[2010年9月]見えないどん底で気持ちを保つ
2010年9月7日02:06
どん底
底。
また、ここから始めるんだな。
いつか思いだしたら、今のすべてが懐かしいのかな。
それにしてもしんどいなあ。
あんまりしんどいと、ちょっと笑ってしまうなあ。
2010年9月7日23:26
どん底でも
どん底にいても、お気に入りのジーンズをはいて、一番頼りになるハイカットのスニーカーで、勝負時計をして通院するんだからなあ。まだ余裕があるのかもしれないな。いや、意外としぶといのかもしれない。今日は、通院による点滴一日目だった。効果はまだ見えない。
なんでだろうなあ、今がとても充実している気がするんだ。
しみじみ噛みしめるような気持ちで過ごせる。
2010年9月10日0:46
なんでかな?
なんで体調が悪いのに充実してるのかな?と、いろいろと考える。
ひとつは、自分の原点に立ち返った感じがするからかな。私、病気を発症した時に、自分の中の何かが大きく変わってしまったんだと思う。病気の体の私が私なんだって、認めた。その後、あり得ないことなんだけど、何だか治ったの?、と思うような感じもあり、ちょっとそのことを忘れていた。やっぱり私は私なんだな、ということに、もう一度気づいているかもしれない。
そして、不自由な中で意識するのは、時間の限界。自分に残されている限られた時間の中で、何をしたいのかな?何ができるのかなって考える。だから本当に食べたい物は何だろうって思って、好きな物、体が欲する物だけを楽しんで食べたり、今やりたいことを考えて、それだけを優先してやってみたり、気にいった物を吟味して身につけたり、今まで気になっていてできなかったことをやってみたり。見えなくて気分はあんまり良くないけど、それはそれで、何だかとっても楽しい。
それと、体調改善へのプロセスかな。一度病気の状態になって、自分で考えて感じてコントロールする方法をやってみて、少しずつ効果が出て。今回は失敗してしまったけど、改善に向けてのプロセスをやっているというのは、努力目標がわかりやすくていい。そのためには他のことを犠牲にしてもいいというルールも、安心感があっていい。病人だからね、という言い訳は、何事にも優先してしまうというのは、ある種気分がいいことなのかもしれないな。特権か?
本当は、仕事の上では、再び大きなピンチもある。人事上のことなので外に漏らしてはいけないことなのだが、一人で抱えているのも結構しんどいのが管理職。だから、こんなところで漏らしてしまうが、ベテランの主任から、退職の意思表示があった。かなり確定的なことだと思う。主任と新人と二人の非常勤の集団で、新人は半分鬱のよう、一人の非常勤はメニエール、もう一人の非常勤は退職再雇用なので力にも限界があり、その中で今年3月から来たベテラン主任の退職なので、相当な痛手にはなるだろう。
派遣先企業からの引き抜きだが、先方の条件提示もあるが、それ以上に今の団体でのでのスキルアップやモチベーション維持の限界だと思うし、現所属組織の中で自らの課題を発見して維持していけないのは、その職員の限界でもあると思う。
条件としては、悪い団体ではない。私の中ではその職員の限界へのあきらめ感もあるし、これまでもこの種別の業務を行う職員は、外の世界との接触が多いだけに、他の職場に移った者も多く、それぞれのキャリアの中でのチャンスととらえれば、十分あり得ることだと思う。私にも考えられる可能性なのだ。自分がこれまで積み上げてきたものを、新たなフィルターに通しながら試すチャンスでもあるから。だから、余り惜しいとも思わないし、残念とも思っていない。部下にビジョンと夢を見せることができていないんだな、という反省はある。でも、どうにもならないのが現状だから。確かに一職員としては、働いていたと思う。それは、前の新人職員とは違う経歴だから。一方で期待する役割は一職員ではなくて、主任であり管理職候補だから、期待するレベルの1~2割程度の仕事しかできていなかったと思う。前職場が長すぎたのだと思う。その中では最も楽に人に指示を出して動けただろうから。新しい職場で新しい環境をつかんで前に進むことができなかった。また、企業との間に個人的関係で業務を提供しすぎる傾向が強かった。これも事業従事者としては、間違っていたと思う。
そもそも、この事業そのものが、私一人から始まったものだし、また最初に戻るんだなと思う。何とかなるさ、と思う。とりあえず、今月中に体を何とかして立て直そう。不安がないのが不思議なんだけど、これまで激動すぎたので、きっと何とかなる、何とかできるだろうなと思っている。
2010年9月13日1:22
悪い条件は重なるもので
職場の非常勤の家族が、腫瘍の大掛かりな手術で、10月に2週間休むことになった。これで2名欠で、二人が病人、一人が再雇用職員。あららー。まあいいか。考えても仕方ないしな。土日、何となく今後の大変さを想像していたら、胃が痛くなってきてしまったぞ。無駄なので、考えるのをやめよー。
2010年9月13日1:24
新しいノート
新しい黒い革の表紙のノートに書き始めた。
これを立ち返る場所にしようと思った。
表紙の裏に、「大切にすること」を書いた。
2010年09月13日19:42
しない、という選択肢
たぶん初めてじゃないかな。しない、という選択。
昨日も、夜中にやりたいことがあった。でもやらない。昨日は一つやったから。
今日の仕事も同じ。今日は、三つもやったから。
一日一つできればいい。欲張るのはやめよう。
2010年9月13日20:10
生きるっていうのは
生きるって、何かを積み上げていくことのような気がしてたけど、もしかしたら捨てていくことなのかもしれない。
研ぎ澄ました感覚の中で、本当に大切なものを削り出すように、切り落としていく。
2010年9月13日20:15
そして食う
仕事をやめて職場を出て、老舗のとんかつ屋の厚切りロースカツ定食を食う。一心に食らう。キャベツとご飯をおかわりして食らう。
まくて涙が出そうだ。
なんてうまいんだろう。最後に好きな物を、と言われたら、これを選ぶかもしれないな。
2010年9月16日0:09
兆し
予感が確信になりつつある。期待は、翌朝の目覚めと視野の乱れで、何度も打ち砕かれてきたので、兆しには慎重になっている。今日の点滴でも、効果は出ていないようだったので、今回はダメかもしれないとあきらめ気味だった。視覚障害者として生きていく覚悟を、そろそろしなければいけないのかもしれないな、と思った。
夜、ここ数日そうしているように、寄り道をして帰りながら、車の運転席に座る。どうしてだろう、いつもそこに座ると、遠くが見えるような気がするのだ。薄暗いからなのか、見えやすい右の視野側に窓があるからなのか。そして、近くの窓ガラスやミラー、ハンドルと、遠くの街灯やその向こうにぼんやりと見える空のコントラストがよいのか。それよりも、車が、空や海につながっていて、本当に一人になれる静かな空間だからなのか。見える気がする。そして、確かめるように遠くを見ると、確かに見え始めている予感がするのだった。いけるかもしれない。
その後、団体のスーパーバイザーから緊急の連絡が携帯電話に入った。退職を決めた中核職員の後任候補について、候補として指名していた職員は先方の責任者から固辞された。仕方ないと思いつつ挙がってきた名前は、その上司に当たる職員、私がかつて一緒に仕事を作り上げてきた者であり、前の事業運営をその人に一任した者の名前だった。おそらく団体内では最もこの分野に長けている職員。打診を受けるというレベルの問題ではなく、これ以上の候補はいない。現在の欠員を補充するだけでなく、力を結集すれば、今よりも事業展開を広げることができる存在。
最後に、最高のチャンスをつかめるのかもしれない。活路を開けるチャンスが、巡ってくるかもしれない。人事交渉をサポートしてくれている人たちは私の最高のサポーターで、高齢化している彼らが、最後にくれる贈り物かもしれない。
2010年9月16日0:19
踏みとどまること
今回の不調や人事を通して感じ取ったこと。
お盆前くらいの辞職の打診だった。これは途方に暮れる状況。辞職が明らかになりつつあった時期と体調不良が重なった。
お盆から、次の展開を準備していた。今止まらないこと、ジリジリと気持ちだけでも前に進み続けること。来る秋に備えること。ほんとうに指先がかかるかどうかの取っ掛かりに指先を掛けて、一ミリずつ指を前に動かし、手のひらを動かして、いつか全体重を乗せようかという気持ちの動きを続けた。
一方で、自らの体調によって気持ちを下向きにしないこと。そのためのノート作り。ノートの最後のページに、大切にしたいことを書いた。その言葉を何度も自分で噛みしめるようにしながら、気持ちの拠り所にして、踏みとどまっている。そして待つこと。時が来るのを待つこと。そのために、今を捨てること。自分を保てる時間を持とうと努力すること。今、この時点で、自分が本当にやりたいことが何か、自分の体の声に耳をすますこと。
**大切にすること**
一秒でも長く生きること
そのための努力をすること。
今を大切にすること。
笑うことを、忘れないこと。
ひと休みしてもいい。でも歩みをやめないこと。
誰と共に生き、誰に支えられているかを感じ、感謝すること。
逃げずに見つめ向き合うこと。
足あとを残すこと。
包み込むすべてのものを感じる。感じ取る。
2010年9月16日0:29
水に教えてもらった
いつ気持ちが救われたのか。
それはたぶん、水の中。
思うように体が動かなくて、イライラして
町を歩いていても気持ちがささくれ立っていて。
そんな気持ちで、明るい水の中に入った。
水は優しくからだを包み込んでくれて、
気持ちを全部逃がしてくれた。
私の体を、空気のように軽くしてくれて、
私を乗せてくれて、ゆっくりと前に送り出してくれた。
そうか、と気づく。
自分の気持ちの張りつめている様子や体の硬さ。
水を制しようと、水を強引に掻いて前に進もうとしていた自分。
それが前向きに生きることと誤解して、力づくで進もうとしていて、
そんな自分に気づくことができないでいた自分。
いつかも、教えてもらったはずなのにね。
包まれて、支えられて、救われて、自由になる。
そして感じる。
私が自然の一部であること。包み込まれて生きていること。
もう失うものはないのかもしれない。
2010年9月18日2:20
疲れる
色々なことは何とかなる、何とかするのだろうなあと考えるものの、具体的なカレンダーを見て、今やりかけの様々なことと、今後に入りつつある予定を考えると、気持ちがふさいだようになる。そして、そんな気持ちのストレスのせいか、目の調子も良くなくてイライラする。いかんなあと思いながらも、気づくとイライラしていたりする。
ストレスが発症の要素だとすると、ストレスをフリーにするというのは、とても難しいことだ。日々の単位で拮抗しているのであれば、それこそ対処が難しい。根本的な体力とか抵抗力を上げるとか、そんな方法を考えなければだめだのだろうか。
そしてちょっと恐ろしいことに、今回の発症は、左足先のしびれがあったり、今日は右足もすこししびれていたり。
前にも時々あったことだから、何とかなるとは思うものの、ちょっと恐ろしい。
この間、いろいろ考えたが、それは手帳に書き止めてあるので、また書こう。
2010年9月19日0:25
修行のよう
気持ちを解放して休むことが、回復に大切なこと。頭ではそう思うのだが、目を開ければ見えない現実があり、目眩がして思うように体が動かず、世の中を歩けばイライラするような状況で、気持ちを平穏に保つというのは、とても難しい。それは修行のようなこと。悟りに近い状況だ。
それでも、どれだけ短い時間で自分の気持ちの動きに気づき、どうやって立て直すのかを、一日の内に何度もやってみている。
病気に向かう体と気持ちのスイッチが体の中にあるようで、それは多分気持ちとも連動していて、オンになったりオフになったりしている感じがする。こいつを意識的にオンにできるかどうか。そのための自分の足跡を忘れないようにしよう。
2010年9月21日1:32
眠ってすごした
一日、ずっと眠って過ごしてみた。
いくらでも眠れた。
改めて考えてみると、「病気が良くなった人が、仕事をしたりして毎日暮らしている」のではなくて、「引き続きの病人が、どういうわけか奇跡的に仕事をしている」という感じの方が、現実に近いのかもしれない。病人だから、そりゃよく眠れるのだよなあ。普通に疲れているのではなくて、私の体は病気と常に闘っているのだからなあ。偉いなあ。いたわってあげないといかんなあ。そして、そんな状態で暮らしている私というのも、偉い人だなあ。
夜、少し外に出てみたら、昼間寝すぎたせいかエネルギーがあり余っている感じになり、やや興奮気味でもあった。治りてぇ!と思うし、まだ死ぬもんか!と思う。やたらとやる気満々の感じで、体が熱くなり、汗びっしょり。これもまたちょっとおかしいと思い、自らクールダウンした。
2010年9月22日1:06
三度目のパルス
主治医に相談して、主治医はあまり勧めなかったのだけれど、三度目のステロイド・パルスの点滴をすることにした。繰り返しの強力な免疫抑制剤投与は、体の抵抗力を極端に下げるので、感染症のリスクを高める。一方で、視力が全く回復しておらず、何の手だてもない状態。
今週が、大きな異動と職員の空白期間の激動の前に、辛うじて治療環境を整えられる時間を持てる最後の時。「治療に専念するからもう一度」と話して、点滴を行ってもらうことにした。最後の望みをつなぐ。点滴3日目は祝日で、外来は休診日。お願いして、救急室で点滴をしてもらえるように調整してもらった。
一日目を終えた夜。毎日のように少し歩いて、視野を確認。車に行って、力を抜いて自分を感じる時間。
中心の右側の視野がやや良好。眼鏡をかけた状態で、5メートル付近のピントが合うことがある。中心付近、自分の腕を伸ばした手の甲に、ピントが合う。ほんの一部だけど、久しぶりのクリアな視界。前回、ここで油断して、いい加減な生活を送り悪化させたのだった。今回は慎重に、眠り、明日の点滴に備える。
2010年9月24日0:20
秋雨前線
きっと、秋雨前線のせいでしょう。
体調、気力は、offというよりは陰。体が鉛のように重く、イライラし、やること全部が噛み合わず。目は、本日3セット目最終日の点滴ににもかかわらず、今までで一番調子が悪いような感じ。
財布を忘れ、取りに帰って外に出ると雨に濡れ、病院でも様々なタイミングが噛み合わず、昼ご飯を食べれば、タッチの差30秒でセットコーヒーのお代わりができず。しまいには、帰りの駅の改札で、駆け込み乗車の若者が滑って転んでスライディングしてきて、私の足を掬って転んだ。このまま外を歩いていると、空からミサイルが降ってきて頭に当たるのではないか?くらいの感じだったので、帰っておとなしくしていることにした。
明日からは激動の日々が始まるのだろうという想像はつくが、一つ一つクールに淡々とこなしていこう。
気持ちの準備と整理はできている。
今日は、もう眠ろう。