よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2010年3月]発症時のこと。さかもと未明。症状再燃の前兆。

2010年3月7日23:33

さかもと未明 追認

 この本を読み始めた頃からか、同じような病気になった彼女の言葉に自分の同じ体験を思い出したりして、気持ちが、かなり病気の時のようになっていた。言葉のひとつひとつに、自分のことを思い出していた。そして多分、本当に体調が良くなかったのもあって、症状が再燃したのかもしれない、と思ったりもしていた。

 

 病気のことは考えない方がいい、という意見もあって、それも理にかなっているのかもしれないなと思う。でも、今の自分にとっては、思い出すことは、一度は必要なことなのかもしれないと思っている。私は、発病してからずっと、振り返らずに、前だけを見て、というか自分の足元だけを見て、一歩一歩足を踏み出すことだけをしてきた。本当はもっと気持ちが落ち込んだり泣いたりして、そこから這い上がらなければいけない時間があったのではないかと思う。

 前を向いて少しずつ進む中で、病気は予想外に症状がおさまっていて、気持ちのどこかで病気が治ってしまったのではないかと勘違いしていると思う。再び体と気持ちに負荷をかけている。治ってはいない。持ち続ける病だから。一つの膠原病は、他のいくつもの膠原病を併発することの方が多くて、私の体は、普通の人以上にリスクを抱えているはず。薬の副作用も多く起き得る。だから、私は自分の体験をもう一度なぞってみて、病気を持ち続けている人としてのアイデンティティをしっかりともたなければ駄目なんだと思う。
 

 

 

 
20103723:47

思い出すこと 体の変化に気づいた時のこと
 
  初めは足がしびれているみたい、と思った。正座した後のように足が軽くしびれていて、何だか血行が悪いみたいだと思った。ずっと続いていた訳ではなくて、なくなっては再び現れるので気のせいかなと思っていた。

 同じ頃に、いくら眠っても疲れがとれなくて、土日はずっと寝ていた。心地良い眠りではなく、不快な長い長い眠り。横になっている時間が長いからか、立ち上がると膝がカクンと抜けるようになり、カクンカクンと何度もやってみていた。そのうちにしびれが強くなり、膝から腿へと上がってきた。いよいよおかしいぞと思い、椎間板ヘルニアか何かかと考えて整形外科や整体に行ってみたが異常は見つからなかった。その後総合病院の各科を検査で転々とし、いずれの科でも異常が見つからなかった。 


 眠れない真夜中、電気をつけずに真っ暗な中一人机に突っ伏して、何の原因も対処も見つからずにじっと座っていた。体の声に、耳をすまそうとしていた。医学に何の方策も見つからなかったから、いつか行った座禅のことを思い出して体を感じようとしていた。その時に気付いた、左足がないことに。一人夜中に自分の体の異変を感じ取る静かな時間があった。 
 その頃、何の根拠もなかったが、治ると思った。大丈夫だと。

 

 

 

 
2010380:04

入院が決まった頃のこと
 
  あらゆる科で検査を受けていた病院で、私はある膠原病の疑いと考えられていたので、てっきりその病名がつくものだと思っていた。だからその病院に最後に行った時は、入院を言い渡されるものだと思っていた。やっと安心できるし、その病気は進行性で、治療によって症状を止めないと、呼吸困難や心臓麻痺に至ると言われていたので、入院すればどんなに病気が急変しても大丈夫だと思った。やっとゆっくり休めると思った。けれども実際は、検査によって何の異常も見つからなかったから入院もできず、病名がわからなくてもいいから入院させてほしいと頼もうかと思ったほど、体調はきつかった。検査や問診を待つ時間が長く、とても待合室のベンチに座っていることができなかったので、ベンチで横になっていた。全身が重く、常時浮遊感がある中で生活していたので、常に乗り物酔いのような状況になっていた。横になっていても看護師は見ないふりをして通り過ぎて行った。具合が悪いからと待ち時間を配慮されることもなかった。結局異常が見つからず、では何なのか?メンタルかと思い自ら精神科受診も申し出たが精神科でも異常はないと言われた。 


 知人に紹介された医師に別の病院で診察を受け、次の週に結果を聞きに行った。その間はもう起き上がって動くことはできなかったので、仕事を休んでずっと横になっていた。前の週に入院を覚悟していたため、タクシーで職場に行き、多くの仕事の整理と引き継ぎの書類作成を済ませていた。 


 診断結果を聞きに行き、即日その場で入院が決まり、すぐにタクシーで1時間半位かかる病院に行きそのまま入院するように言われた。荷物を取りに帰ると伝えたが、すぐに行くようにと言われた。診断を受けた病院が自宅から近かったこともあり、一瞬だけ家に寄って、本を数冊とペンと紙をカバンに詰めて、そのまま病院に向かった。

 入院は、有無を言わせない流れで進んでいく。社会の中での様々な日程や、人間関係や、社会的な立場は、全く考慮されない。結局は、外のすべてを捨てて病院に入ることになり、そして、意外と、外のすべては何とかなってしまうものなのだなと思った。自分が確かなものだと思っていた社会的な立場というのは、そんなものなのかと。病院に着いたころには、まだジタバタしているのだ。病院の時間は、外から見るととても困るような勝手なルールで流れている。結局は、そのルールに従うしかない。他に出口が見つけられないから、仕方がないと思うようになる。

 

 

 


2010380:48

発病前の生活
 
 体を心をつぶすような生活だった。健康を顧みたことはなかった。一度ひどい胃痛になったことはあったが、体が壊れるとは思っていなかったので、仕事をまったくセーブすることなしに、とことんまでやった。それが良いことだと思っていたし他に方法があるとは思えなかった。そうしかしようがないやり方でやる。その結果、体が壊れた。

 

 

 

  
2010381:17

入院するまでの感覚
 
 浅い眠りの中での夢。 
 何で足なんだろう、という思い。 
 何もわからない中で、何の出口も見つからない中でも、前に向かって歩こうと思える気持ち
  

 

 


2010381:18

入院してから
 
 いろんな出会いは、すべて用意されている、と思った。

 

 

 

 
2010381:30

今までとこれから
 思い返してみると、似たような症状は、以前からあったかもしれない。私は、この病気を前から持ち続けていたのかもしれない。 


  病状を悪化させないように、体のサインを見逃さないように、タブーを知らずに犯さないように、たぶん今を充実して生きることを含めて、私はどこまでもこの命を長らえるために、努力していかなきゃいけないんだ。ベクトルは常に、意識せずとも前に向かっている必要があり、それは命が終わる一点まで、自らの意志で過ごす時間でなければならない 
  あの時、体が回復するまで、じっと布団にくるまって、その時を待とうと思った。これからも、そうやって待つ時間も必要なのかもしれない
。それから、人に頼んで、できないとちゃんと伝えて、誰かにやってもらうこと、やるのをやめること残された時間の中で自分が何をしたいのか、何をできるのかを見極めて、そこに最短距離で最大限の力を注ぎ込めるよう、その他のことを切り捨てたり、人に頼むことも必要だと思う。 
 お金をどう使い、その時のためにどう蓄えるのか。どう設計するか。 
 保険が効かない、保険に入れない。今のためと将来のためにどうするか。 
 経済的な破綻のパターンは今回よくわかった。 
 さかもと未明「もうひとつの安全弁がほしい」と表したこと。何かが失われる可能性がある時に、自分を保つもう一つの何か。その時のために、そこに自分を見出しておく術。まだ間に合う新しい世界。 

 

 

 

  
2010年3月8日1:33

次への一歩

 
 免疫抑制剤を飲みながら発ガン物質を摂取しているのは自殺行為に近いので、タバコをやめよう。

 

 

 

  
2010年3月9日2:05

落ち着かない
 
 なんだろう、このざわざわした感じは。 
この間もあった。何かが組み換わるような不安感。 
春になるからなのかな。 
いやだなあ。 
そして浮足立って自分らしくない仕事をしている。 
人に惑わされているのだと思う。 
何が本質なのかを見失わないように。

 

 

 


2010年3月16日1:50

資格試験に受かった
 
 仕事中にインターネットの合格者速報を見た。受かっていた。ホッとした。6割の合格ラインに対して8割は取っていたので大丈夫とは思うものの、マークシートの塗り間違いとか名前を書き忘れたとか万が一と思ったりして、何度か番号がなかったシミュレーションをしてみたりしていた。

 
 やっと終わった。本当は、資格取るのは終わりではなくて始まりなんだけどね。でも正直なところ、勉強した内容については、しばらく思い出したくないな。忘れたい。

 

 勉強時間は、手帳のカレンダーの方眼を塗りつぶした数を数えると、合計200時間くらいだった。1科目50時間くらいやれば、合格ラインを余裕をもって越えるのだろうか。 


  とりあえず一段落したので、次の楽しみを考えよう。 
  やれやれ。 
  しばらく資格試験はやめよう。体力がもたない。
 

 

 

 
2010年3月17日2:04

風邪ぎみ
 
 日曜の夜くらいからか喉が痛い。どうやら本格的な風邪のよう。 
 風邪は意外とダメージが大きい。全身が重くなる。りっぱな病気だな。 
 免疫抑制剤と抗生剤を両方飲むという矛盾したことをしなければならない。早く治らないとプールに行けない。それが一番困る。
 

 

 

 
2010年3月20日2:11

小休止
 
  ひとつひとつをこなしていって、ちょっと一段落。相変わらず風邪は抜けないけど、せっかくの休みなんだから明日までに根性で治そう。

 

 

 

  
2010年3月20日2:21

お金についての行動を起こした
 
 銀行と郵便局の口座をいくつもっているのか自分でもわからなくなり、当然銀行届出印や暗証番号も不明だったりもする。カードを元々持っていない口座もあり、銀行の残高が数百円あったりするのだろうな。退院した時に少し整理したのだけれど、再びよくわからなくなっているので、また少し整理した。 
 こんなことを考えるのも、車を買い替えなくてはならないと思ったときに、現金でいくら払って、ローンをいくら組むのかを考えるからだ。現金で全部を払うことで何の蓄えもなくなってしまうので、それは今の病気なりを考えると不安だ。かといって今までは車でも何でも現金で買ってきたので、ローンを抱えているというのも、気分的にあまり好きではない。そもそもいったいいくら貯金しているのかわからない。それと毎月の無駄な支出をカットしなければならない。 
 結局今日は、仕事の移動中に郵便局一か所で通帳記入とカード再発行と入金をし、銀行2か所で通帳の更新と残高の確認と印章の確認をしたのだった。その結果カットできる毎月の支払いが二つ、減額できるものが二つあることがわかった。これを整理すると毎月一万円支出が減る。そしてタバコをやめるとあと一万円減るはず。ペットボトルの飲み物を買うのをやめると更に一万円減るのではないか?そうすると車が買えるなぁ…。
 

 

 

 
20103202:33

何をしたいか 何をすべきか
 
 仕事のために必要なこと(一年先くらいまでの必要性) 

 


 仕事(もっと先までの必要性) 

 

 

 今後の人生の中でやりたいこと 
・人 
・ピアノ 
・文章表現 
 その他関心があること 
・革細工 
・写真表現 
・アウトドア 
・バイク 
・気象 
・読書 
・写真 
・絵 
・水泳 
・旅行 
 やらなければならないこと 
・健康管理 
・金銭管理 
・生活管理 
 他にもまだまだたくさんありそう。 
何を優先し、何にどのように手をつけるか。 
休み中に考えてみよう。

 

 

 


2010年3月21日0:59

根性では治らなかった
 
 休みだから、根性で風邪を治そうと思ったが、治らなかった。当たり前か…。どうにも喉がひどく痛く、て体が重くて、まったく本調子にならない。持病を持っているというのはこういうことなのかな。

 

 体と心の調子をどうやって立て直したらいいのか、そのやり方の見当がつかずにいる。それがしんどい。仕方なく、寝て過ごしていた。寝たら治るかと思ったが、あまり変わりなくちょっと困った。炎症は免疫抑制剤を飲んでいるから治らないというのもあるはずなので、やってはいけないことなのだが、今日一日自己判断でステロイドを抜いた。それでもまだ良くなってはいない。 
 平日に、疲労が体力の許容量を超えてしまうのがいけないのだろうな。そのあたりのセーブができない。それと、外での打ち合わせや会議や業務が、想像以上に疲れる。どうしたらいいだろう。

 

 

 


2010年3月22日0:17

で、「医者と薬に頼らない病気の本当の治し方」を読んだ。
 
 その本に書いてあったのは、風邪は病気ではないと。私の今のこの喉の痛みは、病気ではないから薬で何とかしようとか思わない方が良い。更には自分が病気であると思いこまない方がいい。病気は潜在意識(無意識)から来るものが非常に多いので、病気と思えば死に至るし、治ると思えば治る。

 痛みも発熱も体の自然治癒の過程であり治りかけの時に生じる力であり、無理がきている場所を示すサインである。だから養生すればいい。一番いいのはやりたいことをやること、体が欲することをすること。そうすれば自然治癒力は強くなるので忘れている内に病気は治る。気の通りを良くすればいい。そのためには丹田呼吸法。最後はお釈迦様の話になってしまったのでまだ読んでいないが、そんなことが書いてあった。 
 治らないはずのものが治ってしまったり、病状では激痛があるはずなのに痛かったり痛くなかったりするという理由のわからないことの説明がある程度つくのかもしれない。骨格の歪みと病状が相互に表現し合っていて、それをもとに戻すことで、体は自然と動くようになるらしい。実際にそういう人がたくさんいるのだろうな。何千年もかかって取り組んできてわかっていることがたくさんあるのだろうな。だからそこに可能性があるのかもしれないと思う。全部については良くわからない。言っていることの信憑性も良くわからないが、未知のものにたいして直感的に正しいかもしれないという感じはあり、期待したい気持ちがある。 


 では、今私がどうするか?明日の朝からステロイドをやめるのか。風邪薬を一切断つのが良いのかどうか。眠りたくないからといって眠らないのか。たぶん肝心なのは、様々な体の声を聞こえなくさせているストレスや障害があるから、それらを取り除いて体の声を聞く時間を持つことだと思う。

 その時に体が欲すること、気持ちが欲することをちゃんと感じて行うこと。気持ちが酒を欲するからといって際限なく飲むことが摂理にかなっているとは思えない。体は限界を迎えれば自然とサインを発するから大丈夫であるのかもしれないが、それは無駄な遠回りをしているように思う。 


  知識がなくても自然にやっていることがある。病気の時に相当に追い詰められた状況で選びとられた行動があった。ベットに仰臥していることを拒否すること。体が起きたい、動きたいと言っているから、原因も病名もわからないけど、リハビリをさせてほしいと。根拠なく治ると信じていたし、走れるようになると信じていた。まだ立つこともできなかった時に。毒といわれる薬であっても効くと信じていたし、本当に効果が生まれた。

 医者にとっては治癒の理由もよくわからないようだったが、とにかく立ち上がり、歩くようになり、今は走れるようになっている。食べたいものをおいしいと食べ、飲んだ。夜眠くなる時間まで眠らなかったし、眠らずにはいられない時には昼間でも眠った。ストレスとなっている仕事は自然に回復のモチベーションからは外れていき、最後に残った私の歩きたい動機は、海辺の岩場に行って碧い海を見たい、それだけだった。

 退院してから、水に入りたくなり、プールに行った。息が切れなくなった。多分水中の呼吸法が丹田の呼吸法に近いのだと思う。沈んだ気持ちがどのように上がって行くのかを様々な方法で試して見つけていった。日々に輝きを感じて生きていた。自分が最後には何をしたいのかを考えた。本当にやりたいことは何なのか。そして今がどんな意味を持っているのか。
 

 

 

 
2010年3月24日1:37

結局のところ…それと目がおかしかった
 
 体調はどうなったのかというと、よくわからない。万全とは言えないのだと思うが、病気になって辛くなっているのに飽きてしまった、という感じに近い。風邪を引いて、それが抜けずに悶々としているのがいい加減いやになってしまい、もういいや。風邪がひどくなろうが何だろうがプールに行きたいので行くよ。好きなもの食べるよ。というような感じ。治ったのかどうかはよくわからないがどっちでもいい。 

 先月末から先週くらいまで、目がおかしかった。右目の焦点が合わない。この間定期健康診断に行ったら、去年まで矯正視力で1.2あったのが0.7に落ちていた。片目が悪くなっているから見えにくいのかと思った。特に左の方を目だけで追った後に、真っ直ぐを見ると焦点が合わない。車を運転してみたが左のミラーがとても見にくいので勘で走るような感じ。むしろ左目だけで運転した方がよく見える。

 月末に、追い詰められた状況で離れた位置からPCの事業原稿の校正画面を目で数時間追って見ていた後で、目がおかしくなった。それでメガネ屋に行った。ここは10年以上前からメガネを作っている町のめがね屋で、とても丁寧に状況を聞きながら様々な視力の測定をしてくれる。歪んだメガネを丁寧に顔の形に合わせて直してくれる。色々測った結果、どうやら左右の像がずれて一致していないことが原因らしい。視力は少ししか落ちていないようだった。それで少し矯正するプリズムが入ったレンズに交換した。そのせいか、今日はだいぶ良いようだった。治ったのか?この目も新たな膠原病が原因ではないかと思ったりしていた。色々思い込むのは良くないな。 

 そう、ずっと気になっていたのだが、小さい時に通学路の地面にあった「止まれ」の足形。これがかなりガニ股なので、それに足を無理やり合わせて乗せてみたり、逆から乗せて内またにしてみたりしていた。すると通りがかかりの見知らぬおじさんが、「そんなことをすると将来歩けなくなるぞ」と静かに行って通って行った。その予言じみた感じが、とても不気味だった。曇り空の色とともにずっと忘れられずにいる。歩けなくなった時に時々思い出していた。そういう潜在意識にある記憶って影響するのだろうか。

 

 

 


 
2010年3月24日1:42

やりたいことをやろうと思ったら

 
 結局、閉店に間に合う時間にプールに行った。今日のプールはとても空いていて、水面がなめらかだった。それで、少し速めに泳いだ後、ほとんどだれもいない柔らかい水の中で、ゆっくりと水しぶきを立てないように泳いだ。透明な水の中で、体の重さを感じない。手や腕や全身で水に触れている感覚が心地よくて、静かに水の中で腕や掌で水を感じたり、水をつかんだりしていた。 


  そして深夜のファミリーレストランに行き、前から気になっていたくりぬいた穴の中に目玉焼きがはまっている巨大なハンバーグを食べた。うまくて足を少しバタバタした。

 

 

 

  
2010年3月24日1:43

気になってしかたがない
 
これは恋かも。
麻生久美子
 

 

 

 
2010年3月29日22:20

支出を削減する計画
 
 改めて定期的に支払っているものなどを見直してみた。色々とまだ削減できることがわかった。内容はだいたい次のようなもの。 
 1)携帯電話料金 
・料金プランの変更…(-)3000円 
以前自分の携帯電話を仕事にも使っていたため、通話プランが通話量が多いものになっていた。 
パケット通信プラン…(-)1000円 
新しいプランができていた。今まではパケット無制限だった。 
・基本料の障害者割引…多分(-)3000円くらい 
障害者手帳は基本料が6割引きになるということが調べたらわかった。 
ウィルコムのモバイル端末廃止…(-)3000円 
使っていないので停止していたが、基本料の半額を払っていた。 
 2)スポーツクラブのロッカー代 (-)2000円 
・ロッカーを2カ所で借りているが、利用法が最初とは違ってきているので不要。 
 3)PCプロバイダ料金 (-)2000円 
・メールアドレスのみを残してプロバイダを解約 
 以上、合計14000円/月→168000円/年 
 更に手帳割引でできることを調べてみた。 
1)駐車禁止指定除外…(-)20000円/年くらい 
・私の等級は指定除外が取れるのだった。いつもちゃんとコインパーキングに入れているのだった。 
 2)自動車税減免…(-)3万/年 
・現在の45000円減免よりも多く払っている分が車の買い替えで減免になる。正規金額よりも45000円減免。 
 3)自動車取得税…(-)約9万くらい→今はない出費 
・本来は減免だが、自動車税減免を受けていると受けられない。エコカーを買うと50~75%減免。本体価格250万円が上限。 
 その他無駄な出費 
1)バイクを廃車にする(-)14000円/年 
2)今の走らない車のガソリン代(-)40000円/年 
3)たばこ代(-)1万/月→年12万 
4)自動販売機の飲み物代 15000円/月→18万/年 
5)昼食代 (1)5食 4000円/月→48000円/年 
 げ!年間で合計すると58万削減される。。 
ということは、今までかなり無駄なことしてるのか。

 

 

 

  
2010年3月30日12:32

人にも削減要求
 
 自分では削減できないものを他人に要求してみた。スポーツクラブの使いにくい不合理な料金プランを変更してくれ、あと駐車場料金を身障減免にしてくれと本社にメールした。 
以前は地元の公営駐車場は割引できるようにしてもらったのだった。だから障害者は怖い圧力団体だと言われるのかもな。 
治療や通院にお金かかるんだから仕方がないのだよ。

 

 

 

  
2010年3月31日2:47

経費削減の手続き状況
 
 通院の移動中に日記を書いたが消えてしまっているみたい。 
 昨日から今日の外出の勢いでいくつかの手続きをした。 
 1.携帯電話 
 1)料金プランの変更 -2,000円/月   
   パケット料金変更 -1,000円/月 
 2)障害者割引    -1,000円/月 
   (正規の6割引、既に5割引きなので差額1割のみ) 
2.プロバイダ 
 ・プロバイダ料→アドレスのみへ変更 -2,000円/月 
3.携帯端末 
 ・解約    -2,800円/月 
4スポーツクラブロッカーの解約 
 ・2か所   -2,000円/月 
合計約11,000円/月 年132,000円/年 の削減 
5.警察署に駐車禁止除外指定申請 
 ここまでをやった。 
 結局これらの経費は何なのかというと、例えば携帯端末は以前の外での仕事が多い時に外出中に仕事をするために加入したが、結局仕事の形態が変わったものがそのままになっていたもの。プロバイダは以前使っていたもので、現在はプロバイダが普及したのでアドレスのみで良くなっているもの。ロッカーは、退院して半年位の頃はジムで走るための靴を持ち歩くのが難しかったので借りたもの。携帯の料金プランは仕事用の携帯電話がなかった時のもの。そして、携帯電話はどんどん新しい料金体系ができるが申請しないと利用できないものが多いのだった。このように状況が変わった時に手続きをしないとそのままになることが多い。特に引き落としになっているものについて注意しなければ。それと解約の手続きが面倒になっているものが多い。インターネットで調べても手続きが探しにくくなっているし、ネットではなく電話や書面取り寄せが必要な仕組みになっていることが多い。それが簡単に解約しなくなってしまう一つの理由だ。 
 明日から始めるのが、使用済みのペットボトルに家でお茶を入れて行くこと。これはただ入れるだけなのでできるだろう。多分これだけで月に5,000円くらいは削減できるはず。 

 

 

 

  
2010年3月31日2:52

そして捨てた
 
 引っ越す前からのたくさんの様々な書類を捨てた。とりあえず取ってあったものと、以前は必要だったもの。これも変化に対応せずに持ち続けているものだった。大事かもと思っていたものが、意外と大事ではなかった。これからはもっと大掛かりに引越しのたびに持って移動している段ボールの類と粗大ごみと大量の衣類を捨てようと思う。とにかく物を減らしたい。物を減らさないとピアノを置く場所がないというのが最大の動機かもしれない。

 

 

 


2010年3月31日3:00

新たに始めたこと
 
 ・ラジオの英語講座 
先週試しにやってみた。今週末に再放送をまとめて録音して来週の通勤時間からは始める。テキストを買ってきた。 
・英語の勉強の準備 
どんなことをすればいいのかを少し調べた。 
 ・専門の勉強について 
短期で必要な分野と自分が長期的に興味がある分野を書いてみた。短期でやることについては、月毎にテーマを決めて関連図書があるかどうかを確認した。 
 ・その他趣味 
中古、新古、新車の価格を調べて新車見積もりと新古車の見積を取った。試乗して車種を決めた。あとは契約等最終段階。ただし納車は2カ月後位。 
写真については今あるカメラがどの程度使えるのかを試してみる。 
ピアノは置く場所を作る作業中。 
気象は寝ながら本を読んでいる。 
その他仕事と関係ない本を少しずつ読んでいる。 
プールは継続中。たまにバタフライ。クロールは工夫中。少し平泳ぎもするようにしている。 
 やりたいことを小さいノートに書き出してみて、どうやったらできるのかと何がしたいのかを何度か考えてみた。それに沿って進めているところ。
 

 

 

 
20103313:08


 
 通院だった。駅から病院までの道のり。今日は空に雲がなく水色が透明だった。ふと見上げると、桜が咲いていた。その瞬間に、泣きそうになった。忘れていたけれど、体の奥深くには記憶されていた。入院したのが2年前の今頃だった。入院して歩けなかった時にも、桜が咲いていた。車椅子で桜の花を見に来た。世の中はお花見で華やいでいた。私には何の見通しもなくて、世間の時間の流れから隔絶された気持ちだった。未来がない時間を過ごしていた頃の自分を思うと、切なかった。何気なく見上げた時、あまりにも淡い色の花ははかないと直に感じた。樹の気持ちが、すっと私の中に入ってきてしまったような気がした。
  

 

 


2010年3月31日3:11

前回の通院からの体調
 
 長く風邪を引いた。それと疲労感が強かった。 
 右目のピントがおかしかった。今日医師に聞いた。次回の通院の時に脳の断層撮影をすることになった。脊髄と脳はつながってるので、脳に影響がある場合もあるとのこと。

 ここ1週間、メガネを変えた頃からは頻度がかなり少ないので、自分では疲れ目かなと思っている。