の参考書をもう一度通してかなりの速さで読んでみて、うろ覚えの項目と細かい部分で不確かなところをリストアップし、更にそのページだけコピーを取った。あと、これだけを確かなものにすればいいというようなコピーの冊子とノートを作った。

 これをあと数日で覚えたら、もう一度、模試の問題と過去の問題をやってみる。それと事例問題の解き方のコツがあるのかどうかをやってみる。年末年始の休み中に、覚えるのはほぼ9割は終わるだろう。それで何割が解けるのか。

 とにかく休み中、寝て過ごさないようにしなければ。それが最大の問題かもしれない。

 


  
2009年12月29日3:06

仕事納め  
の「納める」という感じは、いいな。気持ちにも区切りをつける、という感じがいい。日本的な神とも関係があるのだろうな。

 新年に必要な連絡や調整作業を済ませてから、職場の大掃除をした。この間から一人でやっているので、そんなに多くはないのだけれど、段ボールや不要な封筒の束や、使わない以前の事業の大量のリーフレットなどを潔く処分した。それから、棚の上や机を拭いて、床にモップをかけて、台所の棚とガス代と流し台と床と冷蔵庫と壁と戸棚の扉とガラスを拭いた。それから、下駄箱の上と中を拭いて、たたきを拭いて、ドアを拭いた。

 なんだろう、愛着という言葉が当てはまるような、そんな感じ。義務でやっている他の男の職員とは違っていて、多分、私は、自分の居場所を作ろうとしているのかな。そしてその場所を大切にしたいと思って、あちこち拭いていたように思う。結局、4人いるのに、7割位を私がやる結果になった。

 

 そのあと、少し落ち着いた気持ちで、書類のファイリングと廃棄をする。ファイルは、複雑にすると自分でもその後の仕組みがわからなくなり、結局ファイリングされなくなるので、シンプルに分厚いファイルに分けた。

 大きくは会議、情報、名刺。そして、もう一つが、有用そうな資料を入れるファイル。自分にとって、今活きているか、今後何かが生まれるヒントになりそうな書類を入れるもの。題名が困った。みんなの目に触れる所に置いてあるものなので、「インスピレーション」などと書いてしまうと、みんなが手にとって見るだろうし。結局「使用中・保管」と無難な名前にした。

 もう一冊が年間計画と事業の構想の元になるファイルで、こちらも「事業構想」などと大々的な名前をつけるとやはり読まれると思うので、「年間計画」とした。それから薄いファイルにも全部題名をつけて、最後にテプラで題名を印字して貼り、しまった。

 ずいぶんと少なく、そしてきれいにならんだ。必要な書類はすぐ出てきそう。あまりにも少ないとちょっと不安な感じになるが、それが本当なのだろう。たくさん雑然と蓄えていることで安心していたんだと思う。

 それから、現在懸案中の書類を入れるフォルダを入れているボックスファイルを、3つに分ける。そして、今までそれらは机の上にあったのだが、それを自分の席の後ろにある棚に移す。毎日目の前に置いておく必要はないのだと思った。最終的には、目の前にボックスファイルが1つ。その中にあるのが、来月の初めに取り組むこと。それらをリストアップして一覧にして、今年の仕事を終わりにした。年が明けたら頭がぼーっとしているのだろうから、やることが書き出してあってそれに従って動けばいいと、自分に指示を出しておく。 
 

 とにかく、他にどうにもしようのない感じで過ごしてきた一年だった。4人の職員で40人の派遣を回し、派遣先は約250人。それに関連する機関や企業の人たち。おそらく事業にかかわった人だけで、一年間で1000人は越えているだろう。それに事業説明でかかわった人が、更に1000人位か。

 肝心な本質的な部分だけを見失わないように。それだけを大切にしてきて、結果が少しずつ実り始めている。だからよかったのかもしれない。そして一年経って、まだ自分の足で立てていること、これは最大限の成果。その他、事業関連で様々なノウハウを積み上げてきている。これは無形の財産。少しずつこれを形として表現し始めている。つまづきながら進んできた一年だったけれど、ひとまず良しとしよう。
 

 

 
2009年12月29日3:08

そして6連休  

 勉強する6日間にする予定。だが、ちょっと遊んでしまいそう。さっそく携帯電話を買いに行こうか、などと考えたりしている。とにかく、何か買い物がしたくてしょうがない。一日がんばったら、ご褒美に夕方買い物に行くとか。

 

 


20091231日 2:32

削除

 携帯電話の手続きに時間がかかった経験が多くて、どうも面倒で嫌。パッとお金払って、すぐに手渡してもらえればいいのに。携帯電話というは、そもそも水に濡れて壊れたり、バッテリーが駄目になってすぐに電源が切れるようになったり、塗装がはがれてボロボロになったりと、製品として不完全な物を作っているくせに、という思いが私の気持ちのどこかにあり、その上、最近ではずいぶん高い値段をつけている。

 そんな条件で、カウンターにたどりつく順番で1時間以上待ったり、手続きを始めてからも何度も同じような確認をしたりで、とても不快。そして私は、物を目の前にしてずっと待たされると、「そんなにこれが欲しいのかい?」と言われているような気分になり、「いらない」と言ってしまいたくなる。何だかんだいっても、ただの電話機でしょう。機能だって大差ないくせに。 
 そんなんで、今の携帯電話はまだ動くし、今どうしても新しい携帯電話が欲しいとか、新しい機種に魅力を感じるということが全然ないのもあり、ドコモの店にバッテリーを買いに行って済ませることにした。以前買ったときに大体7千円位だった。電話機を数万出して買うよりもいいかと。そうしたら、1年半前にバッテリーを無料で交換してもらったにもかかわらず、再び無料で交換してくれるというので、そりゃそうだろう電池切れて使えなくなる製品がいけないんだから、と思いつつ、結局それも20分以上待ったんだけど、電池交換をして済ませた。 
 これで今の電話は、再び1年くらいは生き延びることになった。今4年目位。どこまで減価償却期間を過ぎて使い続けられるか。

 

 


2009年12月29日3:15

PC修復の最後の手段 

  PCの雑誌を眺めていたら、HDDの置換が載っていた。これが最後の手段か。今そんなことをしている場合ではないのだが、HDDSDDに載せ替える方法が載っていた。1万円台と意外と安い。これをいつかやってみるか。 
 

試験が終わったらやること 
PCの修理 
・バイクの処分 
 ずっと動かしていない車検切れのバイクをなんとなしなければ。今日べスパの50CCのバイクを見た。とてもきれいなライン。珍しく見とれた。ああいうのか、オフロードバイクに乗りたい 
・乗っていない自転車をなんとかする 
・ピアノを買って練習を始める 
・手話の勉強をする 
・様々な支払いと手続き関係を整理して無駄を省く 
 たとえば現在使用休止中のモバイルPC用のエッヂを解約するとか 
・車を買う(4月1日以前に買い替えなければならない) 
・英語の勉強をする 
・次の目標を考える 
・再びプールに通う 
・もう一度色々なことを考えてみる 
 

などと書いているのだけれど、実は試験が終わったらかなり忙しい日々が続く予定になっているのだった。思い描くの自由なのでいいか。

 

 

  

200912302:28 

2月の予定 

  研修事業2日間が2セットと、学校での講義が15時間。15時間分の講義内容を考えるというのも、ちょっと大変かな。去年もやったけど。これが試験が終わったらどっとやってくるので、1月中に計画的に準備をしておかないといけない。

 そろそろ年間ダイアリーが登場するかもしれない。これは蛇腹式のダイアリーで、プロジェクトの進捗を書けるようになっている。これを使うと、時間の視野と仕事の仕方がどう変わるかな。その変化に期待している。
  

 


2009年12月31日2:59

年末の日々 

 とりあえず、毎日5~6時間は勉強している。ほんとうはこれでは短すぎると思うのだけど、飽きてしまうので仕方ない。集中すると、周りの音がほとんど聞こえないくらいに気にならなくなる。気付くと3時間位経っている。あ、ファミリーレストランで勉強することが多いので、周りに音がしている訳ですね。そういう集中力が、たまに出ることがあり、それはそれで気持ちが良い。あれはいったい脳はどういう状態になっているのだろう。そして、時々だけできるのはなぜなんだろう。年の終りの日と初めの日も勉強しよう。特別な感じを出すのをやめよう。

 


  
2009年12月31日23:02

今年のふりかえり  

 毎年、おおみそかにふりかえりの日記を書いている。 
 

 一昨年、多分新しい場所に責任者として行くことに期待と緊張のおおみそかを送っていたに違いない。気負いと、最大限の準備と。そして、次々と起こる予想外の出来事に打ちのめされて、最後は倒れた。 


 去年、病気に始まりそこから這い上がって立ち上がり、冬になって自分の居場所を再び作ろうとしていた。 

 

 今年、がむしゃらに走ってきたけど、病気を通して何かが淘汰されて、力が抜けていたような気がする。自分の踏み出す次の一歩、その足元をちゃんと見つめていた。だからそれでいい。いいんだ。よくやった。

 
 新しい年も、この豊かな気持ちで過ごせるといいな。そんな一年にする。気負ったり構えたりするのはやめよう。 


 いつか見た、深い碧い海を悠然と泳ぐエイのように、ありたい。

 

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