よるくま@真夜中の虹 膠原病・心筋梗塞 闘病記

膠原病~心筋梗塞/発病・入院・共存の記録 体に耳をすます日々の日記

2019.1.5 心筋梗塞 入院6日目 手帳のこと、ノートのこと

 昨夜もよく眠れなかった。

 色々な事が頭に繰り返し思い浮かんで、離れなくなる。ループ状態。仕事の忘れていた案件だったり、持ってくるのを頼みたい物だったり。

 そんなのが、夜中の12時くらいまで。

 その後、心臓の動きが気になり始める。元々、心臓の鼓動など意識するようなものではないから、あらためて意識し始めると、どんな状態が正常なのかが、よくわからない。胸に違和感がないかといえば、あるような、痛い気もするが、胃とも思われ。



 たぶん12時すぎ頃、うとうとしては、悪夢を見て目を覚ましたりを、ずっと繰り返している。物音に起きたり。

 昨日は、昼間眠らないようにしていたにもかかわらず、夜も眠れず。夜中に、頭を切り替えようと、少し本を暗闇の中で読んだり、写真を見たり。それでも、状態はあまり変わりはなかった。


 ラジオがあったら少し違うかと思い、今日持って来てもらうことにした。家でも、眠れない時に、小さい音でラジオをつけることがある。

 眠った気がしたのは、起床前の1時間くらい。しかたなく、一度起床時間に起きてから、朝食までの間眠った。




 今日は日中あたたかく、カーテンを開けると、ベッドの上にも太陽がふりそそいでいた。窓際に、枕代わりと腹巻代わりにしている2枚のバスタオルを干した。


 それから、シーツ交換があり(多分土曜日に1回)、その後清拭のお湯が来たので、背中だけ看護師に拭いてもらって、あとは長い時間をかけて、自分で拭いた。シャワーが許可されていないので、入院以来、体を洗えていない。汗のにおいがいやで、ボディソープで、服のにおうところを少し洗ってみたりもした。


 それから、陽のあたるベッドでうとうとと昼寝を1時間くらい。あたたかくておだやかな、好きな時間。少しだけ、ベッドと自分の写真を、携帯で撮った。




 午後も、面会まではずい分と時間があるので、また、うとうとと昼寝。世の中が休みだと、そんなすごし方も許される気がする。見舞いでもらった、JR東日本の車内広報誌『トランヴェール』の千葉の地層の話が面白くて、のんびりと読んで過ごした。




 子どもが、キーホルダーに付いている球状のチェーンを紙に貼りつけた「ハート」を作って、持って来た。棚の上に飾ってみた。

 久しぶりだったので、抱き上げてみた。心臓病は力が入るから、子どもを抱き上げたりしてはいけないのかな。だとすると、辛いな。それを支えに、前向きな気持ちになって、生きようとしているのにな。




17:00~18:00 主任に引継ぎに来てもらった。
 昨日作ったリストに沿って、対応をひとつずつ説明した。今回は、無理して病院内から自分で連絡調整するのをやめて、すべてを連絡してもらうことにした。そうしなければ、入院中もずっと仕事は続くだろうし、電話するごとに、新たに調整しなければならない事項が出てくるに違いない。今の自分の体が、それに耐えられるかどうかわからないし、何よりも緊張感が続いて、休まらない気がした。
 主任は、何とかしてくれそうだった。これで少し安心できた。もう、ここにいては、じたばたできないので、仕方ないとあきらめるようにする。



 今回の入院で、どうしてもなければならなかったのは、手帳だった。突然の入院だったため、あらゆる予定をキャンセルしなければならなかった。年明けには、必ず手帳が必要だった。今回、予定の調整やキャンセルがうまくいったのは、11月の終わりに手帳を更新して、予定が新しい手帳にすべて転記してあったからだった。必要なアポには、相手の連絡先も記入してあった。また、手帳を切り替えた際に、前年度の外部会議、プレゼン、来客等を分類して、日付順に記入して大きな一覧表にして、折りたたみ手帳に貼り付けてあり、これがノートの日付と連動している。

 ファスナー式の手帳カバーの中に、ノートを一緒に入れていた。去年の4月にノートを一本化したため、外部の会議のメモや研修時のポイント等が、A5の薄い紙質の360ページあるそのノートに、すべて書いてあった。これがあったので、引継ぎに来た主任に、「職員に説明が必要な、先日の管理者の会議での制度変更は?」等と、入院生活ではおよそ思い出すのが難しいようなことを訊かれた際にも、ノートを見ながら説明ができた。さらに「何月何日の会議では、どこの部局の誰が説明したので、不明点はだれに問い合わせればよいのか」までも明確に答えることができた。このようにして、手帳とノートを使って引継ぎをした。

 今回は、フロア外に電話をしに行くことも、携帯電話も禁止されていた。でも、それ以上に、自分でも、気持ちを休めるためにも、外部との連絡手段を持たないようにしていた。したがって、連絡調整をすべて人に頼む必要があり、手帳は携帯以上に必要だった。



ただ、これも後で思えば、退院できたから言えることであって、退院できないような状況であれば、仕事などどうでも良いことなのだろうな、と思う。約束の当日に来客が来てしまうとか、外部の約束の場所に私が来ないような状況になり、問い合わせが来て、「心臓病で入院!それならば仕方がないですね」と、それだけのこと。でも、まだ、私の中では、仕事が大事だった。手帳のことを書いていたこの時は、仕事への対処が、気持ちの中でとても重要だった。



そして、私には、ノートは特別な意味があった。

私は、ノートとペンがあれば、どんな状況でもなんとかなる。
たとえ幽閉されても、自分の世界を紙の上で保てるという、気持ちの自由がある。




夜、上庄Nsに、明日の洗髪を頼んだ。

洗面台で自分でする、初めての洗髪。これまでは、
一人で立って洗面所まで行くことも、許されていない。

上庄さんは、色々こころよく引き受けてくれた。

CCUの三浦Ns、増島Ns、男性のNsたちも。
ていねいに接してくれた人の名前は憶えているものだ。
そして、そういう人は、ベテランが多い。

T=36.7


                             20:32





そう、職場のサーバーの音声データの中に、いくつかの私の講演の声がある。

私に何かあって、子どもが大きくなったら、

父の仕事の声を聴いてみてほしい。
 
 
 
 
土22:00~ ラジオを聴いた
J-wave『ブック・バー』
ちはや あかね『悪い食べ物』
ベルサイユのばら~ナポレオン
絵本『火をたきなさい』 Nakaban、山尾三省