夜の住人
2008年4月15日(火) カーテンとテントとヘッドフォン
この病室のカーテンの仕切りって、やっぱりテントに似ていると思う。
普通、もう少し落ち着かないものなのかもしれないけど、私は全然大丈夫だ。どちらかと言えば、カーテンの外にはもうひとつ強固な壁や天井もある訳で、とっても安心。予期しないものが外からやってくる恐怖もない。ナースが時々巡回でカーテンを開けはするけど。
テントを海岸に張ったら、外は闇。風の音、草が擦れ合う音、風に木々が鳴る音、動物の息づかい、人の気配。五感を研ぎ澄まして外の様子をつかみ、緊張したり、心づもりをしたり、次の行動を考えたり。二十歳頃、テントで旅行しはじめた頃は、結構消耗してた。その内、「たいていのことは起こらない」という、諦念というのか、いいかげんさを身につけはじめる。そうすると、体が夜の空気になじむ。自分が夜の自然の一部になる。海の水に体がなじんで、水と一緒に揺れるのに似てる。
そんな色々のことと比べたら、ここは余りにも保護されている。なので、安心してカーテンはいつも全開。開けたまま着がえも、全く気にしない。テントの入り口開けてるみたいに、外を何かが通らないかな、とか、鳥が見えないかな、みたいに入り口から外を眺めている。たいてい通るのは静かなおじいさんとか、あわただしいナース位なんだけど。
そこで、テントのまわりを見て歩くみたいに、病院内(外も?)検索して回る訳。あの丘の上に登ると何が見えるんだろう、あの崖の向こう側はどうなっているんだろうって。そうやって、自分の切り取れる範囲の地図を作っていくんだ。
多分さ、始めに書いた『つうしん』っていうのは、その、外をつかもうとする気持ちの動きなのかもしれない。そして、だんだん気持ちが内に向くこともできるようになって。今日、今、耳を澄ます必要もなくなって、この『表』を作れたこともあって、治療が始まったこともあって、気持ちが静かに安定して保たれている。だから、今日、文字も文章も違うと思う。以前の文章に似ている。
初めて、今日はヘッドフォンで音楽を聞いている。今まで気持ちの中で避けてきた。不安定の中で自分の世界に没入することが、怖かった。抜け出せなくなる闇を見る気がした。大波の押し寄せる海岸で、テントの外確かめずにヘッドフォンしてしのぐみたいなもので、それはできなかった。
多分、今日、大丈夫と思えたんだと思う。すごいと思う、音楽は自分という空間を作る。遮断する、外との境を。聞き入るというよりは、もってきたCDが、昔から持ち歩いているなじみの深い物ばかりだから、聞いていた頃の空気を思い出してふと涙が出そうになったりするので、気持ちざわざわする。今まで生きてきた、どの空気もなつかしいので、いとおしくて、大切なので、嫌な気持ちではないよ。戻れれば、ってちょっと思ったりもする。
2008年4月15日 夜中1:33 夜の喫煙所のベンチ
1ページ目の途中まで書いたら、外の風に当たりたくなって、下に下りた。喫煙所には眠れない人が4人集まって、話すでもなく、何となく言葉交わしたり黙ったり。
年配が退院して、居る4人は多分40~50代。時々ラリッてるマリコと、関節入れた車イスのひろみさんと、かわいがってくれる首の手術したおじさんと、私。おじさんは首にコルセットはめてて、転倒防止のための巨大な歩行器押してる。
4人でボーッとしてたらチャイムが鳴って「業務放送、スタッドコール」という全館放送があった。スタッドコールは、全医師の緊急招集の事で、大事故があった時などにコールされるらしい。
4人は全然関係ないのに何だかわくわくして、きっと救急車とかが外来の急患搬入口にたくさん来て、ERみたいになるんじゃないの、と盛り上がり、そうしたら1台目の音が聞こえてきた。是非見に行かなきゃ、って病院のスタッフみたいに、現場に急行しようと思ったりしてるのだった。
それで大移動。巨大な歩行器と、ひろみさんの車イスをラリッてるマリコが押して、一番後ろを私が車イスで、ぞろぞろと変な行進。おまけにみんな歩行が遅いんだ。全員病人だからね。搬入口向かいの道に着いた時には、すでに1台救急車止まっていた。
でも、サイレンも赤灯もつけず、シーンとしている。車内で処置してるのかな、これから後ろのドアが開いてストレッチャーが出てきて騒然となるとか…。
病院前の車内では処置しないよね、着いてる訳だから。
5分位、じーっと4人で静かな救急車を眺めて、また静かに、ちょっとがっかりしながら喫煙所に戻って行った。
また言葉少なに4人でボーっとしていたら、おじさんが、「オレ、スタッドコールだったんだ」と言った。意味がわからず聞き直したら、「2ヶ月前の夕方6時に、一度心停止した。その時院内にコールがかかったって、後で聞いたんだ。あん時のこと思い出したよ」って。人工心臓にして3日後に意識が戻り、ペースメーカーを入れて、自分の体で生きられるようになったらしい。「オレ1回死んだ」っていう言葉が、あまりにも現実離れしていてよくのみ込めない。
そうしたら、マリコも1回死んだらしい。「電気ショック(多分AED)で生き返った」って。
そして、二人で三途の川の説明をしてくれた。結構大きい川らしい。「台風の後の川みたいに汚くて、イメージと違ってて、汚ねえなあと思った」、とマリコが言う。「向こう岸に知った笑い声がしてて、川が海みたいに見えて、行こうと思うんだけど、大きい壁があって取っ手も何もない。行かれないじゃんかと思ったら目が覚めた」って。おじさんは「川岸で自分の子供の声が聞こえたので行かなかった」って。
二人がしみじみと三途の川の光景を思い出しながら、夜中の真っ暗な喫煙所で話している。
壮絶を通り越して、何だかもうよくわからない。そういう死の淵から帰った2人がとてもいい人で、ここで普通にタバコを吸ったり、笑ったりしている。
マリコが最後に1本火をつけたタバコを吸い終わるのを待って、それぞれの病棟に帰って行った。
空気がゆっくりと流れているみたいな、静かな夜だった。私は、いや、4人ともが、夜の一部になっていた。そんな気がした。
2008年4月20日 22:00 振り返ることができた
だから、昨日の夜中に(携帯から)ネット上に書いていた日記を読み直してみて、自分で驚いた。書き記すというよりも、つぶやくというか書き捨てるというか。絞り出すように、書いて吐き出さざるを得ない状況で書かれた言葉。それなのに、その言葉は繊細で、克明だった。
「わからない時にはたくさん書く人」と私の事を良く知っている人に言われて、それは全然気づかなかったし、言われてもピンと来ない。わからないと止まってしまって、考え込んで書かないのかと思っていた。日記については、かなり気まぐれに、書きたい時に書いているから、書くという行為としては自然にやっているんだろう。
今回、日記を見てて、ここまで材料あるのなら、あのしんどかった時期を明らかにしたいと強く思った。記憶に頼って、いつまでも、何度考えてもあいまいなまま終わるなら、思い出したくなかった。自分についてなのに、少し前の事も思い出せないんだ、っていう結論で終わりそうでいやだった。それはきっと、漠然とした辛さや不快感として残るだけなんだって。
書く気がする。初めて、ベッドに寝転んで書いている。今までは、「つうしん」の時は、ロビーかベッドサイドのテーブル(少し構えて書いていたのかも)、手紙の時はベッドにテーブルをセットして書いていた。
病院という環境に来てみて、もっと不安で、時間をもて余してしまい、帰りたいと思うのかと想像していた。けれど、体調が安定していることもあって、意外に居心地がよく気分が良い。そして、私はあまりどこでも変わらないのかもしれないな、と思う。それなりに何かを見つけて生活している。テントを張ってから、日が暮れるまで、食べるのに必要なことと火を起こす準備と、トイレの場所を決めたら、何となく歩き回ってみたりする。生活の中のシンプルなやること。それと、やらなくていいけど、何となくやること。
ただ、やはり病院に来て、飢餓感はあった。閉じ込められていたり、自由を奪われる感じがあった。だから、逃げ場を作ろうとしたり、紙や思索に逃げ込める準備を最初に整えたんだと思う。閉じ込められた、と思ったら逃げようとするはず。でも、いつでもここは外に出られる。逃げられる自由があるなら、外には出ようとは思わないな。ここは外から人も入って来れるし、死角もたくさんあるしね。気持ちの問題だけど、すごく人の本質にかかわる大切なことのように思う。
私は一般の人と同じように、家と違うから不便とか、家の環境と違うから困ったり不安だったりはしない。でもやっぱり飢餓感から、自分の世界を構築しようとはした。小さいスケールで自分の好きな要素を身近において、自分の場所を作ろうとした。そうやって安心しようとした。では、その世界でそれぞれの物を使うかといえば、使わない。使えるように配置されているだけ。必要な時、欲しい時に手元にない、手に入らないのが不安なんだ。それが飢餓感。物欲というよりは道具として持っていたい物たち。これさえも捨て去れたら、すごく気持ちが軽くなるかもしれないね。やってみてもいいかな?いやいや、まだ私には難しいかな…。