よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2010年1月]資格試験

2010年1月2日4:33

10時間くらい勉強した

 これが10時間暗記していたのだったらすごいのだけれど、いろいろと調べ物をしていた。

 登場する色々な政策や用語が何を指しているのか、今一つわからないものがある。それを丸ごと覚えるのが暗記なのだろうが、学生の頃と違って丸暗記ができにくくなっている。それで仕方なく調べたりしながら理解して覚えたり、調べたことでエピソードで記憶する方法を最後は取らざるを得なくなった。

 11、12月は丸暗記をしていたのだけれど、限界、という感じ。そして、やってみたら面白いのが図に描くこと。出てきた単語の意味がわからなくて、調べていたら図を書き始めてしまい、なるほどと思いながら色を塗り始めたり。放っておくとずっとどこまでもやっていそうなので途中で切り上げたけれど。

 その源流となっている外国の流れなんかを本当に理解したら面白いだろうな。まじめに教科書を全部読み直したら、奥が深くて面白いんだろうな。関連する図書の原書を読んだら、更に面白いに違いない。でもそれは試験が終わってからにしよう。外国のいろんな学者や実践者が、100年も前から今でも変わらない手法や考え方を既に考え、作り出しているので感心する。少し落ち着いたら、じっくりと考えてみたいキーワードを、書き出してみたい。

 

 

 


2010年1月2日4:39

1週間の勉強

 どうしても覚えにくいことを、1冊の小さいノートに書き出していた。それを年内中に終わらせて、多分、書いた時点で相当覚えているので、それらを覚えるのは1週間もかからないと思う。その後、もう一度、この間受けなかった模擬試験の問題を解いてみようと思っていた。

 このノート作りに1週間位かかった。マジックでできるだけ大きな字で書くようにした。本当はノート作りはしない方がいい。書いている間に10回読めばいいから。ただ、ある程度覚えてくると、残りの部分を厳密に覚える必要があり、自分にとって曖昧なキーワードや数字や流れだけ、書き出して覚えたかった。結局、ノートのページはほとんど埋まってしまった。やってみてわかったのは、理解していないと書けない、ということだった。だから、書くことそのものにも意味があるのだと思う。それと、流れを書いたり図や表にすることで、構造ごと頭に入れようとしている。なかなか覚えられないことは、全体構造が見えていないか、エピソードが全くない自分にとって、手がかりのない項目のようだ。一応、先ほどノートはほぼ作り終わったので、これを数日で覚えてしまおう。
 

 

 

 
2010年1月2日4:46

おおみそかにやっていたこと

 夜になって、手帳を何とかしなければと思い、加工していた。今まで試しに使っていた自作の手帳の形を、ちゃんと整えようとしていた。

 最近は、重い手帳をやめて、革のブックカバーにA5のバインダーを挟みこんで、数日分の予定表を持ち歩ていた。長期の予定は、3か月分の手帳のカレンダーをコピーして2穴のパンチをして、カバーにつけた金具に挟み込んで止めていた。

 これを、バタバタと動かないように、革表紙に加工してホックをつけて止めたり、筆記用具を挟めるようにした。最初にホックをつけようとして、道具を使って打ちつけたら、金具を間違えてセットしたらしく、手帳の表紙に直径1センチの穴をあけてしまった。これはかなりガックリした。仕方なく補修用の革を作り、それを縫い付けて穴をふさぐことになった。ホックの付け方がわかったので、調子にのりたくさんホックをつけてしまった。

 更に、南京玉すだれ状態になる蛇腹の手帳にも、革にホックをつけてバラバラにならないように加工した。正月の間に、年間カレンダーを記入してみよう。

 

 

  
2010年1月4日1:25

マイ・ルール
 年末に、机の上を徹底的に片づけて、ファイリングの仕組みを作った。簡単にいうと、書類を机の上に置かないということ。常に、併行してだいたい30くらいの案件が同時進行している。これを紙のフォルダに見出しをつけてボックスに入れる、というのはやっていたけれど、もっと徹底しなければだめなんだろうと思った。自分なりの仕事の仕方の決まりを作る。今日やるフォルダ以外は机の上に置かないで、自分の後ろの棚にあるボックスに入れる。机の上のボックスに立てて入れてあるのは、今日やることだけ。ボックスがきれいに片付いたら、今日はおしまい。

 
 新しい手帳にスケジュールを記入しようとして、これもまた、マイルールを決めなければ、と考えた。今までの普通のひと月一枚カレンダーの書式と違って、二週間ごとが見開きで、カレンダーは蛇腹で、一年分横につながっている。その時間軸の下に、JOBごとの進捗を書けるように、横にずーっと罫線がつながっている。書けるJOB数は13列。

 書式が変わると考え方そのものを変える必要があり、これをどうしたものか。そして多分、この横罫は、自分の仕事のつかみ方のパターンに一致していた方が良いのだと思う。例えば、12月に、仕事の合間に喫茶店で休憩しながら考えた時には、私の仕事の位置づけととらえ方は、大きく4つの枠組みで整理された。

 一番外が仕事以外のものを含む枠組みで、何かに向かうプロセスだけではなくて、時間そのものを享受し堪能するということも含んだありかた。

 その内側に、なりたい自分のイメージの枠組みがあり、その中に仕事が位置づけられる。仕事は、数年先までの長期的視点での経営が大枠にあり、その中に、月から週単位のタスクがある。

 そして、私にとってストレスの要因となり得る、企業との折衝や、初めての人と会うこと、大人数の前でのプレゼン等がそこには含まれる。

 今までの問題点は、一番小さい枠組みのタスクに対して、対処的になりすぎる傾向があることだと思う。それと、ストレッサーをはっきりととらえて、どう対応するかの準備を早くから整えないこと。そして、もっと大きな課題は、日々のタスクそのものが、大きな枠組みの中で意識されていないことだと思う。今、なんのためにこれをやっているのか。その枠組みは、当然一番大きな枠組みまでを含むのだろうと思う。そう考えて手帳の書式を見る時、少なくとも数年先までのイメージにもとづく取り組み欄があった方が良いし、可能ならば、自らのありたい姿についても含まれる方が良いはず。そんな風に考えながら、手帳の書式を夜のファミリーレストランで眺めていた。

 
 精神保健の分野では、疾患の要因となりえるストレスへの対処技法の一つとして、セルフ・インストラクション(自己教示)、セルフ・モニタリング(自己観察)、セルフ・コントラクト(自己契約)というのがある。

 精神疾患では、最終的には、自らが病状をコントロールする必要があり、そのための様々な手法がある。セルフコントラクトはもう少し考えるにしても、パターンの観察と明確化と自己観察は、これまでもやってきていて、もう少し整理すれば、楽になれるかもしれない。

 自己教示よりももっと狭い意味での、自らに指示を出すことや、自分でルールを決めてそれに従うことは、もしかして楽なのかもしれないと思う。脱いだ服を置くルールを決めて、棚なりカゴに明記しておけば、そのルールに従って動けばいいのだから。物の置き場所を決めておけば、そこに戻せばいいのだから。手帳を書くルールも書類の整理も睡眠も運動も、自分でできる範囲のルールを決めれば、楽かもしれない。

 

 


2010年1月4日1:34

年賀状

 今年は、勉強もあるので、自分からは書かないつもりでいた。ここ数年は、年賀状一つで人間関係がつながっていることができるのなら書こう、と思って、最大限書いてきた。職場をどんどん移るので、枚数が増えていく。病気をしてから、ちょっと人間関係も面倒になってしまって、それと病気をしたら離れて行った人たちというのもいて、まぁ仕方ないかと思っていた。 
 今年、本当に自分からは年賀状を書かなかった。返事も出すのをやめてしまおうかとも思ったが、やっぱり無視しているのも気が引けて、結局印刷されている葉書を買ってきて、一昨年くらいに自分で作った画像データを上から印刷し、父が前に暇に任せて作った石を彫った印を押して、短い言葉を書いて出した。年賀状だけで近況を知りあっている人がいるので、やっぱり必要かと思った。きっとあと数日の自分の予定が、年賀状の影響を受けるのだろうな。 
 それと、去年作った年賀状があまりにも良くできていて、それ以上のものはもう作れないとも思った。それは、海の写真をパソコンで加工して、イラストのようにしたもの。書いた文章に実感がこもっていた。その前の年は、革で作った車のオブジェをスキャンして、デニムとタオル生地をスキャンして作った海と砂浜と太陽の前に車を置いた。印刷すると出来は今一つな感じもあるが、革で作った車のオブジェは、気に入っている。 
 今年はまあいいか。義理を果たしたかな。
 

 

 

 
2010年1月4日1:38

勉強
 

 一日十時間やった日もあれば、寝ていて全くやらなかった日もあった。ムラがあり過ぎだった。

一応ひととおりテキストをなぞってやったのと、残り覚える事項がノートに抽出できたので、あとは①それを電車の中も含め覚えるのと、②模擬試験問題2つをやるのと、③自分で調べてプリントアウトした関連資料に目を通すのと、④過去問をざっと読む。それと⑤手をつけていない事例問題の解き方の特徴があるのかどうかをやってみる。

 既に試験まで1カ月を切っている、と今カレンダーを見ていて気付いたりして…。計画的にやろう。

 

 

 

  
2010年1月5日2:08

破魔矢
 
 昼に外にご飯を食べに行った。今日は、近辺のビルのサラリーマンたちも、外回りや出張もなく、きっと、会社で全員顔を合わせての仕事始めなのだろう。多分地域内の日中人口は、今日一日はいつもより何割も多くて、その分だけ松屋吉野家も立ち食いそばも行列が長かった。私は、一番空いていたカレー屋で、ポークカレーチーズトッピングを食べた。 
 そして、その後、なんとなく普段よりのんびりした雰囲気の町を歩いていて、仕事場のあるビルの隣の神社の参道まで来たので、お参りをして行くことにした。さい銭箱に5円を投げ込んで、思いっきり大きな音で拍手をして、仕事場の安全を祈った。そして、小さい売店破魔矢を買って帰った。 

 病気になる前の年に、職場で色々な出来事が続き、責任者である私がお祓いをしてきた方がいいのではないかと、冗談半分で言われていた。そうやって何か気持ちの上で止める方法が欲しいくらいに、みんな消耗していた。そして、その年が終り、明けた正月に、私は本当に身代わり不動尊にお祓いに行ったのだった。そのあと10日もしないうちに病気を発症して、歩けなくなった。お祓いの効果がなかったのかとも思うが、気持ちの中では、致命的な病気でなかったのは、お祓いをしていたかもしれないという収め方である。 
 職場という場所は、人が集まり、そこにはいろんな思いとかストレスとか人間関係が交錯し、その上、そこを思いを残しながら去っていた人などもいる。だからこそ、何か気持ちの上で停滞を流し、澱を切っていくようなものが必要なのではないかという気がする。禊ぎという言葉に近い何か。そのことで、自分の気持ちの中の何かが整理される気がする。そんな気持ちもあって破魔矢を買って帰った。あの形と潔い名前が、いかにも悪いものを遠ざける感じがすると、前から思っていた。
が育った家にも、一切信仰らしいものをもたなかったにもかかわらず、破魔矢だけは毎年新しくなり、鴨居の上に飾られていた。

 それと、私の中では、年末の大掃除辺りから、場所への愛着感が生まれつつある。私の場所と、そこにいる人を守ろうという気持ちの表現は、そこにいる人にも伝わるのではないかとも思う。ついでに言えば、大抵は責任者というのは、そういう意味のない他の人がやらないようなことをやる存在だったりもする。ゴミを拾ってみたり、植木の手入れをしてみたりとか、唐突に職員にお土産のシュークリームを20個買ってきたりとか。どれも突然思いついたようにやるので、周りはどう反応して良いのか迷うことも多いのだが。 
 まあ、そんな風にして、私の今年の仕事は始まった。

 

 

 


2010年1月7日1:42

結論の先延ばしは自分の未来にゴミを捨てているようなものだ
 
 そんな言葉が、最近少し読んだ片づけの本に書いてあった。自身が片づけられない人であった(ある)外国人の著者が、どうやってそれを変えていったかを書いている。いつか使うかもしれないものとか、いつか切りきをしようと思って取ってある新聞の山とかそんなものをどうするかということ。そしてその著者は机の上も自分の予定も家も生活も全部同じだと。

 考えを寝かせるやりかたもある。一方で、明日になったら考えようということは、今考えても概ね結論に変わりはないことも多く、気持ちの逃げで保留にしてしまうなら、やってしまうか、やらないと決めるか、どちらかにした方がいいと言う。

 昨年末から考えている仕事の前倒しと、ストレスを受けずに仕事をどうしたらいいかということもあって、年が明けてからは逃げずに前向きに一歩踏み出す仕事をしている。そのことが、少し噛み合っている。逃げずに向き合った分だけ答えが出ているように思う。これを崩さず、気持ちで負荷を追うのではなく事実を見据えたい。
 

 

 

 
2010年1月7日1:48

記憶力が落ちた
 
 記憶力が落ちているような気がする。記憶力というよりは暗記力。無意味なものを、丸ごと暗記することができなくなっている。それと、一度は理解したことや覚えたと思っていることを、短い間に忘れてしまっている自分に気づく。試験勉強をする必要性からいうと、困ったことだ。仕方なく、付加的に調べてエピソードとして覚えたり、視覚的に図示して覚えたりしている。あと20日くらいで、どこまでいくか。それと、寝ないと記憶は定着しないらしいとい。仕事の疲労感は短時間眠ると取れること、十分に寝て起きた後はとても能率がよいことなどがわかってきた。かといって、朝早く起きるのは難しそうではある。寝坊したらおしまいなので、緊張で眠りが浅くなるか、毎日寝坊して、結局、ただの睡眠が十分な人になるのではないかな。それはちょっと困るな。

 

 

 

  
2010年1月12日2:24

びっくりした
 
 試験勉強をやっている。今日、勉強をしていたファミリーレストランで、勉強がひと段落して、何となくテキストを眺めていた。すると… 
 一科目なかった。 


 びっくりした。私は、参考書を、重いので真中から真っ二つに切って使っている。後半は事例問題なので、試験直前に見ればよいかと思って、全く見ていなかった。前半が各科目の問題と解説。真っ二つにするページを間違えて、1科目分が、使っていない後半部分にくっついていた。目次を見ていて気付いたのだった。あぶなかった。前日とかじゃなくてよかった。 
 それで夜になって少し焦りながらその科目70ページ分、問題35ページと解説35ページをやったのだった。ほんとうだったら、昼間に7時間くらい勉強したので、夜は適当に楽しくやるつもりだったが、結局それから5時間くらい勉強することになり、合計12時間勉強した一日だった。 
 あぁびっくりした。
  

 

 


2010年1月13日2:03

飽きてきた
 
 だんだん勉強に飽きてきた。昨日慌てて勉強をし、ちょっと尋常ではない集中力と危機感というのを短時間感じたら、やっと、試験が近いということが、感覚的につかめたように思う。そんなこともあって、無駄に時間を過ごすことはなくなっているのだが、いい加減暗記に疲れてきた。今週末くらいにテストをやってもらえると、気持ちも早く解放されるだろうに。この状態で2週間以上を過ごすのはとても疲れるし、健康に良くない気がするぞ。 
 そして、次に何をするのかを考えてみたり。ちょっと資格試験はコリゴリな感じなので、しばらくはこういうのはやめにしようかと思う。これだけの時間を継続して何かに使えるのであれば、楽しんでやれることならずいぶん身につくだろうに。

 
 何をしようと思って、今思いつくのは、ピアノと英語。英語は、次の何かの準備。勉強をしていて、外国の人の考えや理論のほんの一端に触れて、外国の文献を直接読んでみたいなぁと思う。英語が世界の中心の言葉なのだから、日本とは比較にならない数の本があるんだろうなぁ。いろんなことを、世界のいろんな人が思いついているに違いない。それと、ピアノはもうそろそろ始めてみたい。ずっと気になっているのだから、やってみて、向いていないようならやめればいいかと思う。その他やらなければならないこまごまとしたことはたくさんあるけれど、何か、これだけはやりたいということは、他の忙しさに負けて譲らずに、やりたいと思う。
 

 

 

 
2010年1月14日2:37

消えちゃった
 
 昨日、さくらや全店閉鎖についてと、スズキ自動車とフォルクスワーゲンの合併の日記を書いたが消えてしまった。前半が暗くて後半が久しぶりに前向きな感じの文章だったので、ちょっと残念。また気が向いたら書くか。

 

 

 


2010年1月14日2:59

模擬試験とアイロンがけ
 
 夜、ファミリーレストランで、前に欠席した模擬試験の問題をやってみた。結果は72%。合格圏内ではあるのだが、前半の問題が予期せずできなくて、勉強した手ごたえを感じることができなかった。後半は事例問題なので、90%を超える正解率。やってみてわかったのは時間配分。予め各科目の問題数を数えてみて、前半3科目は各15分以内で合計45分、後半2科目は問題数が多いのと事例問題を含むので35分と45分で合計75分。合計120分。これにマークシートを塗る時間と見直す時間を入れて140分。前半3科目は、覚えているかどうかの問題なので、考え込むことは少なく1科目10分程度でできる。後半は、事例問題に意外と時間がかかり、事例問題の文章題1問(設問が3つ)に5分かかる。実際の試験の時は、何分経過していて残りが何科目だからペースが遅い、などということは、切羽詰まっていて計算できないだろうから、始めた時に、各科目の所に目標時刻を書いてしまうのがいいかもしれない。それと模擬試験を自分のペースでやったにもかかわらず、焦りがあるのか、始めたばかりのところでケアレスミスが3問あった。正しいものを選ぶ問題と誤ったものを選ぶ問題を、途中までは正しくやっていたのに、途中から○と×を取り違えて解いていた。これは本番ではもっとやりそうなので気をつけなければ。

 そして、これはファミレスでやったから起きたことではあるものの、注文したトンカツ定食ご飯大盛りがテーブルに運ばれてきたところで1問間違え、食べ終わって始めたところで2問間違えた。実際はあり得ないことだけれど、始めたばかりの所で間違えるのは、焦りとか集中の途切れがあるのだろうな。

 それから、正解をじっくりと眺めてみてわかったのは、解けなかった問題も、良く読むと解けるヒントが書いてあるということ。知っているはずの分野で解けない難解さがある場合には、それなりに解ける仕掛けがしてある。何でこんな問題を作ったんだ?何によって判断することを期待している設問なのかを考えると、解けることがあるようだ。そんな検証をしつつ、夜中に帰ってきた。 
  そ
の後、明日着る服のアイロンがけをして、これから眠る。ジーンズとスーツの中間的な服装がないのでどうしようかと思い、この間大掃除をしていたらタンスの底から掘り出されてきた、しわしわのジャケットにアイロンをかけてみた。そんなことをしている場合ではなく、早く寝た方がいい。昨日の夜から少し熱っぽく、今日はのどが痛かったのだった。これは風邪だ。
  

 

 

 


2010年1月16日2:12

眠ろう
 
 今週はよくがんばった。うん。 
毎日勉強もしたし、仕事も前向きにやりました。苦手な外回りの仕事も、逃げていても、何も解決せずに重い気持ちを持ち続けたまま過ごすことになるとわかってきたので、積極的に前倒しでやった。どれもまあまあの結果が出ている。

 特に今週の外回りは、シビアなケースばかりだった。次々と難しい問題を出されている感じ。そんな中でどんな解決策が見つかるかなというのが少し楽しみでもあった。これは不思議な感覚。こじれた会社に行くのでさえ、今日はどんなことを提示されて新たにどんな要素が加わるのかなと思っていた。 
 よくがんばり週末の解放感もあり疲れで感覚がマヒしているのもあり、高級ブランド店でビジネスバッグを買った。前の日記に写真を載せたやつ。何だか満足。職場に持ち帰ってからも、席の脇に置いたバッグに時々チラッと目をやってから、気持ちの中ではニヤニヤしている感じ。何でビジネスバッグかというと、リュックでなくても大丈夫になってきたから。仕方ないと、地味な色の黒とか茶色のリュックで企業に行っていたが、歩くのが大丈夫であれば、リュックである必要はない。ただでさえスーツに黒の登山靴で、どこか服装に抜いたところがある上に、リュックではねぇと思い始めていた。それと、シビアな外回りするのに、何か楽しみでもないととも思った。気に入ったカバン持っていけるのであれば、気持ちも少し楽になるかな。スーツは武装の意味もある服装だと思っているので、鞄は武器の一つかな。自分の気持ちの中での武器なんだけどね。そんな、ちょっと満足な週末だった。

 
 マヒすると、ちょっと恐ろしいことになる。ただでさえ高いバッグなのに、調子に乗ってもう一つショルダーバッグを買う寸前までいったのだった。革製品を丁寧に作るブランドなので、革の質感がとても気持ちいい。手にとってみたりしたらやっぱりいい。危うく、これも下さいと言うところだった。どうやって踏みとどまったかというと、もう一つ買ったら最初の鞄の楽しみが減ってしまうなと思ったのと、今は一つ目で大満足なので十分かなと。しばらくしてまたもう一つ買ったらもう一回満足するかもなと思った。そのバッグを売っている店が、都心のこれからも行かなければならないトラブルを起こしている会社の近くなので、その会社に行くのに、一つ楽しみのあることを付け加えてみたりしたらどうかな、とか思ったりして。しばらくまたいろいろ思い悩む楽しみもあっていいかな。結局私は買うまでの過程も楽しんでいるんだろうなぁ。 
 今日はこれで眠ろう。 
明日、太陽が傾き始める前に起きて、また勉強しよう。
  

 

 


2010年1月16日2:28

閉店
 
 カメラのさくらやが全店閉鎖になるというのを、インターネットのニュースで知った。経営悪化への措置という親会社の判断とのこと。親会社がベスト電器だというのも初めて知った。何か困る訳ではないが、気持ちの中では、がっかりなのだった。 


 私が中学生だった頃には、新宿西口ではさくらやカメラのドイヨドバシカメラが競い合っていた。当時はポイントカードというようなものもなく、製品の値段は、
店頭での店員との交渉によって決まっていた。陳列された商品の値札には、定価に斜めの赤線が引かれているか、値引きした価格が書かれているか、値引きした価格に赤線が引かれていた。赤線は更に値引き可を意味している。

 この値段をどこまで下げられるか。少ないお小遣いをためてカメラを買おうとしている私には、闘いの場だった。順に次々と回り、値引き価格をもらってそれを次の店に行って交渉材料にして、更に値引きを狙った。当時から気付いていたのは、ベテランの店員の方が多くの値引き権限を持っているということや、客が商品についてよく研究している方が、店員も真剣に値引きをするということだった。店員の手腕によって売り上げが大きく左右される上に、3つの店が数百メートル圏内で競っていたので、店員も商品についてよく勉強していた。だから店員と話をしている内に、自然とカメラ自体だけでなく、メーカーの特徴や流通の予定等についても詳しくなっていくのだった。交渉で勝ち取った値段を、口約束では信用できないと言って、店員の名刺の裏に書いてもらって印鑑を押してもらっていた。次の週に。お年玉を貯めたお金を下ろして。その名刺を持ってカメラを買いに行くためだった。今考えると、変な子どもである。

 そんな新宿から、ドイが最初に撤退した。さくらやは、東口に拠点を移した。西口にはビックカメラが来たが、新宿の競争とは別のあり方で売っているので、ヨドバシとは競合しないように思える。新宿からさくらやが消えるのは、ヨドバシの独占を意味する。それが、何か良くない気がする。ヨドバシに町が征服されるくらいの、暗い影がある。最近のヨドバシは何だかあこぎな感じがするから。

 さくらやのウォッチ館は見ていて楽しかった。相当前の腕時計をそのまま陳列していたり、値段を半値以下に下げているものがあったり、雑多な商品がショーケースに並んでいる。売れても売れなくても関係ないような並べ方。その数が多かった。ヨドバシは売れるものしか置かない。その差が売り上げに響いて閉鎖に至ったのかもしれないが、さくらやには、見る楽しみがあった。なんだか、とにかく残念だ。
 

 

 

 
2010年1月16日2:49

合併
 
 スズキ自動車とフォルクスワーゲンが業務提携するらしい。私は前に、スズキの車に乗っていた。2台同じ車種を乗り継いだ。楽しい車だった。荒さの中に、作り手の思いがある感じがした。スズキの車は、やたらと細かいマイナーチェンジをする。スイッチを少し大きくしてみたり、小さい物入れをつけたり、はずしたり。小変更であっても、部品成型のためのプレス型を再生産するため、コストは相当かかると思う。時に、発売間もない車種のエンジンの排気量を変えてしまったりする。今のエスクードは当初2リッターと2.7リッターだった。これを2.4リッターに変えた。エンジンの仕様変更は、最初からエンジンを設計し直すので、普通はめったにしないことだ。バイクなどは、新規エンジンの開発代金が価格に乗るので、スクーターでも十万位価格が上がる。そんな面倒なことを地道にやる会社がスズキだ。雑誌の試乗記などを綿密にチェックし、次々と改善していくらしい。それとスズキは、四輪駆動車に変えずに持ち続けているポリシーが見える。今ではトラック以外にはほとんど使われない車体構造を堅固に守り続けている。荒れた地形で歪まない壊れない構造が、四輪駆動車の命だと考えているのだろう。それが東南アジア諸国でも受け入れられている理由の一つなのだと思う。

 
 一方、フォルクスワーゲンは、ち密な製品づくりをする会社だ。元々ドイツ車は、国民性もあって精密な工業製品だ。更にドイツでは鉄道網の整備が遅れ、車での長距離移動が日常にあるため、長く運転して疲れないシートが、当然の機能として車に備わっている。また、制限速度がない高速道路を走るため、車は時速200キロ程度で走ることを想定して作られている。だから直進安定性が高く、バネが硬い。そしてハンドル操作に対してキッチリ曲がる。スイッチ類は高速運転中に視線を外さずに間違いなく操作できるように、大きく機能的に作られている。一方で、車は移動のための工業製品なので、日本の車にあるような「ちょっとした物入れ」というような発想は皆無である。走るための道具。機能に特化した製品づくり。 
 フォルクスワーゲンは、良い提携先を選んだなと思う。かつて、スズキはアメリカの自動車会社と提携していたが、うまくいかなかったようだ。アメリカとは合わない気がする。粗い車作りをしているアメリカには、スズキの良さはわからないのかもしれない。そしてフォルクスワーゲンは、トヨタニッサンやホンダではなくスズキを選んだ。 
 どんな新しいものが生まれるのかが楽しみ。ジムニーに、フォルクスワーゲンの低燃費かつ高出力のツインカムエンジンを積んだのとかが出るのかな。ワーゲンのエンジンを積んだら、車体のバランスが高いジムニーは、曲がり角で倒れるかもしれないなぁ。エスクードにワーゲンのエンジンを積んでほしい。ワーゲンマークをつけたスズキの車もいいな。どちらも好きな自動車会社で、次に乗りたい車の候補に入っていたので、これで一つ、迷う選択肢が減るのかもしれない。

 

 

 

 
2010年1月17日1:33

手帳の課題
 
 年明けから、手帳を変更した。大晦日に革の表紙に、間違って大きな穴を開けてしまったデイリーの手帳と、ジャバラの年間手帳。

 デイリーの手帳には、2穴バインダーから取り外した金具を穴を開けてつけて、パンチで穴を開けた紙は何でも止められるようにした。余った革でペンホルダーを作ってつけたので、ペンが5本位挿せる。デイリーのリフィルは、A56穴のバインダー金具を買ってきて、ハトメで革の表紙に取り付けた。そしてリフィルはエクセルで作った。最初年末に紙を縦使いで使ってみたが使いにくかったため、横使いに変更した。2週先位までをファイルしてあり、終わったページは外す。こうすることで過ぎた日の手帳を持ち歩かなくて済むようになった。その紙にはやることを毎朝書くのと、日中開きっぱなしにしておいて電話のメモもそこに書くようにしている。

 一方、スケジュール管理をしているのがジャバラの手帳。これはジャバラな訳で、うっかり片方の表紙から手を離してしまうと、バラバラとジャバラが伸びながら下に落ちてしまうという、ちょっと面倒な構造をしている。表裏の表紙をテープで貼ってしまえば表紙同士が離れないので、このようなことは防げる。でも、それだとジャバラの利点、長く開いて書きこむ、眺めるができなくなってしまう。それでホック金具を打ちつけて。革でホック止めした。これで必要な時はジャバラに、落とさないように止めておくということができるようになった。 
 問題は、このジャバラ手帳の使い方。書式の構造は、バーチカルタイプの手帳のページがずっと右に続いているようなもの。上半分が時間軸と予定書き込み欄になっている。これは、欄はやや小さいものの普通に使える。使い方が定着していないのが、下半分のプロジェクト進捗状況表のような欄。一応使い始める前にルールは決めた。十数列ある横ケイを、上から大まかな仕事のタイプ別に分けて書くことにした。上3行が外でのプレゼンや渉外などの予定で、ストレス要因ともなりえるもの。こいつを前倒しでやれば、気持ちが楽になるだろう考えたもの、というように大まかに分けた。それと進捗予定を書く際にスタートと期限を書くことを自分でルールづけた。 
 しかし、いざ書こうとすると、書けない。それは各事項の詳細な準備手順と想定する時間数のイメージがないから。どの仕事も不定形なので、決められた時間がない。だいたいいつもは勘で進めているか、複雑なものはエクセルで手順表を作っている。そういう併行した案件が、常に20は進行しているので、自分で総量がわからなくなり不安と追い立てられているような焦りを感じる。それで時々併行案件進捗把握表というのを作って確認しているのだった。

 そしてジャバラの手帳。結局ひとつずつの案件には進行管理表が必要で、それをスケジューラーに落とす必要がある。また、下半分の最下行辺りを年度目標や、自らのやりたいことに対する進捗を書くと決めたものの、これを行き当たりばったりで書いても余り意味がないのだった。別に年間計画なり数年の計画を書いて、そのうえで今週、今月となるのだろう。これを先に作らなければいけない。でないとこれまでと同じことになってしまう。これを今度空いた時間に作ることにしよう。
 

 

 

 
2010年1月18日2:39

ファミリーレストランでの勉強
 
 仕事の帰りや休日に、ファミリーレストランで勉強していることが多い。休日は7~8時間いることも多い。ちょっと迷惑かなと思いながらも、席が全部埋まってしまうことはないので、
まぁ大丈夫かなと思いながら居座っている。

 一日ずっと座っていると、次々と色々な人たちが隣のテーブルに座っては、会話して、去って行く。何となく、眺めたり、耳に入ってくる会話。通り過ぎていく人々の風景だ。耳に入る会話を聞いていると、楽しそうな人間関係はあまり多くないように感じる。会話を楽しんでいるという感じの人は、十組に一組か二組くらいか。他は、会話が一方的だったり、若者の散漫な会話だったり。

 ファミリーレストランに来るのだから、近所の人か、車で来た人か。近所の人は、年配の人が多いようだ。車で来て、このやや険悪そうな会話の関係ということは、密室の車でやってきた訳で、楽しそうでもなく、いったいどういう関係だ?という人たちもいる。

 だいたいのところ、男が会話が下手であることが多い。相手の話を聞いていない、自慢話ばかり、一方的。つまらなそうな相手の女の人の相づちも、傍で聞いてると良くわかるものだなと思う。私もあんななのかもしれないなとちょっと思ったりする。

 面白いのは、中年の男の四人組のような人たち。時々、同じような組み合わせの、仲良し仲間みたいな人たちがいる。何の利害もなくて、趣味や友人としてつきあっているのだろう。何だか楽しそうであり、関係もサバサバしていて気持ちがいい。

 あと、時々見かける年配の人たち。何人かのグループは、静かに会話している。おじいちゃんの二人組は稀に見かける。丁寧語で話していて、珍しい関係だと思う。私はどんなおじいちゃんになるのかなと想像してみたり。

 カップルはなかなか面白い。二人の付き合いの長さはどのくらいかとか、これからも続くのかもう駄目かも、おおよそわかる。集中すると、3時間くらいはほとんど周囲の音が聞こえず、周りも見えないので、ふと顔を上げると隣の席の人が変わっていることが多い。どんな組み合わせにしても、仲の良い関係は、まわりの人も気持ちよくさせるのだなぁと思う。

 

 

 


2010年1月22日3:12

世界人権宣言
 
 第一条 すべての人は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利において平等である。 
 美しい条文である。1948年の国連総会で採択された。人が人によって権利を剥奪されてきた連綿とした歴史を経てたどりついた言葉。 
 今受けようとしているような資格試験の時には、根拠法令と公的な報告書に目を通すことが必要で、数十の条文や政府刊行物に目を通している。国内法には更に上位法があって、日本のすべての法律の上位法は日本国憲法だ。そして諸分野の法は締約している国際法や国際基準に適合することを求められている。

 

  外国の法文や専門用語の定義は美しいものが多い。 
  ストレングスモデルを定義したチャールズラップの言葉、「アセスメントにおいては、障害を乗り越えてきたサバイバーとしてのプライドに着目する」。 
  アンソニーリカバリーの定義、「しばしば複雑で時間がかかる過程であり疾患そのものからの回復よりもはるかに困難であるが、専門家の介入がなくとも起こり得るきわめて個人的で独特な過程であり、制限つきではあるものの満足して希望に満ちた人生を生きる道程。そして信じてその傍にいる人の存在が不可欠である」。 
  ディーガンのリカバリーを育むためのリバビリテーションへの要望、「どの段階からも何回でも利用できる柔軟性を持ち、その形は求める目標に応じた多様性を持ち、希望を与えリカバリーを促してくれる当事者モデルがあり、ともに自らの弱さを受け入れて回復しようとするスタッフの態度があること」。 
  ブランチのリカバリーの要素、「積極的で持続的な個人的過程であるが、希望が最も基本的な要素である。コントロールと自由の感覚を得ること、価値ある活動や人々と接触を保つこと、そして自分の足跡を覚えておくことが大切である」。

 

 

 

 
2010年1月23日2:27

前に転がす毎日
 
 どうも、毎日が、辛うじて何とかなっている感じ。そんな一週間だった。 
野球に例えるならば、次々と変化球や内角低めの球や、時に暴投球が飛んでくる。辛うじてバットに当てて、全部前に転がしている感じ。クリーンヒットは余りなくて、でもとりあえずランナーは前に進めている。たまにはホームランを打ちたいものだ。それと、牽制球には気をつけたい。
 

 

 

 
2010年1月26日0:56

その後どうする?
 
 試験が終わったらどうするか?負荷がかかった中で自由に思い描くと、何でもできそうな気がして、いろいろなことを今まで考えてきた。まずは鞄を買いに行く。それも終わったらすぐぐらいに。それは写真のこいつだ。それから、譲らずに始めたいのがピアノ。これはもうずっとこだわっているので、何とか手をつけたい。職場の人が、家で使っていない電子ピアノをくれるとのことだ。それから、色々と整理しなければならない手続きがある。バイクの廃車処理とか。それと、面倒だけれど車をそろそろ買い換えないとだめかも。探しに行くのが面倒ではあるが。

 それから、こまごまとした支払いの整理など。そしていよいよピアノも英語も含めた年間計画を立てないと、再び流される日々になってしまうかも。これだけはというものを大切に守りながら、やっていきたい。あと、再びプールに行って、体力と体重をもどさねば。そしてタバコをやめるか。 


 試験に没頭すると、そのあと衝撃が来るのはわかっているので、この間、仕事を含めた2カ月先までの予定を書いてみた。

 2月には講義が3日間と事業計画作成とプロポーザルと研修事業実施4日間がある。相当ハードなのが目に見えているので、前倒しでやり始めた。とにかく試験だけでなく、その先を見据えていかなければ。そんな中では、私はもう試験に受かったイメージでいる。これってイメージトレーニングなのかしら。「試験日の深夜に各予備校から解答速報が出るので自己採点をする。ホッとする私」みたいな。月末には合格通知が来る。そんな風にうまくいくといいな。あと数日がんばろう。といって明日は新たな企業に行かねばならないし、あさってはシンポジウムの司会があるし、まだまだ山があるのだけれどね。 
 とりあえずいつもより1時間早くだけど寝よう。
 

 

 

 
2010年1月27日1:44

勉強してて、だんだんよくわからなくなってきたぞ
 
 わかるにつれてよくわからなくなってきたり、色々覚えると混同が起きたり、改めて読んでみると、以前は目につかなかったことがわかってきただけに目立ったりと、あらたにいろんな現象が起き始めている。

 それと、やはり明らかに仕事が終わって疲れている時には、頭が働かない。朝は勘がいいし、前日に覚えられないと思っていたことが、あっさりと頭に入ったりする。ただし、かなり無意識に入る感じがあるので、自然に忘れていたりもする。そういう記憶のメカニズムがよくわからない。とりあえず関連事項を想起していれば脳細胞もつながり強化されるかと思いながら。繰り返し思いだしたりイメージしたりしているのだけれど、ある程度の限界もある。 

 時々思うのは、合否と関係なしに、この程度やったらどのくらい点が取れるのだろうかとか、どのレベルに達しているのかとか、いったい問題はどんな出方で提示されるのかとか、ちょっと楽しみだったりもする。力試しみたいな感じ。これを模擬試験でやると本当は良いのだろうな。 


 明日は司会がある。あさっては新規の大口企業と会議。まだまだ山があるな。今週は疲れないようにしたかったが、既に今日疲れてしまった。金曜の最後の休日を有効に過ごすには、木曜までに疲れをためずにおくのが良い方法だとは思いつつ、仕事をしていたらそれは無理だ。少なくとも前日に休めるのでそれが救いか。
 

 

 


2010年1月30日0:15

明日は試験だぞ
 
 今週は体力を温存しつつ、と思っていたがそんな訳にもいかず、完全燃焼してしまったような感じの週末だ。まぁそんなもんか。 
 カッターナイフで鉛筆を削ったり、腕時計を電話の時報で正確に合わせたりと、普段はしない儀式のような行為をしていたら、だんだん眠くなってきた。 

 私、相当勉強したと思う。学生が専業で試験勉強するのでなければ、仕事しながら勉強するとしたら、結構限界に近い量をやっていると思う。これで落ちるような試験だったらどういう人が受かるんだよ、と思うよ。 

 よく頑張ったので、明日で終わりにしよう。 
 今日はもう眠ろう。 
  明日たぶんこのくらいの時間に、各専門学校から出る解答速報で自己採点した結果をここに書く。
 

 

 

 
2010年1月31日3:56

試験日当日
 
 今回は、いろいろと作戦を立てた。 
 前日に。着るものまで全部用意した。 
 そしていつもより早く寝て、朝7時半には起きた。試験は午後1時半から。早めに起きて体を起こさなければと思った。珍しく、ストレッチをした。

 それから、8時半過ぎに家を出て、途中でブドウ糖入りチョコレートとおにぎり1個とウィダービタミン水を買った。前の資格試験の時はペットボトルのお茶を買ってしまい、利尿作用で試験中にトイレに行きたくなって、とても困ったので水にした。おにぎりは遅効で血糖を上げ、チョコは直前に食べて速効で血糖値を上げるため。

 ガストSで鮭定食を食べた。3時間前までにはご飯を食べておきたかった。胃腸に血液が行ってしまわないように。試験会場の近くの喫茶店に着いたのが10時少し前。今まで読んだものを見直して過ごす。ただ、前日までの疲れが取れていないため、体はだるくてオンにならない感じ。

 なんだか試験までにずいぶん時間があり、こんなに早く行動したことがないので、全体にのんびりした感じ。一応、持って行ったこれまでに書いたノートと、蛍光ペンでや線をたくさん引いた参考書全部と、1週間前に読んだ法律や報告書の原文に目を通す。

 それでも、何だか頭はクリアにならない感じではあった。最近わかってきたのは、疲れていると、思考がとても鈍くなること。それと、体調によって気持ちが重くなること。そして、緊張すると眠くなるような重さになること。時間があるからまあいいやと思いながら過ごす。

 あと1時間というところで、ちょっと気持ちを切り替えて真剣に始める。今回は、どうやって記憶が定着するのだろうというのを、ずっと考えていた。多分、何度も記憶を引き出したりそれを再認したりする内に、シナプスがちゃんとつながるのではないかと。それから、いろんな切り口でその記憶を引き出すことで、更に強化され、別の所ともつながるような気がする。ひととおり持ち込んだ資料を読み終わり、することがないので、目をつぶって静かにしてみる。何かα波とか出るとよいのかと。とにかく、ウォーミングアップで筋肉を温めるみたいに、脳細胞を目覚めさせなきゃと思う。それでもまだ頭が重いので、これはいよいよ切り替えなきゃいかんと思い、字を書こうと思った。私的なことを書いている手帳を出して、試験が終わったらやることをイメージして書き出してみる。これは最近気付いた、書くことによって頭と体をすっきりとさせる方法。そろそろ会場に向かう時間、といっても入室時間の30分前なのだけれど。チョコを何粒か食べる。 
 巨大な試験会場に入る。席は、会場の端の、列の後ろから2番目。周りが気にならないいい席。会場に着いてから、2回トイレに行く。どうでもいいけど、隣の年配のおじさんのあくびがうるさい。周囲を見ると、それぞれが勉強しているが、どの人の参考書も真新しい。私のが一番ボロボロで使い込まれているみたい。それもちょっと嬉しくて、持っているボロボロの本を何冊も机の上に並べて、開いて少し眺めてみる。直前になっても気付いたり覚えたりすることはあるものだなぁ、と思いながら眺める。緊張した時にする、指の爪の脇のマッサージをしてみたり。足元が涼しい感じがしてジャンバーを膝にかけたり、トイレに行った直後なのにまた行きたい気がしたり…。 
 大きな会場で、全国一斉の時間で行われるため、説明放送や用紙配布の時の待ち時間がかなり長い。12時50分に着席して13時から説明と配布、試験開始は13時半。待ち時間が長いので、まずは時間配分を確認。それから鉛筆と消しゴムを出して並べる。それでも時間があり、めい想風に過ごす。今まで色々とよく頑張ってきました、とちょっと自分をほめてみたり。そして、始まる直前の時間、問題用紙を読んだり目の前にあるマークシートを塗るイメージを描く。私の時計は前日に時報でハックしてあるので正確。先ほどの放送も、秒針まで正しく決められた時間に始まったところを見ると、試験は試験官の時計ではなく、正確な時刻で実施されるらしい。10秒前、スタートの準備。スイッチオン。 

 最初の科目。あれ?意外と簡単だなと、感じた。素直な平易な問題。こんなんでいいのか?と思いながら解いていく。うーん、全部そんなに難しくない。勉強した分野がかなり当たっている。問題が何を問うているのかがよくわかる上に、設問の不備までも見える。わかるわからないではなく、間違えるとすれば、問題作成者の日本語をどう解釈するかというレベルかもしれない。下手な設問がいくつもあり、何で他の人の目を通してもこんな設問になるのかと思う。権威がある人が作るので、誰も意見を言えないのかな。

 例年あるようなマニアックな問題がなく、今年から回答方式の変更があったり。あと、事例問題から判断して知識を問うという問題があり、これはちょと面白かった。たとえば事例の人は20年前と設問中にあり、その当時の社会と制度はどのようだったかとか、事例の中で制度や機関機能の利用を勧める設問で、この制度は何?とかこの人の所属している機関は何でしょう?みたいな問題。推理クイズのようでいい問題だなと思いながら解く。 
 それにしても、困ったのは再びトイレ。開始20分で尿意を催す。前回ほどではないので、我慢して最後までいけるかと思うが。回答時間の経過を見て決めようと思う。45分と予定していた3科目までが、30分かからずに終わった。これだったらトイレに行ける。しかし、開始1時間目までは席を立つことができないのだった。仕方なく1時間経つのを待って、トイレに行く。やっぱり落ち着いて臨めるのが一番いい。

 少しゆっくり目に取り組んで、最後の問題を終わったのが予定通り終了20分前。自分の答えと塗ったマークシートの照合をし、その後最初から見直してみる。迷って数問は選択肢を変更する。落ち着いて読み直すと、最初に解いた時に思いこみをしているのに気づく。最後のほうはざっと見なおした程度だったが、一応気が済む程度にはチェックができたので良かった。 

 終わった直後が一番解放感があった。数か月我慢して気持ちの中でもずっと負荷がかかっていたから。地下鉄に乗って革のカバンがある街へ。日が暮れてきて、解放感がしぼんでゆく。終わった直後が一番気持ち良かったな、と思いながらターミナル駅の地下を歩く。結局何も買わず。 


 夜中に帰ってきて、インターネットの専門学校等の解答速報を見て自己採点をした。エクセルで表を作って自分の答えを入力し、いくつかの学校のホーム―ページから解答をダウンロードする。学校の独自解答なので誤差があり、数ヵ月後に出る正式な解答発表までは正答はわからない。

 何か大きな気持ちの間違いがあって簡単と感じたのかと思ったが、やはり手ごたえがあった通りに、かなり正答率が高い。最初の科目は全問正解だった。残りの科目もほぼ8割は取れているようだ。合格ラインの基準が6割とされている。ここ数年は試験の難易度もあるのか5割が実施後に発表された合格ライン。6割取れればほぼ確実といわれる中、8割取れれば間違いないだろう。ホッとしたというよりは、こんなものなのかなという感じ。前回の方が難しかったし、模擬試験の方が相当難しかった。模試の頃は勉強していなかったのもあるのだろうが、今回は基本的な問題だった印象が強い。 
 まあ何にせよよかったよかった。何かいまひとつ割り切れない感じはあるけどな。まあいいか。