よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

2018.12.31 心筋梗塞で救急搬送②

◍救急車

 
 いざ救急車が来ることになると、痛みが増しているような気がした。
 救急車が早く来ないか、マンションの前に出てみたり、歩いたら痛みが引く気がして、ロビーに歩いて戻りソファに座ったりを、何度かしていたと思う。
 何かまずい状況にあるな、という焦りだけがあった。具体的な思考はなかった。早く来て運んでくれ。サイレンが聞こえて、救急車がマンションの前に止まり、救急車のバックドアが開いて、自分でステップを上がり、家族と一緒に中に乗り込んだ。
 ベッドに横になるように促されて、横になった。以前の膠原病で入院して今も定期通院している総合病院ではなく、自宅から一番近い総合病院に向かうことを告げられた。膠原病の病院は、高速道路を使っても一時間はかかるから、救急で向かうには余りにも遠い気がした。その近くの病院というのは、希望しようと思っていた病院なので良かった。
 
 すぐに、救急車が動き出した。以前、同乗したことがあるが、救急車のサスペンションは突き上げるように硬くて、とても揺れる。頭を前にして進むのは、車酔いしそうで苦手だと思った。
 持病の膠原病のことや、飲んでいる薬等を訊かれて、はっきりとした意識で正確に答えながら病院に向かった。そういう冷静さはあった。
 ここ何年かずっと、休みの日には、5才の子どもと消防署に消防車や救急車を見に行っていたので、救急隊には親しみを感じた。そして、普段から救急の仕事は大変で、本当にありがたいと思っていたので、「消防ですか?」「どこですか?」と聞くと、区境を越えたところにある出張所とのことだった。一度だけ、夜に見に行ったことがある、小さい消防署だった。大好きな救急車に乗っているから興奮しているかと思い、子どもを見ると、神妙な顔をしていた。相当な驚きであり、状況が理解できずにいたのだろう。後で、祖父母には、「高機能救急車だった」と、冷静に説明していたらしい。
 
 15分くらい走っただろうか、病院内に入る、と告げられて、走りながらサイレンが止まり、小さい急坂を上る感覚があってから曲がって、救急車は止まった。