よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

[2010年2月]リハビリ再開と、これからを考える

2010年2月1日2:55

試験が終わった時間の続き
  

 昨日の解放感が、何だか不完全燃焼に終わったので、今日もう一度やり直しをした。

 起きてから、もう一度昼寝をしてみた。うーん、やってみたかった。

 それからプールに行こうと思って水着を持って出た。プール、全然行っていない。体重が7キロ増えて、かなり危機的な状況。今日から、ダイエット体制に入らないといけないかも。

 それとタバコをやめようと思う。そう思いながら今日は吸ってたけど、何だか苦い味だ。気持ちがほんとうにリラックスしている時のタバコはうまいかもしれないが、それも、今日吸った内の何本かだけだったかな。

 
  街に行き、もう一度カバンを見る。今日見て気に入らなければやめよう。昨日。気に入った色がなかった。思ったよりも濃い色のでもいいのだけれど、昨日は、カバン買う金額でミシンを買ってしまったらいいのかもと思ったりもした。結局、一つ目の店で、他の店に1個だけ在庫があるのがわかって、電車で見に行った。そう、この色を探していたんだ。ごほうびにやっぱり買おう。 
 それから、別の所で革の手入れ用クリームとブラシを買った。試験勉強の合間に、靴や革のリュックにオイルをつけたり磨いたりしていた。これをじっくりと時間をかけてやりたかったんだ。ブラシは豚毛と馬毛とがあり、オイルは色々な種類がある。ツヤが出るオイルとブラシを買った。それと、ずっとはいている何足かの靴のつま先のスエードの所が少し汚れてくたびれてきているので、スエード用のクリーナーと栄養のスプレーを買った。それから、革にホックを打つ小さい道具と金具をいくつか。 
 電車に乗っていて気づくのは、立ったまま勉強しなくていいんだということ。勉強のことを考えなくていい。楽しいと感じることをしていていいんだと、改めて思う。自由なんだなあと思う。試験も、自
由の中で自分で選んだものだったはずだけどね。期限が決まっていて結果が出ることというのはここまで自分に負荷をかけるものなんだな。好きなことを好きなだけしていい休日。じわじわと、終わった実感がやってくる。

 
 何ですっきりと終わった感じがないのかと考えてみた。ひとつは、明確な答えが出ないこと。それと、資格のための試験であり、正確に理解し覚えるためにやってきたことが、試験が終わった瞬間に意味がなくなってしまうこと。自己採点した後に、間違った所を復習すればいいはず。復習して内容を確かめることを自分に課してきたし、それがここ数カ月求められた必要なあり方だった。なのに、試験が終わると、まったく読み返す必要がなくなっている。本来は正確な理解のためだから、再度確認し、実務に必要なことは確実に身につけるのが、正しいあり方のような気もするが、終わってしまえば結局どちらでもいい知識というのが、割り切れない感じとして残るのだ。 
 たぶん、もう少ししたら、プリントしたたくさんの官行の報告書や試験のためだけにある学校の配布資料の類を捨てるだろう。その中で、必要なことを再度見直して残すことをすると思う。学ぶ中から得たものを自分で確かめる作業をする。そうやって、気持ちの整理をしよう
  

 

 


2010年2月16日1:59

不調だかなんだか
 

 数日頭が痛くて、喉も痛くなったり、痛みが引いたり。薬を飲んで早々に寝たら、こんな時間に目が覚めてしまった。 
 このところは、予想どおりというか、予定通り忙しく、プレゼンが2回目まで終了。今週の木曜日にあと1回がある。それから、事業のプロポーザルがあり、企業訪問があり。今月だけでも、何とか乗り切ってしまいたい。 

 最近は何をしているかというと、色々なもののメンテナンスに追われている。3月中までに支払いや物の整理をする、というのが試験中からの予定だった。気になっていて、やっていないことがたくさんある。

 辛うじて手をつけたのが、TUTAYAのポイントカードにスポーツクラブの会費分が加算される手続き。なんて小さい一歩なんだろ。それと、大量にたまっていた郵便や保険証書や領収書などの整理と、試験に使った本などを職場に運んだ。あとパソコン1台のハードディスクを大容量のSSDに置換し、今2台目に取り組み難航中。2台目がこれまで動かなかったのが、パソコンを横に倒して起動するというあり得ないような方法で動いたため、辛うじて全データのバックアップを取れた。これが置換したSSDに書き戻せないでいる。パソコンがSSDの容量を間違って認識してしまう。これが故障そのものなのかもしれない。頭が痛いので、これ以上考えるのはやめようと保留した。 
 このように、背負ってしまったものを整理するのが面倒で、捨てるのも大変手間なのだ。処理しなければならないものに、動かしていないバイクやエンジンから異音がする車がある。パソコンは1台は直ったからいいようなものの、物を背負っているのを、とても面倒に感じている。全部捨ててしまったら、すっきりするだろうなと思う。背負っているからには、メンテナンスするなり適切な処分をするなりしていかなければならない。ひとつずつこなしていくか。
 

 

 

 
2010年2月16日2:05

オリンピック

 

 上村愛子は、2回目のエアの着地で足がそろわず、姿勢が崩れた。それが、メダルとの差だったらしい。涙を流しているし、きっと彼女の気持ちは私の計り知れないものだろうと思うので、あまりちゃんとニュースを見ていないが、全力を出し切ったという気持ちと、偶然に近い悔やみきれないミスとの間で、割り切れない気持ちで過ごしているのだろうなと思う。

 4年間極限まで努力し続けてきて、一瞬で終るというのは残酷だなと思う。もっと長く努力してきて、試合直前の練習で亡くなってしまうというのも、あまりにも酷い運命だと思う。そういう刹那が凝縮されているのが、ひとつひとつの試合なんだろうな。だからこそ、すごいんだろうな。
 

 

 

 
2010年2月17日2:07

一日乗りきった

 

 3つの訪問と打ち合せを、何とか乗り切った。あとは山場は、木曜の講義。その資料作りができていない。今日は、本当に時間がなかった。結局、1つ目の訪問までに目を通しておく必要がある資料は、直前にモスバーガーで10分で読んだ。3つ目で目を通しておく資料は、2つ目の打ち合わせの待ち時間に、10分間で立ったまま目を通して、意見や今後の展開を書き出した。

 昼食は、一瞬座ることができた瞬間に、サンドイッチをお腹に押し込んだ。とにかく時間がない一日だった。こんな中でやっていけるのは、訪問先に同行する人との関係ができていること。チームメイトと訪問するような感じなので、そういう安心感に救われている。それと瀬戸際で生み出せると自分の力を信じられること。きっと私は何とかできるんだろうなと思える以前は、勤務時間外の夜や土日に何とかしようという力技だったが、今は体力がもたないので勤務時間内で、あとはギリギリ期限直前で何とかする方法を見つけるだろうと思う。 
 相変わらず頭とのどが痛いので、寝よう。

 

 

  
2010年2月17日2:11

アートか科学か

 

 そんな議論が、私の専門分野には古くからある。アートというのは、数値化や基準が設けられず、人間が感覚的なものを用いて総合的に行う、というような意味だろう。人と感覚を重要視する。そうなのかな、と思った時期もあった。でも科学者のドキュメント番組等を見ていると、科学の側面もあるのではないかと思う。あるべきだと。行動にも集団にも心理にも、科学はあると思う。これを全部アートだと言ってしまうと、何も継承されないと思う。両方だと思うけれど、科学という側面をちょっと強調して考えると、何か生まれてきそうな気がする。
 

 

 

 
2010年2月21日23:35

寝た

 

 先週の始めくらいから、頭とのどが痛くて(もう少し前だったか)、何とかだましだまし1週間を過ごし、週末になって倒れても大丈夫な状況になったので、2日間寝込んだ。

 金曜は午後に熱があったようで、薬を飲んで、たまたま職場に誰もいなかったので、1時間半くらい寝た。そして、夕方にあった大事な話し合いを何とかこなした。

 今月忙しいのは予め予想できていたことで、特に3週連続であった3・6・6の合計15時間の講義が、準備だけではなく、当日の体力が予想以上に消耗していたようだった。6時間続けて立ったまま話をしていても、その当日は興奮状態にあるのか、疲れは全く感じない。そのダメージが後から来るのだろうなと思う。先週は、木曜日には体力を使いきってしまっていたのかもしれない。 


 このところずっと軽い風邪を引いていて、考えた。私は免疫抑制剤を飲んで体の抵抗力を下げながら、一方で、風邪を引いているので風邪薬や抗生剤を飲んで風邪に抵抗しようとしている。これは、拮抗する二つの薬を飲んでいるので、かなり無意味なことなのではないかと。そういうバランスがとれてしまっているのか、軽い風邪はずいぶんと長いこと私の中に居座っていた。 
 それと思うのは、免疫力を上げなければダメなのではないかということ。免疫力が自分の体に対して誤って攻撃してしまったのだということだが、だからといって、体がもっている本来の免疫力を下げるのは何か違う。薬はもっと違う作用をしているのだろうから、微量飲み続けるのは良いにしても、自らの体がもつ免疫力を上げる努力というのは、当然した方が良いのだろうな。悪い菌とか悪い状態に対して体は戦おうとするのだから、その応援ができるように私がふるまわなければいけない。ちょっと、まだ死にたくないな、と何となくではあるが、結構現実味を帯びて感じることが時々あるので、そのための努力をしようかなと思う。

 

 

  
20102241:33

水に乗る

 

 久しぶりに泳ぐと、何だか体がギクシャクしている。手足の動きがちぐはぐで、水のなかでもがいているよう。力を入れても、前に進まない。手は空をかくようで、足の甲は水を押せない。

 何往復もしてみる。やっぱり、体が自由に動かない。体と水は別々の物で、固い体が沈んでゆく。水が冷たく感じる。少しあきらめて温水で体を温めてから、前にやっていたように、体のあちこちを少しずつ伸ばす。一つずつの筋肉に血が通うように、筋肉が目覚めるように、そして力が抜けるように。

 もう一度水に入る。体が少し温まっている。右腕が水を感じて、つかむ。足が太ももからしなり、水を押し下げる。立ち止まって水の中で手を動かして、水を感じようとしたり、水のちょうど真ん中あたりの深度でドルフィンキックで水中を泳いだり。そうやってやっと体が水になじんできて、水に体を委ねられるようになる。力が抜けて、全身の隅々が水を感じられるようになったころに、水に乗ることができる。しなやかに、柔らかい水を感じながら、ゆっくりと確かに、水に乗ることができる。

 

 

  
2010年2月24日1:49

ノートを買った

 

 スケッチブックのように、上がリングの針金で束ねられている方眼のノート。朝、今日の仕事を思い描いても山積みであることは数日間変わりなく、そんな気持ちの澱をすっきりさせたくて、ノートを変えればいいのではないかと唐突に思った。職場に行く通り道に朝早くから夜遅くまでやっている文房具屋があるのだった。そこに立ち寄り、始業時間に構わず、ノートをじっくりと色々眺めてみる。今日は職場は私しかいなし、どうせ昼食を買いに出る時間もないだろうから、多少遅れても何が困るということもないだろうと思った。

 それで黒い表紙で紙質は少し厚めでキッチリとした感じの、A4横使いのノートを買った。たくさんの予期しないことが、いつものように起きながら、一日を結局慌ただしく過ごし、夜になってから誰もいない職場でノートを広げてみる。やることをスケッチしてみようと思って書き始めた。紙の空間が広い。私が自然な速さで、読みやすい程度の大きさの文字を書いた時に必要な紙の大きさがあって、それがA4横で辛うじて収まり、流れが描けるのだろう。今までのノートは狭すぎたのかもしれない。

 それとリングノートは掌が当たるのが嫌で、中学の頃からずっと使っていないのだが、横使いを上で止めてあるのであれば手に不快な刺激はなく、そしてリングは開いたままにしてスペースを取らないので使いやすい。いつでも書く準備ができていますよというたたずまいと、キッチリと紙が平らに広がっているのが何だかいい。

 方眼は好き勝手に書けるのもいい。字だけでなくて図でも絵でも構わない。何か書きたくなる。こんな気分で明日も書いてみよう。ただひとつ問題は、持ち歩くのには重いことだ。仕事のリストを持ち帰ってどうするということもないので、職場に置いてみよう。リストを使うとすれば、急な体調や都合で仕事に行かれなかった時と、仕事を持ち帰る時、それからそんなことは滅多にしないだろうけど、朝気持ちの準備をしてから行くとか喫茶店で今日の仕事を眺めてみるとか。急な都合の場合には職場にいる職員に電話してリストを読み上げてもらうとかFAXしてもらうとかすればいいのかなと思う。どうしても必要なことなら、コピーして持ち帰るとか転記して帰るだろう。
 

 

 

  
2010年2月27日2:57

さかもと未明

 

 最近、一日の中にあるわずかな時間で、少しずつ本を読んでいる。読める気分の時にだけ、読めるページ数を読んでいる。

 もう少しで読み終わるのは、椎名誠の「帰っていく場所」。何日か前に読み始めたのは、さかもと未明の「神様は、いじわる」 


 今日、午前の企業訪問の後昼食を食べてから職場に戻ろうと思い、時間があったので、ハンバーグランチを食べながら、さかもと未明の本を読み始めた。前までに読んでいたのは、彼女が病気を発症した頃のことと、その前の忙しい生活についてだった。発症の様子が私にとてもよく似ていて実感を持ってゆっくり読んでいた。そしてこの人は自分の言葉で丁寧に自分のことを書こうとしているようで、とても気持ちのこもった等身大の言葉は好感が持てた。久しぶりに良い本に出会ったと思いながらゆっくりと読んでいた。

 そして、今日ご飯を食べながら中途半端な気持ちで読み始めると、その内容は、予想外に壮絶だった。それで、食べながら読もうとした私が悪かったと思い、静かな所で気持ちを集中させて、かしこまって読みますと思い本を閉じてカバンに入れてしまった。この後、気持ちにゆとりがあったら読もう。

 

 

  
2010年2月27日3:46

やることを考えてみる

 

 そんな訳で本を読むのをやめて、ずっと気になっていた、仕事以外の時間をどう過ごすのかを考えてみた。今使っているジャバラの手帳は、下がプロジェクト計画表のようにカレンダーに沿って罫線が引いてあり、各項目の進捗が書きこめるようになっている。年の初めに使い始めた時にそこにある15位ある行をどう使うのかを考えた。下の5列を仕事以外のことを書く欄にして、その欄には仕事を書いたりメモを書いたりせずに死守するという覚書を書いた。けれども今年に入って2カ月間その欄は空欄のままで、上の同時進行の仕事のタスクが書ききれなくなり2行を仕事欄として譲ったりしていた。 

 1月は資格試験があり、他に何かをする余裕がなかった。資格試験は仕事関連ではあるものの、自分のために作った時間なのでその欄に書いても良いことだ。2月はいくつかの講義等が毎週詰まっていて、毎日を乗り越えるのが精一杯だった。試験のために様々な予定を2月にずらしたため仕方ないことであり、予期していたことなので自分でも納得がいっている。1月の欄には試験に集中したと書いた。2月は乗り越える月だったと、それから月の途中には寝込んだと書き込んだ。 

 3月からは自分でコントロールして過ごす月。どうするか。ずっと前、大学生の頃からイメージしていたのは「自分大学」という言葉。学校に通わなくても自分でテーマを決めて系統立てて勉強していくやり方。一番興味のあること、将来やりたいテーマを決めて勉強すればいい。今思うのは将来の大きなツールとしての英語。それと小さいテーマでいくつかのこと、これは専門性の裾野を広げるため。系統立ってというのが難しいな。全体像がつかめない自分の将来像の系統作りは難しい。大学図書館の心理のビデオを見るというのも以前考えていたこと。 


 そういうIntelligence(本=仕事とそれ以外)以外に考えた項目は、HealthRelationshipCreateJoyLife(特にお金に関する整理)。でHealthに書いたのがたばこをやめるとプール、体重のコントロール。病気を再燃しては何もならないから。Createに書くこと、色鉛筆、写真。単なるJoyとして車、ピアノ。これは今思いついただけの項目なので、もう少し本当に何をしたいのかを考えてみた方がいいのかもしれない。とりあえず横軸だけ作ってしまい、できるところから手をつけて無為に過ごさないようにしよう。

 

 

  
2010年2月27日3:50

大きな山を越えるあたり
 

 2月のやらなければならないことが8割位終わった。今日夜遅くまでやったのが企画書2つ。あと、事業計画を2本と講義のフォローアップ資料を作れば大きなものは終わる。ちょっとホッとした。

 
 それで夜中にTUTAYAに寄ってCDを2枚借り、車の本を3冊買った。あと4月始まりの手帳が並んでいたので手にとって眺めてみたり。 


 今日昼に一人で昼食を食べながら、今が楽しくてしょうがないなぁとふと思った。気持ちが充実している感じがする。日々辛いこともたくさんあるけれど、何だか楽しい