よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

【日刊】びょういんつうしん その3

プライド 


 病院は羞恥心に余り配慮がない場所だ。そんな中で、プライドって何だろうと思う。

 
入院した翌日、部長回診があった。部長というのは、院内では相当偉い人らしい。その教授は、日本でも五本の指に入る神経内科の権威だということは、後に患者同士の世間話の中で知った。
回診というのはテレビドラマ『白い巨塔』とかで見るあれだろう、と想像はしていた。偉い先生を先頭に、患者の病状を説明する中堅ドクターと、その他のインターン、全部で約10名の行列は、本当にドラマとおんなじようにぞろぞろとやって来た。ドラマと違っているのは、「財前教授の回診です」の放送が流れない所くらいだった。
 
私は前に行った病院からその教授を紹介されていた。そしてまた、私の原因不明の歩行障害は、ドクター一同には興味深いものらしい。
私のベッドは10人に囲まれて、これまでも何度もすべての病院で繰り返されたように、教授の手直々にハンマーであちこちを叩かれ腱反射を観察されたりした。ペンライトで瞳孔を照らしたり、目玉だけで動きを追ったり。
そして、立って歩くように言われ、よろよろの歩行で歩いて見せる。確かに歩けない様子を皆で確認する。目をつぶって立つよう指示。これは無理。今まで何度もやってバランスを崩したし、毎朝洗顔のたびに尻もちをつきそうになるのをこらえてきた。「支えるから大丈夫」と言われたが、会って二日目の中堅ドクターを私は信じられない。倒れる前に目を開けた。ここまでは、まあ良かった。困るのはこの先だった。
 
次に、皮膚感覚を見るから下着一枚で仰向けになるよう指示される。そして、安全ピンのような物でチクチク足先から胸まで刺していって、痛さの境界を伝えろという。痛覚の検査なのだろうが、これが痛いのだ。
そして、どこが境目と言われても、マヒしているのだからよくわからない。何となくあてずっぽうで答えていたら、それは昨日の担当医がやった時とは違うらしく、担当医は注意され、困っていた。何とか取り繕おうとして、「昨日より進行してます」などと答えている。進行していないと思うが…。その言い訳により、私の病気は進行している事になったらしい。
 
私が気持ちのどこかで引っかかったのは、パンツ一丁の姿で10人に囲まれて観察されている状況だった。パンツ一丁の私を放ったまま、教授は神経の仕組みを説明したり。今度はパンツを少し下げて針で引っかいて皮膚の反応を見たり。それを見てみんな感心したり、うなずいたり。
医学的所見としては面白いだろうけど、私の人格はどこへ行ってしまうのかな。患者だから、女子学生も含めた若い金持ちの育ちらしいインターン達の前でこんな姿を曝さなければならないのか。私は病気を探し当ててほしいから、そして幸い銭湯に行くような育ちだもんだから、パンツ脱ぐ事にも抵抗感がないから良いけど。例えば女性の患者にとっては、これは辛いだろうなと思う。私は相当協力的に、そして仕事柄もあって、記録に書くようなていねいな描写で、痛みの様子やこれまでの変化を説明したのだった。
 
 
入院時のアンケートに、「入院に際して不安なこと、気がかりなことは何ですか?」という問いがあった。私は、「入院期間の見通し。予後。トイレ。」と書いた。「この「トイレ」は何ですか?」と後でドクターが聞きに来た。私は、「トイレはできるだけ、最後まで自立していたい。ベッドの上ではなく、トイレまで行って排泄したい」と答えた。ドクターは、「うん、なるほど」としきりに感心していた。患者で入院時にそこまで考えが及ぶ人はいないので驚いたのだということだった。
どうしても、ベッドの上での排泄はいやだった。だから、手術したらどうしようと思っていた。かといって導尿もいやだった。しびんはかろうじて受け入れられるが、オムツの中に排泄するのは、その感覚を思い浮かべるだけでいやだった。
 
そうなった時に、そしてオムツを誰かに交換してもらう時に、私のプライドは傷つき、人格の輪郭が崩れ始めるのかもしれない。
 
 
入院した日は、一人でトイレに入ることは許されていた。病院まで電車に乗ってきた訳だし。車椅子は、学生の時のアルバイトで乗る練習をする機会があったから、便座への移乗は難なく行えた。
けれども、翌日の日勤の看護婦にそれを止められる。移乗を一度やって見せてほしいと言われ、乗り移ると、「やはり見守りが必要」という方針になった。院内の転倒事故が相当多いらしい。フロアの入り口の一番目立つ所にも、注意を促す手作りの大きな説明が壁一杯に貼ってある。このようにして、私はトイレのたびにナースコールを押すことになった。
初め、「立位のままつかまり立ちでズボンとパンツを下ろせるか?」が疑問視され、この動作にも補助が入りそうな雰囲気だったので、「大丈夫です」と押し切った。私が患者の中で比較的若いこともあり、看護婦も大半が20代だろう。遠慮もあってか、それ以上の指示はなかった。
ついでに尿量を量る「測尿」というのをドクターの指示ですることになったという事。便座への用具のセットのために、ナースを呼ばざるを得なくなった。これは勝手にトイレに行くことへの防止策のような気がする。というのは、私の病状で尿の量を量る意味がわからないからだ。なぜなら私はフロア外に自由に出てサイダーやペプシコーラやお茶を買っては大量に飲んでいる。摂取量を量らずに尿量を量っても、何の代謝測定にもならないはずだから。いずれにしても、したばかりの自分の温かい尿の入った容器を他人が目近に見て、運び、処理しているのは、余り気持ちの良いものではない。以前知り合いの看護婦に聞いたところ、専門職としては健康を見る資材にすぎず、汚いというような感情の入る余地は全くないとのことであったが。
 
トイレナースコールと測尿でも、私のプライドはまだ傷つかないらしい。その後夜間の私の足元のふらつきを見て、「夜だけはベッド上で採尿器にするか」との打診もあったが、患者を良く見て理解してくれそうなその看護婦には、明け方、しっかりと目を見て、「トイレだけはできる所まで努力させて下さい」と伝えた。
 
 
不覚だったのは入浴だった。
入浴は自力でできる旨伝えていたが、トイレの移乗に見守りがつく私が単独で入浴できるはずはなかった。車椅子からシャワーチェアーへのトランスは、滑りやすい床面の危険度から慎重だった。看護婦が胸に私の腕をしっかりと抱きかかえるようにして行われた。半そでの私の腕に、はっきりと乳房の形が感じられたのを意識してしまった。その瞬間、立位のまま下着を下ろさないと座れないため、看護婦が私の下着に手をかけて下げた。恥ずかしかった。私の体が少しだけ反応してしまっていた。
看護婦が気づいたのかどうかはわからない。私も気づかぬふりをして座り、看護婦も淡々と声かけをして浴室を出た。プライドが傷ついたというよりは、もう何も隠しようがなかった。ごめんなさいの一言でも言って笑えれば良かったが、とっさにはとても言えない。
その看護婦は経験五~六年位だろうか。ていねいで行き届いた声かけをする、柔らかく、芯の強い人であり、二十名近いスタッフの中で、私は一番信頼している。患者にまっすぐに向き合う気持ち、職務としての声かけの緩急と、必要な時の強さが、弱っている気持ちの深い所に届く感じがする。
 
だから、依存したり甘えてしまいそうで、私は自分を抑えていたんだ。その人が夜勤の日、気持ちの波が下がっていて涙が出そうで、ナースコールでトイレに一人で座っていて、泣きそうだった。でもそれは違う、そう思うのが私のプライドだった。
プライドを捨て、その人に背中をさすられながら泣くことができたら楽なのかもしれない。そして患者にプライドを捨てさせる看護婦は、プロなのかもしれない。甘えるのが上手な患者は、そうやって元気になれるのかもしれない。
 
病院という特別な場所で、私のプライドはこれからどうなっていくのだろう。
 
                           <その3 おわり>